八月十五日の花火

「メーン」

 突然脳天にものすごい衝撃を受けた。頭頂部を押さえながら振り返ると、その姿に思わずはっとなって言葉を失った。そんな俺の代わりに、友樹が軽い調子で声を出す。

「おお、美緒。決まったな」

 二人して悪ガキの表情を作って、俺の目の前でハイタッチを交わす。まったく癪だぜ。

「お誕生日おめでとう。はい、ケーキ」

 憮然としている俺の目の前に、すっと大きめの箱が差し出された。俺はそれをそっと受け取った。大切なものを扱うように。
 俺の誕生日のケーキは、いつのころからか美緒が焼いて持ってきてくれるようになった。

 美緒もまた、俺の家の隣に住む幼なじみだ。そして美緒の祖父もまた俺たちのじいちゃんの幼なじみであり、父親同士が幼なじみであり、俺たちと同じく、友樹のじいちゃんの剣道場に通っていた。ただ美緒は、俺たちより二つ年下だった。

 俺はまだ痛む脳天を押さえながら、「ありがとう」と唇を突き立てたまま受け取った。

「まったく享ちゃんは、油断しすぎなんだよ、毎年毎年。この時間になったら、そろそろ私のメンが来るなって、構えてないと」
「それはメンじゃなくて空手チョップだろ。友樹も気づいてたんなら言えよ」
「言ったら面白くないだろ?」

「ねーー」なんて、仲良さげに二人で同調する。そんな二人に挟まれて、俺の気分がいいわけがない。
 不貞腐れていると、不意に美緒が俺の顔をのぞき込んできた。俺を見つめるその大きな瞳に、心臓がドクンとひとつ大きく脈打った。

「ねえ、どう? 今年の浴衣」

 俺は視線だけで美緒の姿を上から下までなぞった。
 美緒は、うっすらと水色がかった生地に、朝顔の花が散りばめられた浴衣を身にまとっていた。朝顔のぱっと開いた顔が、まるで花火のようだった。
 年々そのデザインと着こなしが大人っぽくなっているのは気づいている。いつも背中で揺らしているサラサラのロングポニーテールも、今日はふわふわとさせて、うなじ辺りで一つにまとめている。遅れ毛なんかもいっちょ前に出しちゃって、色気が中三とは思えない。多少化粧もしているのか、いつもに増して目元がぱっちりして、肌にキラキラと光るものがかすかに見える。そして、甘いいい香りを漂わせている。

「ん? うん……いいんじゃない?」

 と、さりげなく美緒と距離を置きながら答えると、「もっとないの?」と不服な声が返ってくる。

「頑張って準備したのに」
「そんなんだから、いつも花火の時間に間に合わないんだろ?」
「もうひどいなあ。女の子はね、準備に時間がかかるものなの。そんなんだから享ちゃんはモテないんだよ」

言い返す言葉もないので、唇を突き立てて不服の意を示す。

「心配しなくても、ちゃんと部屋から打ち上がるの見てたよ。私、享ちゃんのおじいちゃん花火、好きだし」

 部屋から……

 俺はそっと、隣の家を見上げた。美緒の部屋の窓は、探さなくても目が無意識にとらえる。

 レースのカーテンが、少しだけ開いている。

__ちゃんとカーテン閉めて着替えたんだろうな。

 急に顔に熱が集まってくるのを感じた。

 美緒は、女子としての自覚がいつも足りない。っていうか、自分の可愛さを、もっと自覚した方が良い。

 美緒は、俺と違って剣道がめちゃくちゃ強かった。何度美緒に負かされたことか。
 背筋をすっと伸ばして悠々と歩くたびに揺れるサラサラのポニーテールは、彼女の強さの象徴に見えた。竹刀を持たなくてもその立ち姿は凛々しく、思わず目を細めてしまう。竹刀を持てばその凛々しさが一層際立ち、見る者の視線を釘付けにする。切れ長の目に宿る光は鋭く、面の中からその目でこちらを見据えられると、全く身動きが取れなくなる。そしてぐいと近づいたその瞬間には、俺はいつも床の上で伸びきっている。手も足も出ない。それなのに、

「ねえ? 享ちゃん?」

 このギャップ。
 この「享ちゃん」と甘えるような呼びかけに、俺は弱い。
 剣道をしている時のあの鋭い目が嘘のように瞳をくりくりとさせて、俺を上目づかいで見てくる。防具臭さとは無縁のいい香りと清潔感を放ちながら、美緒は無防備に俺に寄り添ってくる。今にも、手も足も出てしまいそうになる。

「そんな怖い顔しないでよ。ちゃんと「享平」が打ちあがるまでには、いつも間に合ってるでしょ?」

「享平」と言うのは、じいちゃんが俺のために作る、じいちゃんのオリジナルの花火だ。いつも花火大会のどこかで打ち上げられる。たいてい花火大会終盤の、大玉に紛れて。子煩悩ならぬ孫煩悩。まったく職権乱用も甚だしい。
 
 美緒が俺のそばにちょこんと座った。
 ふわふわとした柔らかい毛が躍るうなじに、目がひき寄せられる。今日はいつにもましていい匂いがする。
 浴衣の裾から伸びる裸足は、普段から道場で見ていたはずなのに、下駄を履いた素足には、なぜかどぎまぎしてしまう。その爪の先に普段は塗らないネイルを施しているからだろうか。

 どこを見ていいのかわからない。同じ空気を吸っていいのかわからない。何を話していいのかわからない。
 もじもじとしながらさらに距離を取ると、隣の友樹の腕に体がぶつかった。すると、友樹はきょとんとした顔を見せた。

 行き場を失くしてもなお漂ってくる美緒の甘い空気に気圧されて、「母さん、ケーキ」と声をひっくり返しながら、俺はとうとうその場を立ち去った。
 去り際に、遠くの空をちらりと見上げた。色とりどりの花火が次々と打ち上げられる。
 
 まだ上がらない。
 まだ花火大会は始まったばかりだ。
 まだ上がる時間じゃない。

 それでも、我が名を冠したその花火に、思いを募らせずにはいられなかった。


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