八月十五日の花火
トイレで精神統一をしてから縁側に戻ると、庭にはビニールシートが敷かれ、その真ん中に友樹が持ってきたスイカが横たわっていた。先ほどまでアルバムに興じていた両親も庭に下りている。
「おっ、やっと主役が戻ってきた」
そう言うなり、友樹は俺の目元に手拭いを巻き始めた。
毎年恒例、スイカ割りが始まる。
危なげな足取りで庭に下りると、十回体を回される。手に握るのは竹刀ではなく、その辺に落ちていた太めの棒だ。このスイカ割りイベントの創始から、かれこれ数年の付き合いになる。
遮られた真っ暗な視界の中を、ふらつく体の重心をしっかり保って前に進む。俺だって幼いころから剣道をたしなみ、最近までやっていたんだ。カッコ悪い所は見せられない。
浴衣の裾に弄ばれながら、俺はそろそろと足を踏み出す。
「違う違う」
「そっちじゃない」
「いや、こっちだって」
どっちだよ!
カッコつけて伸ばしていた背筋が、次第にへっぴり腰になる。
「そこそこ」とはしゃぐ声をとらえた後、振りかぶって一気に切り込む。
__メーーーン!
棒の先からジーンと手のひらに衝撃が走った。手ごたえは、毎年同じだ。棒の先が地面にめり込む感触ばかりで、叩けばコンコンと軽い音が鳴る、未だ野菜・果物論争の絶えない果実を割った感触はない。
「やっぱここは美緒っしょ」
やっぱここは……って、主役は俺っしょ。
まあ毎年のことだけど、俺は前振りだ。
手拭いを外すと、三半規管がまだ復活していないのか、周りの景色もまだ回る。そんな俺をよそに、みんなが美緒の周りに集まっていた。母さんの手によって、美緒の浴衣にタスキがかけられる。
「ねえ、享ちゃん」
回る視界の中で、美緒が俺を呼ぶ声をふわりと捉える。
「え?」
気の抜けた声で返事をすると、ため息混じりの呆れた声が返ってきた。
「もう、何ぼんやりしてるの? 早く目隠ししてよ」
「お、おう」と慌てて美緒の後ろに立った。
後ろから美緒の目元に手拭いを回す前に、ごくりと唾をひとつ飲み込んだ。
俺よりも十センチほど背の低い美緒の後ろ姿を目でなぞった。
両うなじのまぶしさに、ぐらつく目が一瞬で冴えた。手拭いを美緒の顔の前にまわすと、俺と美緒の体の距離が一気に縮まった。このまま後ろから抱きしめてしまえそうな態勢に、ドクドクと心臓が派手に音を立て始める。聞こえてしまわないか、心配になるほどに。髪形を崩さないように、その小さな顔に腕がぶつからないように、そっと慎重に手拭いを目元に置いた。だけど今度は、後ろで手拭いを結ぶ指先が震えだした。
__だから、いい匂いなんだって。髪がふわふわしてるんだって。
そうしていつまでもまごついていると、「下手くそかよ」なんて笑いながら、友樹が俺の手から手拭いを奪っていった。そして友樹は、いたって冷静に、平然と、その大役をやってのけた。
「ほい、完成」と友樹が放った時、その手が、美緒の両肩にそっと触れた。いや、きゅっと握った。いや、抱いた?
とにかくその一瞬、俺の胸のあたりがモヤりとした。そんな気持ちを抱いている間に、美緒の体が回転し始める。回転が終わると、美緒はふっと短い息を吐き出した。先ほどまで醸し出していた甘い空気がその一瞬で吹き飛び、急にピリリと緊張感が走る。
「もっと右、右」
「そのまままっすぐ」
「ああ、ちょっと右行き過ぎ、もう少し左、三十度ぐらい」
エラい丁寧だなあ!
楽し気に行われるスイカ割りを、俺はいろんな不満を抱きながら端の方で腕を組んで見ていた。
「そこそこ、行け!」
中段で棒を構えた美緒が、すっと息を吸うのがわかった。そして棒が振り上げられる。
「メェーーーーーン」
その勢いに、そのすがすがしさに、息をのんだ。
花火の轟音と共に、その声は、いよいよ闇を濃くした空を貫いていった。
地面には、見事に真っ二つになったスイカが転がっていた。