幸せでいるための秘密
 よく見るとお守りの表面には、しっかりとした金色の糸で『悪縁切』と刺繍されていた。悪縁切! まさに、今の私に一番必要な言葉じゃないか。

 お守りを両手でうやうやしく包むと、神様パワーの重みを感じた。私は別に信心深い方じゃないけど、こういうときはやっぱり神頼みに限る。

「大事にさせていただきます」

「ああ。鞄にでもつけておいてくれ」

「そのようにさせていただきます、神様ぁ」

 自分の仕事用バッグの内側に、小さなお守りをくくりつける。これでばっちりとは言わないけど、それでも少し気持ちが楽になったのは事実だ。

「でも、こんなお守りを貰うなんて、波留くんも誰かと縁を切りたかったの?」

 それはふとした思い付きだったのだけど、波留くんはマグカップへ伸ばした手を止めると、目線はテレビのまま瞳だけを私の方へ向けた。

 一瞬、肌がぞわりとする。開けてはいけないものを開けてしまったような感覚。ただでさえ鋭い波留くんの瞳が、いっそうの冷たさと貫くような威圧感をもって、私をまっすぐに射抜いている。

 きっと本当は、見つめられた時間は1、2秒のことだったのだろう。でも、私には何十分もその目に射すくめられた気がした。

「……内緒」

 人差し指を唇に当て、波留くんはいたずらっぽく笑う。

 緊迫した空気が一気に緩む。それと同時に妙な色気にあてられた私は、ソファにずるずるへたり込むと両手で顔を覆い隠した。波留くんはにこにこ笑いながら、鞄を持って部屋へと戻る。バタンとドアが閉まるのを待ち、私は小さく息を吐いて天井を見上げた。

(なんだったんだろう、今の)

 今まで一度も見たことのない波留くんの顔だった。

 いや、でも、ほんの少しだけ既視感がある。私はどこかで、波留くんのあの冷たい眼差しを見たことがある。

 唸りながら考えてみたけど結局何も思い出せず、そうするうちに波留くんがリビングへ戻ってきて、私たち二人のお気に入りである可愛い猫の動画をつけた。

 それが明らかな話題逸らしなのはさすがの私でもすぐわかった。でも、わざわざ追及することはなく一緒に並んで動画を眺める。人には誰でも秘密にしたいことの一つや二つあるだろう。波留くんだってきっとそう。

 でも、おもちゃにじゃれつく猫を見ながら、考えるのはあの冷酷な瞳のことばかりだった。
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