幸せでいるための秘密
 一華さんは……やっぱり苦手だ。

 気が強くてキビキビしていて、自分を遠慮なく押し出してくる。人を振り回すのも躊躇がなくて、なにより自分に絶対的な自信と矜持を持っている。

 でも彼女の指導を受けるにつれて、最初に感じた強烈な拒否感は少しずつ薄れていった。言っていることは基本正しい。本人にも特に悪気はない。ただ、ちょっとパワフルで話していると疲れるのは変わらないけど。

「どう? あたしの言ってる意味、わかってきたんじゃない?」

 汗だくの私にタオルを差し出しながら、一華さんはえへんと胸を張る。そりゃあもうわかります。内臓を支える筋肉が弱いから体内で下がって胃下垂になる。お尻だってそう、きちんと鍛えてないからダルダルでスキニーパンツが履けないんだ。

(……ん?)

 何気なく顔を上げた先に、樹くんの姿が見えた。見慣れないポニーテールの女性と向かい合って話をしている。女性は遠めでもはっきりわかるほどスタイルが良く、私と同じトレーニングウェアを完璧に着こなしている。

 並んでチェストプレスマシンのもとへ歩いていく二人。そして、器具に腰かけた樹くんの脇腹を、艶やかな女性の細い指が撫でさするように触れた。

(…………)

 胸のあたりがもやもやする。

 こんな言い方をすると変態みたいで嫌なのだけど、はっきり言って私だって触れ合うのを我慢しているんだ。付き合いたての恋人同士だもの、人目さえなければたくさん抱きしめあいたいし、キスだっていっぱいしたい。

 でも、今は状況が状況だから、ぐっと堪えている最中だというのに……あんな見ず知らずの人が、べたべたと……。

「ヘイヘイ、百合香」

 視界に綺麗な指がちらつき、それから一華さんがひょいと顔を覗かせた。

「上の階に大浴場あるから、裸の付き合いでもしましょーよ」

 正直気は進まなかったけど、ここにいたくないという気持ちが私の背中を後押しした。

 私は勢いよく立ち上がると、意識して二人に背中を向ける。苛立ちを誤魔化すみたいにペットボトルのキャップを開けると、握られすぎてひしゃげたボトルからスポーツドリンクが噴き出した。





「あああああ~~」

「なにそれー、ビール飲んだおっさんじゃん」

 肩までお湯に浸かった瞬間なさけない声が全身から漏れた。

 数年ぶりにいじめられた私の筋肉が、ようやくの自由に歓喜の声を上げている。なにこれ最高。温泉って気持ちいい。疲れた身体にお湯の温かさがぐんぐん沁みていくのがわかる。

「人工温泉だけど、なかなかのもんでしょ。このお風呂目当てに入会してる人だっているんだから」

「最高です……今まで入ってきた中で一番のお風呂かもしれないです」

「そりゃよかった」

 穏やかな日光が天窓のガラスから広い湯船の底へ差し込んでいる。ほわほわとうごめく柔らかな湯気が、呼吸するたび身体の中までほのかに温めていくみたい。気を抜くとこのまま眠ってしまいそうで、湯船のふちに寄りかかる。

 肩までお湯に浸かっていた一華さんが湯船で軽くのびをすると、見とれてしまうほど豊満なバストがお湯の中でぶるんと揺れた。うーん、さすが一華さん。何から何までゴージャスだ。

「百合香」

「あっ、はい!」

 さすがにじろじろ見すぎただろうか。慌てた私はお湯を跳ね上げて兵隊みたいに背筋を伸ばす。

 お化粧を落とした一華さんの顔は本当に椎名くんそっくり。目力の強い大きな瞳が私を捉えて離さない。


「樹はやめときな」
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