幸せでいるための秘密



 諦めないからな、と。

 追いかけてくる声を思い出す。それだけで胃酸がどっとあふれ出し、思わず吐き戻しそうになる。

 彰良の言葉は真実だった。あの日から彼は私の通勤時を狙って、駅の近くで待つようになったのだ。

 私としては完全に無視して通り過ぎるようにしているのだけど、百合香、百合香と猫なで声で追いかけまわされるのはやっぱり恥ずかしい。仕方がないので少し歩いて一駅遠くから乗るようにしたら、今度は会社のすぐ近くで待ち伏せをされるようになった。結局もっと早起きをして早朝に出勤するようにしたら、一日二日は遭わずに済んだけど、三日目にとうとう駅のホームで彰良に肩を掴まれてしまった。

(最低最悪)

 彰良は交番勤務の警察官。基本的に三交代制で、二日働いて一日休むスケジュールになっている。だから、夜勤の日だけは確実に安全なのだけど、平日休みの日は必ず朝晩待ち伏せされることになる。

(ようやく忘れかけてきたのに、なんでこのタイミングで)

 別れの記憶がフラッシュバックし、また胸が激しく痛み出す。口を開けても息が吸えない。喉が絞められたみたいに苦しい。

「大丈夫か」

 隣に座った波留くんが、心配そうに私の顔を覗き込んでいる。

 私は精一杯の笑顔を作り、力なく頷いてみせた。

「ごめん波留くん、こんなことに巻き込んで」

「いや、いいんだ」

 私の背中をさすりながら、波留くんは申し訳なさそうに眉を寄せる。

「むしろ、仕事の帰りに迎えに行ってやれなくて悪い。職場にテレワークも提案したんだが、なかなか許可が下りなくて」

「いいよそんな、気にしないで。これは私の問題だから」

 言いながら、私は心の中で今日何度目かのため息を吐いた。ひどいストレスで急激に老け込んだ気がする。

「まさか、現役警察官がストーカーになるとはな」

 もともと誠実な人間だとは思っていなかったけど、ここまで落ちぶれるとは想定外だ。いや、あの彰良が私に仲直りとか言い出すことが、そもそもの想定外なのだけど。

 波留くんは仕事用の鞄を持ってくると、そこから小さな青いお守りを取り出した。根元にくくられた小さな鈴が、チリンと可愛らしい音を鳴らす。

「ほら、これ」

「お守り?」

「ああ。昔、知り合いに貰ったんだ。縁切りで有名な神社のものらしい」
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