幸せでいるための秘密
 ああ、やっぱり。

 たばこを吸う彼の横顔を見たとき、そうじゃないかとは思ったんだ。

「今、樹くんはつらいことを抱えているんだよね?」

 樹くんは手すりに寄りかかったまま、ゆっくりと瞬きをする。

 返事はない。でもそれは、たぶん格好つけたがりの彼にできる唯一の肯定で、私は小さくうなずくと返事を待たずに言葉を続けた。

「それって、私には話せないこと?」

 長い沈黙が夜のベランダを押し包む。息苦しさと熱気にやられて、身体がじわと汗をかき始めた。

「本当に耐えられなくなったら、話す。でも」

 夜空の遠くを見つめたまま、樹くんは独り言みたいに言った。

「できれば百合香には……秘密のままにしたい」

 目の前の道路をトラックが横切り、夜闇を裂いたヘッドライトがあっという間に過ぎ去っていく。

 タイヤがアスファルトを蹴るやかましい音がなくなると、あたりはまた重苦しい沈黙へと戻った。

 秘密。

 樹くんが、ずっと私に隠していること。

「わかった。じゃあ聞かない」

 まだ大丈夫。私は思った。

 私は樹くんを信じてる。だから、彼が秘密にしたいというなら、私はまだ待つことにしよう。

 だって私たちは恋人同士だ。彼を信じて待つというのが、正しい選択……だよね?

「それ、私も吸ってみていい?」

「いいけど、百合香はたばこ吸ったことないだろ」

「試してみるだけだから」

 手渡された加熱式たばこは私の指よりも細くて、咥えて息を吸ってみると円筒の先がふわっと緑色に輝いた。口の中へと溢れ出る煙は想像していたたばことは違い、どこかフルーティで甘みのあるとても不思議な味がする。

 口の中に煙を閉じ込め、次はどうしようかと悩んでいると、樹くんが自分の口を指さしふーっと息を吹く真似をした。私も唇をとがらせて、口に溢れるものをふーっと外へ押し出してみる。細くたなびく煙の帯が、夜空の中へと溶けていく。

「よくわかんない」

「だろうな」

 私からたばこを受け取った樹くんは、慣れた手つきでそれを口へ咥えようとした。でも、気の抜けたように苦笑して、煙草をそのままケースへしまう。

「樹くん」

 振り返った彼の服を引き寄せ、私は思いっきり背伸びをして。

 触れるだけ、音もならない、ほんの一瞬かすめたのみの、子どものおもちゃみたいなキス。

「これで、たばこの代わりにならないかな……?」

 恥ずかしさに緩む頬を懸命に抑え込みながら、私は冷静なふりをして言った。

 樹くんはきょとんとしたまま、大きな目でぱちくりと瞬きをする。

 しばらく無言で見つめあい、どちらともなくふっと吹き出して笑いあった。私はもう照れがひどくて、さっきから顔が熱くて熱くて仕方ない。

「なると思う。でも」

 私の髪に触れた樹くんが、そのまま両手で私の頬を持ち上げる。

「依存性が強すぎる」

 いつもより少し下がった切れ長の瞳。

 緩く微笑む口元が、少しずつ近づいてくる。

 微かなたばこの匂いを感じながら、軽く目を伏せた私の唇に、樹くんの淡い微熱が甘く柔らかに重なった。
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