八月十五日の花火
いつの間にか美緒も慌ただしい準備の手伝いに加わって、今まで隣に感じていた青春の甘酸っぱさはすっかり消えてしまっていた。その代わり、「ほら」と手元にコーラの入ったグラスが渡される。顔を上げると、友樹が何でもない顔をしてそこに立っていた。俺は何も言わずにそっとグラスを受け取った。
「よかったな」
不意に友樹がそう言った。
「え?」と見ると、目元をワクワクさせながら、真っ暗な夜空を仰いでいる。
「今年も「享平」打ち上げてもらえて」
「え? ああ……まあ……」
「それに、美緒にも告れて」
その言葉に、俺は隠しきれない動揺で声を震わせながら、「はあ? こ、告ってないし」と鼻で笑って答えた。
その声が何ともおどおどしていて情けない。
「え? マジ? あの雰囲気はもう告ったのかと思ったのに」
「見てたのかよ」
「そりゃあ、あの場にいたみんな、穴と言う穴を開いて見守ってたよ」
うーわ……とげんなりだ。
だけど俺は、「ひひひ」といやらしく笑う友樹の顔をうかがうように見てから、ぼそりと言った。
「お前は、どうなんだよ」
「え?」
「美緒のこと」
「なに?」
「とぼけんなよ。美緒のこと、好きなんじゃ……」
「俺がいつ美緒のこと好きって言った?」
俺の言葉を途中で遮るように、わざと力強く友樹は言った。その言い方が、俺の胸に引っかかってくる。
「違うのかよ?」
「さあ、どうかな?」
小首を傾げて、俺から視線も逸らす。
「なんだよ、それ」
「享平は俺が美緒を好きでいてほしいの?」
「そういうわけじゃないけど。幼なじみって、そういうのあるじゃん。三角関係とか」
「うわっ、何それ、いつの時代の恋愛マンガ?」
「現在も絶大な人気を誇るよくある設定だよ」
「ははっ」と友樹は可笑しそうに笑った。
それで誤魔化すつもりか?
俺はそのふざけた笑顔を切り捨てるような鋭い視線を作って、友樹を見やった。
「じゃあ、俺がお前から一本取れたら、教えろよ」
「あれぇ? 剣道はもうやらないんじゃなかったっけ?」
「……強く、なりたいんだよ」
「ほう」と友樹がその瞳を冷たく光らせる。だけどすぐに「ふん」と鼻で笑って、目を細めた。
「一本ねえ……」
バカにしたような声と、あざ笑うような笑みが、俺に向けられる。
「な、なんだよ。俺にとってお前から一本取るのが精いっぱいだ」
「一本、とれるんだ、俺から」
「うっ……」
「ははっ、情けねー」
呆れたように友樹は言った。だけどその声は、どこか楽しそうだった。
「二十秒前。みんなグラス持った?」
母さんの張りのある声が、みんなの手元を見渡す
十五秒前の号令が、庭に響き渡る。その中に、静かな声がぽつりと、俺の耳にだけ届く。
「そんなんじゃ、美緒を任せられないな」
「……え?」
俺は声の方に、さっと首を向けた。友樹の、鋭く見下すような目が、そこに待ち受けていた。
「勘違いすんなよ、享平。美緒が好きなのは、お前の誕生日だからな」
「わ、わかってるよ」
「美緒を守れるぐらい強くなきゃ、俺は認めないよ」
友樹のいつにない真剣なまなざしが、俺の胸を突く。
「……十秒前―」
「耳の穴ふさいで待ってるわ」
にっと笑う、自信に満ちた笑みを付けた果たし状が、俺の目の前に突き付けられる。
「九……八……七……」
俺は怖気づきそうになるへっぴり腰を、体の重心を意識して立て直して強気に出る。
「髪も黒に戻せよ」
参ったなと言う風に、友樹が自分の髪を手でわしゃわしゃっとかきむしる。
「……六……五……四……」
漆黒の闇の中に、ものすごい速さでスーッと白い線が走っていく。
「はーあ、せっかくの色男が台無しだぜ」
そのまま友樹は夜空に視線を走らせる。
「三……二……」
俺もその後を追いかける。
「一……」
色とりどりの星が、夜空で爆ぜる。
その瞬間__
「ハッピーバースデー」
美しい花火が夜空を彩り、その音にも負けないくらいの歓喜の拍手と祝福の声が、戦争色に染まってしんみりしたこの世界に、場違いのように広がる。
その光景に、胸が震えた。毎年見ている光景なのに、毎年のことなのに、今日も同じ八月十五日だったのに、俺は初めて感動を覚えた。目にこみ上げる涙をこらえるのに、必死になった。
__死にたくない。
強くそう思った。
__死んでる場合じゃない。
まだ暗闇をゆらゆらとたなびく「享平」が残した煙を見つめて、そう強く自分に言い聞かせた。
死にたくない理由が、目の前にある。
俺を見守るいくつもの眼差し。
そっと背中を押して歩いてくれる存在。
そして、愛おしく、守りたいぬくもり。
それを俺は、まだ失いたくない。
そしてこの花火を、また来年も、再来年も、その先も、見たい。
今日と変わらない、八月十五日に。
大切な人に囲まれて。
__俺はまだ生きる。生きたい。
八月十五日。
俺の誕生日。
俺は好きだ。この日が。
その日は俺に、俺が生きる意味を、教えてくれるから。