幸せでいるための秘密
おねだりの話
・本編17ページ以降の話(波留と百合香のルームシェア期間中)
・百合香視点三人称
・コメディです。軽い気持ちで読んでね
*
「……あのさぁ、波留くん」
「うん?」
「私もやっぱり、少しくらい一緒に料理をやらせてもらいたいの」
「……ううん、でも」
「お願いっ!」
上目遣い。傾げた小首。祈るように組んだ指先。
どのような頼み方をすれば一番波留に効果があるのか、百合香なりに考えた結果がコレだった。真正面からお願いするのは今まで何度もやってきた。理由をあれこれこねくりまわし、理屈っぽく迫ったこともあった。いずれの場合も、これでもかというほど玉砕を繰り返してきたのだ。
昔の少女漫画を思い出させるコテコテの甘え方は、いざやってみると想像以上に百合香の羞恥心を揺さぶった。恥ずかしい。顔から火が出る。正直すぐにでも逃げ出したい。
「……う、ん……」
波留は百合香を見下ろしたまま、ずいぶん長いこと黙っていたようだが、やがてパッと目を逸らすと手元の鍋に蓋をした。立ち昇る湯気にあてられた頬が、いつもよりほんのり赤らんで見える。
「まあ……中原がそこまで言うなら……」
お、おお?
これはどうやら……効果あり?
*
百合香に任されたお料理仕事は、煮物の鍋の監視だった。
すでに波留が均等に切り分けた大根やニンジンたちが、だし汁で満たされた鍋の中でぐつぐつ煮えるのをただ見つめる。これなら確かに包丁に触れることはないし、波留の家のコンロはIHだから炎でやけどする心配もない。
昔だったらあまりのつまらなさに、片手でスマホでもいじりながら鍋をかきまわしたことだろう。だが、今日は違った。
波留はおそらく知らないだろうが、里野彰良と過ごしてきたこの一年間で、百合香はそれなりの料理好きに成長していた。狭いワンルームのアパートの中で、里野が唯一寄り付かないキッチン。そこは自然と百合香の城となり、ストレスが溜まった時にはキッチンにこもってガツガツ料理を作ることで、百合香は穏やかな心を取り戻してきていたのだ。
今は別にフラストレーションが溜まっているわけではない。ただ、料理全般を波留に任せっきりにするというのは、居候の百合香としてはやっぱり落ち着かないものである。
「美味しくなあれ、美味しくなあれ~」
たとえお鍋を監視するだけでも料理に携われていると思えば、少しは気持ちが楽になるというものだ。
にこにこ笑顔でおたまを回す百合香の姿を、波留は不思議な生き物を見るような目で眺めている。きっと、彼の記憶にある百合香の言動との差異を修正しているのだろう。
「他に私にできることある?」
「あとは、そうだな……あるにはあるが……」
百合香の顔をちらと一瞥し、波留はいたずらを仕掛ける子どものようにニヤリと笑った。
「さっきのやつ、もう一度やってくれないか?」
さっきのやつ?
一瞬きょとんとした百合香だったが、すぐにひとつの結論へ至り再び顔が朱に染まる。やんなきゃよかった。きまり悪そうに目を逸らし、火照った顔を手で扇ぐ。
そんな百合香のリアクションすら、波留にとっては楽しみでしかないようだ。伺うように顔を覗き込まれ、百合香は思わず波留に背を向ける。また反対側から覗き込まれて、今度は逆側へ顔を背ける。
「……理由は?」
「俺が見たい」
「なんで見たいの?」
「ものすごく可愛かったから」
淀みなく解き放たれた言葉が百合香の体温をますます上げる。耳まで熱く頭から湯気が出そうなほど。
ぎゅっとおたまを握りしめ、やり場のない気恥ずかしさに唇を嚙みしめる百合香。そんな彼女を見つめながら、波留はいやに緩慢な動作でぐっと姿勢を低くした。
「『お願いっ!』」
…………。
185cmの上目遣い。傾げた小首。祈るように組んだ指先。
百合香は思った。
(ものすごく……ものすごく可愛い)
眩しささえ覚えるほどの圧倒的な造形の良さ。涼しげな切れ長の瞳はそのままだと怜悧な印象だが、困ったような下がり眉と合わせると途端に愛らしい甘え顔に変わる。
これで上から見下ろされればギャグにしかならないのだろうが、ほとんど跪く勢いで下から見上げられてしまえば、もはや立派なおねだりだ。可愛い。とても可愛い。ぐうの音も出ないほどに可愛い。
「し」
だからこそ、生まれ持ったビジュアルの差を見せつけられているようで、屈辱だ。
「死んでもやらない」
「死んでも!?」
さすがに予想外だったのだろう、珍しく慌てる波留に背を向け、百合香はがしがしと鍋をかき回す。
できることなら時を巻き戻して、さっきの自分がやった『お願いっ!』を記憶から抹消したい気分だ。こんなに美人な男に向かって甘えておねだりをしようだなんて、あの時の自分は頭がどうかしていたに違いない。
自分より顔の綺麗な男と並んで歩きたくないという、美咲の言葉が身に染みる。それはもう、胸が痛むほど。
(ああもう、むかつく。可愛すぎてむかつく。ほんとむかつく)
自分のおねだりがその可愛すぎる男にしっかり通用したことも忘れ、百合香はむすっと頬を膨らませる。
そして、百合香が何に怒っているのか皆目見当もつかない波留は、彼女の背後でまだ右往左往を繰り返している。
どうやら二人の心の距離は、以心伝心と呼ぶにはまだまだ遠いようである。
おわり
・百合香視点三人称
・コメディです。軽い気持ちで読んでね
*
「……あのさぁ、波留くん」
「うん?」
「私もやっぱり、少しくらい一緒に料理をやらせてもらいたいの」
「……ううん、でも」
「お願いっ!」
上目遣い。傾げた小首。祈るように組んだ指先。
どのような頼み方をすれば一番波留に効果があるのか、百合香なりに考えた結果がコレだった。真正面からお願いするのは今まで何度もやってきた。理由をあれこれこねくりまわし、理屈っぽく迫ったこともあった。いずれの場合も、これでもかというほど玉砕を繰り返してきたのだ。
昔の少女漫画を思い出させるコテコテの甘え方は、いざやってみると想像以上に百合香の羞恥心を揺さぶった。恥ずかしい。顔から火が出る。正直すぐにでも逃げ出したい。
「……う、ん……」
波留は百合香を見下ろしたまま、ずいぶん長いこと黙っていたようだが、やがてパッと目を逸らすと手元の鍋に蓋をした。立ち昇る湯気にあてられた頬が、いつもよりほんのり赤らんで見える。
「まあ……中原がそこまで言うなら……」
お、おお?
これはどうやら……効果あり?
*
百合香に任されたお料理仕事は、煮物の鍋の監視だった。
すでに波留が均等に切り分けた大根やニンジンたちが、だし汁で満たされた鍋の中でぐつぐつ煮えるのをただ見つめる。これなら確かに包丁に触れることはないし、波留の家のコンロはIHだから炎でやけどする心配もない。
昔だったらあまりのつまらなさに、片手でスマホでもいじりながら鍋をかきまわしたことだろう。だが、今日は違った。
波留はおそらく知らないだろうが、里野彰良と過ごしてきたこの一年間で、百合香はそれなりの料理好きに成長していた。狭いワンルームのアパートの中で、里野が唯一寄り付かないキッチン。そこは自然と百合香の城となり、ストレスが溜まった時にはキッチンにこもってガツガツ料理を作ることで、百合香は穏やかな心を取り戻してきていたのだ。
今は別にフラストレーションが溜まっているわけではない。ただ、料理全般を波留に任せっきりにするというのは、居候の百合香としてはやっぱり落ち着かないものである。
「美味しくなあれ、美味しくなあれ~」
たとえお鍋を監視するだけでも料理に携われていると思えば、少しは気持ちが楽になるというものだ。
にこにこ笑顔でおたまを回す百合香の姿を、波留は不思議な生き物を見るような目で眺めている。きっと、彼の記憶にある百合香の言動との差異を修正しているのだろう。
「他に私にできることある?」
「あとは、そうだな……あるにはあるが……」
百合香の顔をちらと一瞥し、波留はいたずらを仕掛ける子どものようにニヤリと笑った。
「さっきのやつ、もう一度やってくれないか?」
さっきのやつ?
一瞬きょとんとした百合香だったが、すぐにひとつの結論へ至り再び顔が朱に染まる。やんなきゃよかった。きまり悪そうに目を逸らし、火照った顔を手で扇ぐ。
そんな百合香のリアクションすら、波留にとっては楽しみでしかないようだ。伺うように顔を覗き込まれ、百合香は思わず波留に背を向ける。また反対側から覗き込まれて、今度は逆側へ顔を背ける。
「……理由は?」
「俺が見たい」
「なんで見たいの?」
「ものすごく可愛かったから」
淀みなく解き放たれた言葉が百合香の体温をますます上げる。耳まで熱く頭から湯気が出そうなほど。
ぎゅっとおたまを握りしめ、やり場のない気恥ずかしさに唇を嚙みしめる百合香。そんな彼女を見つめながら、波留はいやに緩慢な動作でぐっと姿勢を低くした。
「『お願いっ!』」
…………。
185cmの上目遣い。傾げた小首。祈るように組んだ指先。
百合香は思った。
(ものすごく……ものすごく可愛い)
眩しささえ覚えるほどの圧倒的な造形の良さ。涼しげな切れ長の瞳はそのままだと怜悧な印象だが、困ったような下がり眉と合わせると途端に愛らしい甘え顔に変わる。
これで上から見下ろされればギャグにしかならないのだろうが、ほとんど跪く勢いで下から見上げられてしまえば、もはや立派なおねだりだ。可愛い。とても可愛い。ぐうの音も出ないほどに可愛い。
「し」
だからこそ、生まれ持ったビジュアルの差を見せつけられているようで、屈辱だ。
「死んでもやらない」
「死んでも!?」
さすがに予想外だったのだろう、珍しく慌てる波留に背を向け、百合香はがしがしと鍋をかき回す。
できることなら時を巻き戻して、さっきの自分がやった『お願いっ!』を記憶から抹消したい気分だ。こんなに美人な男に向かって甘えておねだりをしようだなんて、あの時の自分は頭がどうかしていたに違いない。
自分より顔の綺麗な男と並んで歩きたくないという、美咲の言葉が身に染みる。それはもう、胸が痛むほど。
(ああもう、むかつく。可愛すぎてむかつく。ほんとむかつく)
自分のおねだりがその可愛すぎる男にしっかり通用したことも忘れ、百合香はむすっと頬を膨らませる。
そして、百合香が何に怒っているのか皆目見当もつかない波留は、彼女の背後でまだ右往左往を繰り返している。
どうやら二人の心の距離は、以心伝心と呼ぶにはまだまだ遠いようである。
おわり