転生したら幼精霊でした~愛が重い聖獣さまと、王子さまを守るのです!~

10 聖獣様の重たい愛

 ジーンが次期ヴァルキュリアを目指すと決意して、およそひと月が過ぎた。
 その間のジーンの生活はにわかに忙しかった。
 ジーンはまず朝早くに起きて、りんごの木の世話をした後、大樹を下ってアスガルズ宮に向かう。そこでヴェルザンディにヴァルキュリアとして必要な知識の教授を受ける。
 それからヴァルキュリアは騎士でもあるから、日が沈むまで武術訓練に励む。
 夜になると大樹の上のすみかに帰って来て、ヴェルザンディに貸してもらった本を読む。
 ジーンは本を読むのも覚えるのもゆっくりだが、黙々と続けることは得意だった。だから彼女自身気づいていなかったことだが、勉学には向いている娘のようだった。
 ただ、武術の方はまるで駄目だった。そもそも銀の防具がふんだんにつけられたヴァルキュリアの装備を身に付けた状態で動くことができない。だから今は武術訓練といいながら基礎体力作りばかりしていた。
 ジーンはある日、顔に当たる光のまぶしさに慌てて目を開く。
 太陽がずいぶん高い場所にあった。木漏れ陽はとっくに朝の光の白さを収めてきらきらと輝いている。
(どうしよう。遅刻だ)
 もう昼近くだと気づいて、ジーンは慌ててベッドから下りようとする。
「う」
 でも足が立たなくて、ジーンは床にうつ伏せに倒れ込んだ。動物たちが心配そうに寄って来る。
「ジーン!」
 ジーンが倒れたのとほとんど同時に小屋の扉が開いて、イツキが足早に入って来た。慌てた様子で、ジーンを抱っこしようとする。
 ジーンはイツキの手を留めながら言った。
「大丈夫です。体が張っているだけ」
 この一月の厳しい訓練で、貧弱なジーンの体は悲鳴を上げてしまった。節々が痛くて、少し動いただけでも体が軋む。
「自分で起きますから」
 首を横に振って、ジーンは震えながら体を起こした。何とか自力で立ち上がると、ジーンは窓の外を見やる。
「寝坊してしまって。急がなきゃ」
「今日は休日ですよ」
「あ……」
 イツキの心配そうな言葉にジーンは短く声を上げる。そういえば昨日、一月の間休みなしであったから一日くらいゆっくりしてくるようにとヴェルザンディが言ってくれたのだった。
 ジーンはほっと胸を撫でおろして、それから今日一日何をしようか思案した。
 イツキはジーンを見下ろして優しく言う。
「今日一日くらいは静かにお体を休めてはいかがですか。りんごの木の世話は私がしますから」
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ」
 ジーンはイツキの心遣いをうれしく思いながら言う。
「ヴェルザンディ様も、少しずつでも体を動かした方が楽になると仰ってました。それに久しぶりに村の人たちに会いたいんです」
 ジーンは普段木の上で暮らしているが、時々は物々交換に木の下の村へ降りていく。ここのところ忙しくてなかなか会えなかったが、ジーンは村の人たちが好きだった。
 イツキは目礼してジーンに告げる。
「あなたの御心のままに」
 イツキは心配そうなまなざしを残したまま、部屋を出て行った。
 ジーンは肌着の上からスカートを被って着替えるが、それだけでも体が強張って大変だった。もっと小さい頃のようにイツキに手伝ってもらったらどんなに楽だっただろうとも思った。
(だめ。イツキさんに頼ってばかりじゃ。自分の力でやらなきゃ)
 ジーンは幼い頃から動物や植物に助けてもらっていろんなことをしてきた。イツキについてはお母さん以上に頼ってしまっている。
(したいことをみつけた。がんばろう)
 魔獣に傷つく人をなくしたい。そのためにヴァルキュリアになる。
 ジーンは心に決めて、これからはイツキになるべく手を貸さないようにと頼んでいた。
 でも長年染みついたものは簡単には消えないようで、イツキは物陰からそんなジーンをもどかしそうに見ていた。
 今日もジーンはりんごの木の世話をしていたが、ジーンが危うい動きをするたびに物陰でイツキがびくっとする。
「ジーン、足元にとげがあります!」
「あ」
 イツキは草で切り傷ができそうになると、反射的にジーンを抱っこしてしまった。
「大丈夫! 大丈夫ですよ、イツキさん」
「申し訳ありません……」
 なぜかジーンがなだめる側に回っていて、イツキが謝るのもなんだか変だった。
 ジーンが大樹を下っていくのもイツキははらはらしながら見守って、何も言わずに後ろをついてきた。
(ごめんなさい、イツキさん。でも自分でしたいのです)
 体は重たくて辛かったが、心は晴れやかだった。動物たちや植物も、ジーンが笑っているのに満足したのか、ジーンを遠目に見つめているだけだった。
 ふもとまで降りてくると、ジーンは村人に声をかける。
「お久しぶりです、これいつものりんご……」
「ジーンか。待ってたよ!」
「え?」
 驚くジーンに、彼らは大急ぎで集まって来て口々に言う。
「先日、ヴェルザンディ様が直々にいらしてね。ジーンを次期ヴァルキュリアになさるって仰ったんだよ」
「こんな栄誉はないぜ。この村からヴァルキュリアが出るなんて」
 彼らは喜色満面に言い合って、ジーンの周りで騒ぐ。
 ジーンは少し気恥ずかしくなって頬をかく。
「立派な騎士のヴェルザンディ様のあとですから、私がなれるのかよくわからないのですが」
「いやいや。ジーンならやれる。あたしが保証してやる」
「よかったなぁ、ほんと」
 壮年の女性などは涙ぐんでいた。老人も家から出て来て、ありがたやとジーンの手を取って頭を下げる。彼らは農作業もそっちのけでジーンを囲んでいた。
 村人たちの一人が明るく声を上げる。
「宴を開こうじゃないか。たんと祝わないと」
「日取りを決めて盛大にやるぞ。ジーン、いつがいい?」
 ジーンは村人たちの気持ちが嬉しくて言葉が出なかった。こんなに喜んでもらえるとは思っていなかったからだった。
 彼らが自分を見守ってくれているのは知っていた。けれど異界から来て、樹上の生活を送る変わり者の自分は仲間になれるのか、ずっと心配だった。
 ジーンは泣きそうな顔で言葉を切り出す。
「お願いがあります」
「うん、なんだい?」
「お祝いは、私がほんとに騎士になれた時まで……とっておいてもらえますか」
 騎士団の騎士は幼少の頃から訓練を受けるが、彼らが一人前の騎士として叙任を受けるのは十八歳と決まっていた。
「私の年から訓練を始めるのは遅すぎて、今からじゃなれないかもしれないのです。……けど、がんばりますから」
 村人たちの喜びに水を差すようで申し訳なくて、ジーンは目を伏せながら言う。
 一瞬の沈黙の後、村人の一人が言った。
「わかった。待ってるよ」
 見上げた先には、いつものように微笑んでくれる人たちがいた。
「いつ騎士になってもいいようにちゃんと準備しておくからね」
「待ち遠しいこった。じいさん、ジーンのヴァルキュリア姿を拝むまではあの世に行くなよ」
「わかっとるわい」
 まるでわが子の成長を喜ぶようにはしゃぐ村人たちに囲まれて、ジーンは包み込まれているような安心を感じていた。
 今世の自分は温かい世界に生まれた。誰に感謝すればいいかわからないけど、いつか誰かに返せたらいいな。ジーンはそう思って笑う。
「がんばれよ、ジーン!」
「……うっ!」
 ふいに体格のいい農夫に肩を強く叩かれて、ジーンは紙人形のようにぱたりと倒れる。
「ど、どうした? おい」
「す……みません。少し体が」
 体中に走った痺れに似た痛みに、ジーンは起き上がることもできずにうめく。
 彼らはジーンを助け起こすと、一人が声を上げた。
「こりゃいかん。誰か、アナセンとこのばあさんを呼んでこい」
 ジーンが何とか起き上がろうともがいているうちに、壮年の男がジーンを背負って立ち上がった。
「あ、大丈夫……」
「だいぶ手足が張ってるぞ。いいから休んでな」
 ジーンが止める間もなく、すぐに近くの家に運び込まれてベッドに寝かせられる。そこの家の女主人は手早く湯をわかすと、ジーンの服を脱がせてその体がすっぽり収まるように湯で絞った布をかけてくれた。
 断るタイミングをなくしてしまって横になっていると、この村で一番のマッサージの腕を持っている初老の女性が入って来た。
「おやおや。ずいぶんがんばったんだねぇ、ジーン」
 彼女はジーンの体をゆっくりとほぐしてくれる。ジーンは布の温かさもあって、すぐに目がとろとろとしてきた。
 マッサージを受けている間、ジーンは心地よさにうたたねをしてしまった。
 夢の中でもジーンは眠っていた。大樹の根が絡まって籠のようになっている奥で、丸まって安らかな寝息を立てていた。
 大樹はささやくように歌いかけてジーンの眠りを見守っている。
 ジーンは眠りながらもどかしい気持ちでつぶやいていた。
(……帰りたい)
 ジーンは体をむずむずさせて首を横に振った。若芽が土の中にいる時のように、外に出る時を待ち焦がれた。
――まだだよ、ジーン。
 羊水のように温かな水中を漂いながら、ジーンは声を聞いた。
――まだ早い。耳を澄ませてごらん。
 大樹からはたくさんの様々な声が響いてきて、赤ん坊をあやすように優しく言った。
 大樹の言う通りにジーンが耳を澄ませると、地響きのような音が聞こえた。どこかで大樹の枝が切り落とされたらしい。
 大樹の根の上を、たくさんの者が駆けていく足音もした。一体どんな動物の足音だろうとジーンは不安になる。
 ジーンの心を読み取ったように、大樹は優しく答える。
――この上で、やって来た人間の国作りが始まったんだ。彼らは私たちを切り落とすかもしれない。
 大樹の声は穏やかで、そこに恐れや憎しみはなかった。たとえこのまま消えていっても後悔はないとでもいうように、静かにささやいただけだった。
(私、帰りたい。……あの子のもとに)
 どこにとも、誰のもとにとも、ジーンは思い出せなかった。ただ、たまらなく帰りたかった。
 ジーンは水中で身をよじって、帰りたいと繰り返す。
――もう少し。あの子は今ひとりでがんばっているから。見守っていなさい、ジーン……。
 そのうちに大樹の声は歌声に変わっていって、ジーンの意識を沈めていった。
 目覚めると、ベッドの脇の壁にもたれてイツキが歌を口ずさんでいた。それは昔からイグラントに伝わる子守り歌で、イツキは少し掠れた声で柔らかく歌う。
 ふいにイツキの歌が止む。イツキはジーンが目覚めたことに気づいたようで、心配そうに問いかけた。
「お加減はいかがですか?」
 ジーンはほほえんでうなずく。
「だいぶ楽になりました」
 ジーンの体はすっかり温まって、張り詰めるようだった痛みがずいぶんと鎮まっていた。
 ジーンは何気なくイツキに告げる。
「イツキさん、歌がとても上手なんですね。イグラントの人に教えてもらったのですか?」
 ジーンは目を覚ましてしまったのが残念なくらいだった。それくらいイツキの声は聴き心地のいい音色だった。
 イツキは困ったように言葉に詰まって、懐かしそうに目を細めた。
「遠い日、子どもだった私はあるじにすべてを教えてもらいました。暮らしのすべも、歌も、何もかも」
 ジーンが首を傾げて、あるじと繰り返そうとすると、マッサージをしてくれたアナセンばあさんが部屋に入ってきた。
「どうだい、ジーン」
 ジーンはアナセンばあさんに気を取られて、慌ててうなずく。
「ありがとうございます。すっかりいいです」
「ふむ。いいかい、騎士の訓練が忙しくとも、終わったらちゃんとマッサージしなさいな。体が強張ったままじゃ怪我の元だよ」
 アナセンばあさんはたしなめるように言って、ジーンの横の椅子に座った。
「フェルニル様にも感謝しなさい。ジーンが眠っている間、ずっと側にいてくださったんだよ」
 ジーンは窓の外で既に太陽が落ちているのに気づいた。ここのところの疲れが出たのか、ずいぶんと長い間ジーンは眠っていたようだった。
 ジーンはイツキに向き直って礼を言う。
「イツキさん、ありがとうございます」
「私はあなたに仕える者。私への礼は無用でございます」
 ジーンは起き上がって頭を下げようとしたが、その拍子にジーンの上に掛かっていた布が落ちる。
 その下は裸でジーンは慌てたが、どうしようと迷っているうちにイツキに肌着を被せられた。焦って手が動かないジーンの代わりに袖まで通されてしまう。
 イツキの甲斐甲斐しい様子に、アナセンばあさんが感心したように言う。
「騎士様というのは何でもなさるんだねぇ」
 アナセンばあさんは彼がジーンに仕える騎士だと思っている様子だった。アナセンばあさんは朗らかに続ける。
「それに真名の二つ名があるなんて、聖獣様みたいじゃないか」
「まな?」
 ジーンが聞き慣れない言葉に問い返すと、アナセンばあさんは神妙に頷く。
「あるじに聖獣として選ばれた時、聖獣様は不思議な響きを持つ名前を授かるんだそうだ。文字そのものに意味がある名前をね。それはあるじとの絆の形で、あるじ以外にはめったに呼ばせないのだそうだよ」
「そういうものが、あるんですか」
「古い時代には人間も皆持っていたそうだ。今は東方くらいしか、真名の風習は残っていないと聞くよ」
 ジーンはイツキさんと口の中で呟く。不思議と、「樹」という言葉が浮かんだ。きっとイツキのあるじは、イツキに大樹のように健やかに生きてほしいと思ったんじゃないだろうかと、ふと思う。
 イツキのあるじはどんなひとだっただろう。黙って思いを馳せていたジーンに、アナセンばあさんは話題を変えた。
「それより、あまり遅くならない内に帰りなさいな。大樹をうろついている余所者がいるそうだから」
 アナセンばあさんの毛嫌いしたような声に、ジーンは頭に疑問符を浮かべる。
「どんな人なんですか?」
「私も直接見たわけじゃないんだが」
 アナセンばあさんは唸るように呟いて答える。
「……およそ人間らしくない男だって」
 その言葉を聞いて、ジーンの中には暗雲が満ちるのを見上げているような不安が忍び寄ってきたのだった。
< 10 / 21 >

この作品をシェア

pagetop