八月十五日の花火

 次々と打ち上げられる花火を俺はぼんやりと眺める。

 絶景かな。

 毎年のことで当たり前すぎて、この絶景すら、ありがたみを感じない。
 座敷にある年季の入った長テーブルには、いつの間にか豪華な料理が並んでいた。寿司に唐揚げにポテトにコーラ。昔から変わらない、誕生日のパーティーメニュー。
 いやいや、もう高校生なんだからこんな小学生みたいなメニュー喜ぶわけないだろう、とため息の一つもつきたいところだけど、正直悪くない。歳は取っても、俺の精神年齢は全く変わっていないということか。

 つけっぱなしのテレビからは、幼い子どもの笑い声と、若かりし頃の両親の高めの声が流れて来る。そして時々、豪傑のようなじいちゃんの笑い声と、もうほとんど思い出せない、ばあちゃんの声も。

 これも毎年の光景だ。
 この日、うちのテレビは俺の幼い頃のビデオ記録に電波ジャックされる。一日中、俺の幼い頃の映像が流される。だからうちでは、この時期やたらと多い戦争番組も、玉音放送も流れることはない。確かに忘れてはいけない歴史の一ページであるけれど、さすがにそんな映像や音声を聞きながらこのパーティーメニューを囲むのは忍び難く耐えがたい。

「ねえこの写真見てよ。こんなにかわいかったんだね、享ちゃん」

 キッチンの方から、母親のはしゃぐ声が届いた。大方昔の写真でも見ているのだろう。
「毎年見てんじゃん」と軽くあしらうと、「ねえ、お父さん」と今度はグラスを運ぶ父親に同意を求める。
 いい歳して、まるで若い夫婦のように毎年二人であんなふうにはしゃいでいる。

 どーんとまた大きな音が鳴って花火が弾ける。
 その絢爛豪華な花々が、俺の視線を夜空に引き戻した。
 

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