八月十五日の花火
黒にストライプの入った浴衣に袖を通すと、地肌がシャリシャリとくすぐったい。去年足首を隠していた裾が、今年はくるぶしをのぞかせている。すでに空砲が何度か空に響き、その時が迫っているのを知らせてくれる。時間を見計らって、ゆるりと縁側に腰を下ろす。
そのタイミングで、まだ少しだけ明るさの残る夜空に、白い筋が走っていく。
八月十五日。今年も、時間通りに花火が打ち上げられた。
この花火は、お盆にあの世からこちらに戻って来る死者の魂を表してるんだって。花火みたいにパーッと広がって、家族のもとに帰っていくそうだ。べつに家族とは限らない。会いたい人がいれば、その人に会いに行く。
この花火が、大切な人と引き合わせてくれる。
そう言う意味合いの、花火だ。
規模はそれほど大きくはないけど、何年も前から続く、この地域の伝統の花火大会だ。それを贅沢にも、うちは家の縁側から見ることができる。我が家はこの花火大会の穴場スポットなのだ。だからって、大して人が集まってくるわけでもないけど、俺も浴衣なんか着ちゃってスタンバイする。
お盆期間中に先祖の魂がこの世に戻ってくる日や、あの世に帰って行く日と言うのは諸説あるらしい。だけど、うちは八月十五日と決まっている。じいちゃんがそう決めた。だから諸説あっても、うちはそういうことになっている。
なぜなら、今日は俺の誕生日だからだ。
「孫の誕生日に帰ってこない先祖がどこにいる?」
俺のために先祖の魂は我が家に帰って来るらしい。
ただ、この日が誕生日であることを、俺は少々複雑に思っている。だってお盆真っただ中だよ。先祖の魂が帰って来るって聞こえはいいけど、正直、気味が悪い。霊がその辺をうようよしてるって想像するだけで寒気がする。
買い物に行くとお盆商戦が地味に展開され、のぼりも「お盆」の文字が躍る。お盆に行く場所といったら、母親の実家か先祖代々の墓ぐらいだ。
そして何より特筆しなければいけないのは、この八月十五日が、終戦の日ということだ。
八月に入ったとたん、テレビにはしきりに戦時中の映像が流れ、戦争特番が打ち出される。そして八月十五日になると、チャンネルが軒並み終戦の話題一色だ。
確かに、長きに渡る戦争が終わりを迎えた記念すべき日だ。だけど、その日が誕生日と重なった現代っ子の身にもなってほしい。誕生日のわくわくが、午前中の墓参りと、世に流れる終戦特番でさすが萎える。
さらに俺の頭をよぎるのは、じいちゃんの言葉。
「お前は終戦の日に生まれたありがたい子どもだ。日本男児として、お国のために散っていった命の分まで精いっぱい生きろ。この日に生まれたことを誇りに思え。お前は平和の象徴だ」
故に俺の名は「享平」と名付けられた。
「平和を享受する」で「享平」。
この日本国憲法に出てきそうな名前を付けたのは、他でもない、じいちゃんだ。
そのじいちゃんは今、花火師としてあの大輪の花火を打ち上げている。
じいちゃんが教えてくれた。
花火師は、死と隣り合わせの仕事だ、と。
花火を作るのも、花火を上げるのも、いろんな意味で命を懸けている、と。
そんなじいちゃんをかっこいいと思っていた。自慢のじいちゃんだった。最近までは。
俺は、じいちゃんみたいにはなれない。
命を懸けるほどのことはしていないし、「死」と向き合うような境遇でもない。
同じような毎日の繰り返しがあるだけ。
今日だって、いつもと特に変わらない三百六十五日のうちの一日。閏年になれば、それが一日増えるだけ。
この日に誇りを持つこともないし、自分が平和の象徴だなんて、胸を張ったりもしない。
俺はただの、十七歳になったばかりの男子高校生。戦中生まれのじいちゃんとは違う。
「お前たちは恵まれている。平和な世の中に感謝しろ」とじいちゃんはしょっちゅう言うけれど、こちらはこちらで大変なのだ。
勉強とかクラスの人間関係とか、進路とか将来とか。SNSとか流行とか。この世の中の目まぐるしさに飲まれ、諦めとため息を繰り返す現代。
しんどくなったら、手におさまる薄い板を叩いて、それを眺めていれば一日がなんとなく終わっていく。そうやって目をそらして、戦うこともせず、逃げることだってできるけど、その光が消えると同時にまた現実に戻された時の虚無感ときたら、言いようがない。徒労感に支配され……難しく説明してるけど、詰まるところ何も解決していないということだ。
戦時中とはまた違った生きにくさや不自由さが、今の世の中にはある。
そんな世の中で、命を懸けて熱くなって、必死に生きるなんて、なんとなくカッコ悪いと思ってしまうのは、周りにそんな大人がいないからだ、なんて言うのは、ただの言い訳だ。
だって俺のそばには、そういうじいちゃんがいるんだから。
命をかけて熱くなって、必死に生きる、じいちゃんが。