幸せでいるための秘密
 波留くんが帰ってくるのは、いつもだいたい九時半頃。

 時間が遅すぎるからと言って、夕飯はほとんどコンビニで済ませているらしい。

「じゃあ、迎えに行ってくるから」

 そう言って椎名くんが出て行って、けっこうな時間が経った。ひとりでテレビを眺めながら、時計の針が進むのを待つ。六時、七時、八時……。

 道路はきっと渋滞しているだろう。電車を乗り継いで帰るよりは早くなると思うけど、それでもやっぱり時間がかかることに変わりはない。

 お腹が空いた。

 でも我慢。

 やがて、うとうととまどろみ始めた頃、玄関の方から鍵の開く音が聞こえた。ただいまー、と椎名くんの明るい声がして、二人分の足音が近づいてくる。私は慌ててテレビを消すと、バタバタと髪を直して立ち上がった。

「ただい、ま……」

 スーツ姿で疲れた顔の波留くんは、ダイニングの入り口に立つ私の姿と、その傍らのテーブルとを見比べる。

 さばの塩焼き。

 さやえんどうを入れた根菜の煮物。

 小松菜のお浸しと、クルトンたっぷりのシーザーサラダ。

 茄子とわかめのお味噌汁。

 そしておまけに、真新しいベージュのエプロン姿の私。

「……これは……」

 右往左往した視線が再び戻ってくるのを待って、私は気恥ずかしさを隠して精一杯の笑顔を見せた。

「お、おかえり!」

 唖然としたままの波留くんの背中を、椎名くんがぐいぐいと押す。奪われるようにジャケットを脱がされ、ネクタイも放り出された波留くんは、促されるまま奥のダイニングチェアに腰かける。

 ちょっとテーブルが狭く感じる、三人分の食卓。

 椎名くんから連絡を貰って大急ぎで温めなおしたから、一応全部ほかほかのはずだ。

「あー、腹減った。じゃあ、手を合わせてください!」

 懐かしい、小学校の給食当番だ。思わず噴き出した私に、椎名くんも一緒になって笑う。

 波留くん一人が戸惑ったまま、でも一緒になってきちんと手は合わせてくれる。

「いただきます!」

「い……いただきます」

 勢いよく食べ始める椎名くんの隣で、波留くんは並んだお皿をまじまじと見つめている。波留くんの苦手なものはこの中に入っていないはずだけど、お口に合うかは未知数だ。味に関しては、椎名くんにたくさん味見してもらったから、問題ないと思いたい。

「えっと……波留くん、いつも帰り遅いから」

 彼の動かないお箸を見ながら、私はしどろもどろに言う。

「土日くらいしか一緒にご飯食べる機会がないなって思って。それで」

「……全部、中原が?」

「うん。一応」

 椎名くんに付き合ってもらって、スーパーで材料をすべてそろえた。このエプロンはおまけだと言って、椎名くんに買ってもらったものだ。

 久しぶりの料理は少し緊張したけど、作っていくうちにだんだん楽しさの方が勝っていった。やっぱり私、知らない間にずいぶん料理好きになっていたみたい。

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