幸せでいるための秘密
どんな思い出なのかと訊ねても、桂さんは微笑むばかりで答えない。私としても突っ込んで聞きたいわけではないので、深く追求するのはやめておいた。
いつものように当たり障りのない雑談が始まる。雑談といっても、その大半は桂さんが私にあれこれ質問をしてくるばかり。気づけば私が一方的に喋り続け、桂さんはにこにこしながら聞いているだけの時もある。
(そろそろお昼時だろうし、美術館に向かう方がいいかな)
時間を確認するためにハンドバッグからスマホを取り出す。そのとき、鞄に無造作に入れていた二枚のチケットがはらりと落ちた。
あ、という間に桂さんの白い手がチケットをひょいと拾い上げる。彼は物珍しそうにチケットを眺め、びじゅつかん、と子どもみたいに緩慢に読み上げると、
「いい趣味だね」
と皮肉でもなく呟いた。
「これから行くの?」
「そのつもりです。本当は二人で行く予定だったんですけど、その人がちょっと仕事が入って」
「じゃあ、一人で?」
「はい」
ここでふと、入院中で自由に出かけられない人を前に、こんなものを見せるべきではなかったかなと反省した。気を悪くされただろうかと桂さんの顔色を伺うと、彼は思ったよりあっさりした、いつもと変わらない優しい顔でじっとチケットを眺めている。
「……ねえ、百合香」
彼は目線をチケットへ落としたまま、独り言みたいにゆっくりと話し出した。
「僕は別に、四六時中入院が必要というわけではないんだ」
「えっ、そうなんですか」
「うん。腎臓が弱くて、週三回の人工透析と食事制限はあるのだけど、別に僕と同じ病気でも普通に生活している人は大勢いる」
人工透析。確か、腎臓の代わりに機械を使って、血液をきれいにしてあげる処理のことだっけ? 私も詳しくは知らないけど、一度の処理に数時間かかるとかで、日々の生活が少し制限されると聞いたことがある。
でも桂さんの言うとおり、透析をしながら生活する人はそんなに珍しくないはずだ。私の知人にも生まれつき腎臓が弱くて、日々の透析と折り合いをつけて活動している人がいる。
「だから、百合香さえよければ、僕が代わりに一緒に行ってもいいかな」
「……いいんですか?」
「うん。僕は疲れやすいから、お前に迷惑をかけてしまうかもしれないけど」
どの道、払い戻しもできないまま捨てるしかなかったチケットだ。樹くんも友達と使ってくれと言っていたし、使うこと自体に問題はない。
ただ、男の人と二人で出かけたと知ったなら、樹くんはたぶん強烈にやきもちを焼くだろうけど……仕方ない。今日は内緒にさせてもらおう。
この病室に桂さんを一人で残して、出ていくなんてさすがに酷だ。
「それじゃあ、一緒に行きましょう」
私が言うと、桂さんは微笑んでこくりと頷いた。
いつものように当たり障りのない雑談が始まる。雑談といっても、その大半は桂さんが私にあれこれ質問をしてくるばかり。気づけば私が一方的に喋り続け、桂さんはにこにこしながら聞いているだけの時もある。
(そろそろお昼時だろうし、美術館に向かう方がいいかな)
時間を確認するためにハンドバッグからスマホを取り出す。そのとき、鞄に無造作に入れていた二枚のチケットがはらりと落ちた。
あ、という間に桂さんの白い手がチケットをひょいと拾い上げる。彼は物珍しそうにチケットを眺め、びじゅつかん、と子どもみたいに緩慢に読み上げると、
「いい趣味だね」
と皮肉でもなく呟いた。
「これから行くの?」
「そのつもりです。本当は二人で行く予定だったんですけど、その人がちょっと仕事が入って」
「じゃあ、一人で?」
「はい」
ここでふと、入院中で自由に出かけられない人を前に、こんなものを見せるべきではなかったかなと反省した。気を悪くされただろうかと桂さんの顔色を伺うと、彼は思ったよりあっさりした、いつもと変わらない優しい顔でじっとチケットを眺めている。
「……ねえ、百合香」
彼は目線をチケットへ落としたまま、独り言みたいにゆっくりと話し出した。
「僕は別に、四六時中入院が必要というわけではないんだ」
「えっ、そうなんですか」
「うん。腎臓が弱くて、週三回の人工透析と食事制限はあるのだけど、別に僕と同じ病気でも普通に生活している人は大勢いる」
人工透析。確か、腎臓の代わりに機械を使って、血液をきれいにしてあげる処理のことだっけ? 私も詳しくは知らないけど、一度の処理に数時間かかるとかで、日々の生活が少し制限されると聞いたことがある。
でも桂さんの言うとおり、透析をしながら生活する人はそんなに珍しくないはずだ。私の知人にも生まれつき腎臓が弱くて、日々の透析と折り合いをつけて活動している人がいる。
「だから、百合香さえよければ、僕が代わりに一緒に行ってもいいかな」
「……いいんですか?」
「うん。僕は疲れやすいから、お前に迷惑をかけてしまうかもしれないけど」
どの道、払い戻しもできないまま捨てるしかなかったチケットだ。樹くんも友達と使ってくれと言っていたし、使うこと自体に問題はない。
ただ、男の人と二人で出かけたと知ったなら、樹くんはたぶん強烈にやきもちを焼くだろうけど……仕方ない。今日は内緒にさせてもらおう。
この病室に桂さんを一人で残して、出ていくなんてさすがに酷だ。
「それじゃあ、一緒に行きましょう」
私が言うと、桂さんは微笑んでこくりと頷いた。