幸せでいるための秘密
 樹くんは呆れたような、それでいて少し怒った顔で、私を横目で軽く睨む。

「本当に気づいていなかったのか? 色々な男がきみを目で追っていて、俺は正直気が気じゃなかった」

「一華さんを見ていたわけじゃなくて?」

「きみを噂する声も聞こえた。とても下世話で、口には出せないような噂だ」

 どうしよう、全然気づいていなかった。

 でも言われてみれば、今日の私の格好はなかなか……人目を引くものだったと思う。一緒にいた一華さんが似たり寄ったりの格好だったからあまり違和感なく着てしまったけど、冷静に考えたらあれは人前に出られるような服じゃない。

 今更青くなる私を尻目に、樹くんは小さくため息を漏らす。それから、少し俯いて言い捨てた。

「俺がどんな気持ちで我慢しているのかも知らずに、あいつらめ」

 あ、と。

 小さなひらめきが脳裏をよぎる。今とほとんど同じ台詞を、少し前に私も思った。

 じわじわとこみ上げてくる感情に頬が勝手に緩んでしまう。なあんだ一緒だったんだ、と気づけば気持ちはずいぶん楽になる。

「樹くん」

「どうした」

「あのトレーニングウェア、一華さんが買ってくれたんだ」

「知ってる」

「もう、人のいる場所では着ない。だから」

 そこで一旦言葉を切り、私はほとんど耳打ちみたいに小さな声で囁いた。

「今度……二人きりのときに着る?」

 樹くんの動きが止まる。

 どこか遠くに焦点を合わせてしばらく黙り込んでいた彼は、やがて両手で頭を抱えるとそのまま顔を伏せてしまった。あー、と小さく唸る声。耳の付け根がわずかに赤い。

「樹くん?」

「なんでもない」

「ほんとに? 大丈夫?」

「ちょっと不意打ちで驚いただけだ」

 う。さすがにちょっとやりすぎた?

 遅れて襲い掛かってくる羞恥心に、私もまた深々とうつむき縮こまる。顔が熱い。なんというかその、直接的な意味で言ったつもりではなかったのだけど、その……まあ、そう解釈できるのをわかった上で言いました。

 我慢してるのはお互い様。嫉妬したのもお互い様。

 私たちは二人とも、同じ気持ちを持て余しながら耐えている。

「わっ」

 突然腰を抱き寄せられて、慌てて周囲を見回してしまう。誰もこっちを見ていないな、と少しだけ安心した刹那、樹くんの甘い唇が耳元を撫でるようにかすめた。

「期待してる」

 直接脳に流し込まれる、囁くような低音ボイス。

 確かな熱を帯びたその声に、私は両手を膝の上で握ると真っ赤な顔でうなずいた。
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