幸せでいるための秘密
「落ち着け、百合香」

 突然両頬を手で挟まれて、私はベッドの上らしからぬ変顔で動きを止めてしまった。

 樹くんは焦る気持ちを堪えるみたいに、ぎゅっと唇を噛みしめて私を見つめている。

「私は落ち着いてるよ」

「いや、落ち着いてない。やはり何かあったんだろ、どう考えても様子が変だ」

 純粋な心配の眼差しがこの日はやたらと癪に触って、私はシーツを握りしめると部屋の隅へと視線を逸らす。拗ねる子どもをなだめるみたいに、樹くんは私の髪や頬へ唇を落としていく。

「いくら薬を飲んでいたとしても、俺は百合香の身体に危険な影響のあることはしたくない。仮にこのままつけずにしたとして、本当に子どもができてしまったらどうする?」

「…………」

「出産は今でも命の危険を伴うものだ。医療を過信して軽々しく『産めばいい』とは思わないでほしい。きみが子どもだけを残して死んでしまったら……残された俺は、きっと、耐えられない」

 素肌の私をぎゅうと抱きしめ、樹くんは諭すように言う。

「万が一のことがあってからでは遅いんだ。もう少し自分を大切にしてくれ」

 ……ああ。ここだけ切り取れば、理想の恋人の発言だ。

 目先の快楽より私自身のことを一番に心配してくれる。こんな男の人、そうそう出会えるものじゃない。

 それはわかる。わかってる。でも、心の中のわだかまりが消えない。

(もし万が一のことがあったなら、樹くんが責任を取ってくれるんじゃないの? 子どもを産んで私が死んだら、今まで私にくれた愛情をその子に注いでくれるんじゃないの?)

 いや、それは期待しすぎなのかな。だって前にも、彼はなんだかよくわからない理由で結婚をめちゃくちゃにけなしていたし。

 いわゆる一般的な結婚願望とか、家族を持ちたいだとか、そういう気持ちが希薄な人なのかもしれない。そこは人それぞれだから責めるつもりはないけれど、私はできるなら……好きな人とは結婚をして、子どもだって作りたい。

「わかった。ごめん」

 そっけない言葉とともに、樹くんの身体を遠ざけてしまう。彼の言っていることは正しい。ただ、今の私が求めていた答えとは少し違っていただけ。

「百合香……」

「ごめんね。なんか……私、ちょっとおかしいみたい」

 冷えた身体は再び熱を持ちそうになくて、私は頭痛をこらえて謝るとそのまま樹くんの部屋を出た。
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