幸せでいるための秘密
*
電話番号を登録する段階になってはじめて、私は桂さんの名前を知らないことに気がついた。
仕方がないので電話帳には『桂さん』と、ありのままで登録する。
まあ名前以前に、私は桂さんのことを何も知らない。いつから病院に入院しているのか、そもそもどんなご病気なのか、どんな身分の方なのか……。
最後のひとつはだいたい想像がつく。あんな病室に長々入院しているくらいだ。それはもう、私みたいな庶民なんかでは、普通なら口も利けないような方のはず。
(必ず来て、か)
初めてお会いした日のことを思い出す。
窓辺に腰かけ、街を見下ろす桂さんの横顔は、孤独に慣れて寂しさすら忘れてしまっているように見えた。
(今までと違って自由に出歩けるし、仕事の帰りにまたお邪魔してみようかな)
「百合香」
部屋の外から樹くんの声が聞こえた。
慌ててスマホをハンドバッグにしまい、私はスカートのしわを叩く。髪型よし。服装よし。お化粧は、まあ……これでいいや。
「ごめん、すぐ行くね」
すでに靴を履き終えた樹くんが、ドアノブに手をかけて微笑んでいる。
そう、私たちは今日ようやく……普通のデートに行くのです!
最後にこのショッピングモールに来たのは、まだ私たちが単なるルームシェア仲間だった頃。
樹くんのパジャマを買いに来たはずだったけど、結局満足に買い物もできず、逃げるように駅へ向かう中で里野彰良と再会した。
ずいぶん昔のことのようだけど、実はあれからまだ半年も経っていない。本当に私のここ数か月は怒涛の勢いで過ぎていったと思う。まあ、ストーカーで不自由する期間なんて、短ければ短いほどいいに決まっているのだけど。
「今日は絶対に樹くんのパジャマを買います」
「俺は百合香の服を見に行きたい」
「まずパジャマです。椎名くんにもさんざん馬鹿にされたじゃない」
懐かしい! クソダサジャージ! と、げらげら笑う椎名くん。ちなみに椎名くんのクローゼットにもまったく同じジャージがしまわれていて、試しに着てみてとお願いしたけど丁重にお断りされてしまった。
それにやっぱりジャージは寝づらいだろうし、いっそ私からのプレゼントということで新しいパジャマを……と思っていると、突然樹くんの人差し指が私の唇をつんとつついた。
指先を視線で追いかけると、少しむっとした表情の樹くんと目が合う。彼は帽子のつばを軽く持ち上げ、
「他の男の名前は禁止」
と、拗ねたような声でたしなめた。
電話番号を登録する段階になってはじめて、私は桂さんの名前を知らないことに気がついた。
仕方がないので電話帳には『桂さん』と、ありのままで登録する。
まあ名前以前に、私は桂さんのことを何も知らない。いつから病院に入院しているのか、そもそもどんなご病気なのか、どんな身分の方なのか……。
最後のひとつはだいたい想像がつく。あんな病室に長々入院しているくらいだ。それはもう、私みたいな庶民なんかでは、普通なら口も利けないような方のはず。
(必ず来て、か)
初めてお会いした日のことを思い出す。
窓辺に腰かけ、街を見下ろす桂さんの横顔は、孤独に慣れて寂しさすら忘れてしまっているように見えた。
(今までと違って自由に出歩けるし、仕事の帰りにまたお邪魔してみようかな)
「百合香」
部屋の外から樹くんの声が聞こえた。
慌ててスマホをハンドバッグにしまい、私はスカートのしわを叩く。髪型よし。服装よし。お化粧は、まあ……これでいいや。
「ごめん、すぐ行くね」
すでに靴を履き終えた樹くんが、ドアノブに手をかけて微笑んでいる。
そう、私たちは今日ようやく……普通のデートに行くのです!
最後にこのショッピングモールに来たのは、まだ私たちが単なるルームシェア仲間だった頃。
樹くんのパジャマを買いに来たはずだったけど、結局満足に買い物もできず、逃げるように駅へ向かう中で里野彰良と再会した。
ずいぶん昔のことのようだけど、実はあれからまだ半年も経っていない。本当に私のここ数か月は怒涛の勢いで過ぎていったと思う。まあ、ストーカーで不自由する期間なんて、短ければ短いほどいいに決まっているのだけど。
「今日は絶対に樹くんのパジャマを買います」
「俺は百合香の服を見に行きたい」
「まずパジャマです。椎名くんにもさんざん馬鹿にされたじゃない」
懐かしい! クソダサジャージ! と、げらげら笑う椎名くん。ちなみに椎名くんのクローゼットにもまったく同じジャージがしまわれていて、試しに着てみてとお願いしたけど丁重にお断りされてしまった。
それにやっぱりジャージは寝づらいだろうし、いっそ私からのプレゼントということで新しいパジャマを……と思っていると、突然樹くんの人差し指が私の唇をつんとつついた。
指先を視線で追いかけると、少しむっとした表情の樹くんと目が合う。彼は帽子のつばを軽く持ち上げ、
「他の男の名前は禁止」
と、拗ねたような声でたしなめた。