幸せでいるための秘密
 その日の夜、いつもなら休日の夕食後はリビングで過ごす波留くんが、珍しくまっすぐ自室へと向かっていた。

 つい背中を目で追っていると、振り返った波留くんが小さく笑う。

「少し仕事が残っているんだ」

「あ、そうなんだ」

 胸に広がる罪悪感。私に付き合ってトンデモ不動産巡りなんかやらなければ、今頃とっくに仕事を終えてのんびりできていただろうに。

 テレビの中では女優さん演じる美人秘書が、イケメンの社長へおしゃれな紅茶を差し出している。きっと恋愛ドラマだろう。私は別に美人秘書でもなんでもないけど、このまま一人だけのんびりテレビを見ている気にはなれそうにない。

 冷蔵庫の二段目の左半分が私のエリア。波留くんが私のために空けてくれた場所だ。正直あまり入れるものもないので、自分用のコーヒーやお茶、サプリメントなんかを少し入れさせてもらっている。

 そこからノンカフェインのルイボスティーを取り出し、二人分のお湯を注いだ。立ち昇る独特な甘い香りは、好き嫌いは分かれるだろうけど、私はとても気に入っている。

 波留くんがいつも使っている黒いマグカップに注ぎ、お盆は見当たらなかったのでカップだけ持ってドアをノックした。返事まで少し間があいたのは、仕事が忙しいからか、それともなんて答えたらいいのか少し迷ったからかもしれない。

「どうぞ」

 さっきのドラマとまったく同じ彼の台詞に笑いを噛み殺しながら、私はそっと部屋のドアを開けた。

 広がっていたのは、モノトーンの世界。

 白いクロスに黒い床。それだけでも圧倒されるのに、部屋の家具まで大半が白と黒で統一されている。本棚には政治や経済の本が隙間なく詰め込まれていて、さらに入り切らなかったであろう本たちがデスクに山のように積み上げられている。流れる音楽は洋楽で、少し古風で落ち着いたメロディ。シックな部屋と大人びた波留くんにあつらえ向きに似合っている。

 ノートパソコンの光が、黒いデスクチェアに座った波留くんの少し戸惑った顔を、背中側から照らしていた。
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