転生したら幼精霊でした~愛が重い聖獣さまと、王子さまを守るのです!~
12 お姫さまの心配
夜が明けてジーンが目覚めた頃、イツキがやって来てジーンに言った。
「体がお辛くないなら、いつも通りに過ごしましょう。ヴェルザンディにも、マナトにも会うとよろしい」
ヴィーラントたちのことを思うとジーンも気持ちが温かくなって、ジーンはアスガルズ宮に出向くことにした。
ジーンはヴェルザンディにヴァルキュリアの教育を受けていたが、いつもヴェルザンディ自身に会えるわけではない。
ヴェルザンディはイグラントの王族で大変に忙しい。数年前から病身で政務が執れない国王の代わりに、彼女が中心となってイグラントの統治まで行ってきた。
彼女は統治者で、祭祀を行う聖職者で、騎士でもあった。樹の上で暮らすジーンはヴェルザンディの名前を知っているくらいだったが、勉強を始めてからはイグラントにとってかけがえのない人だと理解することになった。
そのヴェルザンディがヴァルキュリアの地位をジーンに譲ろうとしているという事実は、戸惑いの声も上がったらしい。特にヴェルザンディを中心にまとまってきた騎士たちは、ヴェルザンディの意志だとは聞いていても、最初は反対していた。
けれど一月の間ジーンを見守っていたことで、騎士たちのジーンを見つめる目は穏やかになりつつあった。
ジーンはその日も基礎体力作りにアスガルズ宮の城壁内を走っていた。
(あと少しで宮を一周できる)
ジーンは走ることも苦手でたびたび足をもつれさせて転んでしまうが、なんとか起き上がって走る。
(もうちょっと……あ、れ?)
広大なアスガルズ宮をあと少しで一周できそうなところで、ジーンの視界が真っ暗になった。
誰かがジーンを助け起こして叫ぶ。
「誰か、水! 水持って来なさい、早く!」
「は、はい、姫様」
ジーンは真っ暗な視界の中、体が動かなくてぐったりしていた。
顔に水の感触を受けて、その冷たさに少しだけジーンの視界が開けた。
「……ふれいあ、様」
「しゃべらなくていいから飲みなさい」
ジーンを覗き込んでいるのは騎士たちで、ジーンの口に水差しを押しつけているのはフレイアだった。
ジーンは赤ん坊が初めてミルクを飲むような拙さで水を口に含む。火照った体に、水は命の恵みそのものだった。
二口三口飲み干したところで、フレイアが怒鳴る。
「あんたね、失神する前に走るのやめなさいよ! まだ子どもなんだから無理しないの!」
「ごめんなさい。気づいた時には、もう真っ暗で……」
ジーンは感覚が鈍く、苦しいと思った時には既に意識がない。時々、自分は気づかない内に死んでしまったりするのではないかと思うくらいだ。
フレイアは顔を上げて別の方にも怒る。
「フェルニル、保護者のあんたが止めなさい!」
城壁の上でジーンを見守っていたイツキも、ジーンの側に下りて来ていた。怒鳴るフレイアに、イツキは苦しげにうつむく。
「私は主の御心のままに」
「阿呆! あるじだったらなおさら、臣下の義務を果たしなさい!」
ジーンはイツキを阿呆呼ばわりした人を初めて見た。彼が聖獣と信じるかどうかは別にして、騎士たちも村人たちもイツキに恐れながら接する。
ジーンは慌てて言葉を挟む。
「いえ、私がイツキさんに、なるべく放っておいてほしいとお願いしたから」
「主の言うことを聞きゃいいってものじゃないの。危険と見たら体張ってでも止めるのが臣下でしょ」
けれどフレイアは目を尖らせてイツキを睨むのをやめなかった。眩しいほどの巻毛の金髪が麗しい姫は、怒るとなおその激しさが美しかった。
周りに集まって来ていた騎士たちも、口々にジーンに声をかける。
「フレイア様の仰る通りです。無理はいけませんよ」
「これを。どうぞお使いください」
「あ、ありがとうございます」
濡れたハンカチをジーンに差し出してくれる騎士もいて、ジーンはお礼を返した。
フレイアはため息をついて騎士たちに言う。
「しばらく休ませるわ。あんたたちは訓練に戻りなさい」
騎士たちは気がかりな様子を残しながら、フレイアの言葉に従って訓練に戻っていった。
フレイアはジーンを抱きかかえて木陰まで連れていった。自らの膝にジーンの頭を寝かせて、騎士の差し出した濡れハンカチでジーンの顔を拭ってくれる。
ジーンはうろたえてフレイアに謝る。
「王族のお姫さまに……ごめんなさ」
「変に気を遣われるのも嫌いなの。黙って介抱されていなさい」
ぴしゃりと遮られて、ジーンは反射的に口をつぐむ。
見上げた先にあるフレイアの面立ちは、木漏れ日に照らされてこの世のものとは思えないほど淡く輝いていた。首から下には騎士の装備を身につけているのが、かえってその優雅さを際立たせていた。
フレイアはふいに静かに切り出す。
「……ジーン。あなたに意思がないって言ったのは謝るわ」
フレイアに見惚れて言葉もなかったジーンは、ふいにかけられた言葉の意味がよくわからなかった。
「意思がないのに、失神するまで訓練するわけがないもの。でも私にはあなたが何の意思で動いてるのかわからない」
フレイアは不機嫌さを収めて、ただ不思議そうにジーンを見下ろす。
「あなた、ヴァルキュリアの特権をすべて放棄したそうじゃない。どうしてそんなことをしたの?」
ヴァルキュリアは騎士団長に並び立つ者として様々な特権を与えられる。アスガルズ宮内に立派な邸宅を与えられ、通常の騎士の数倍の俸給を王家から受けた上、たくさんの召使に傅かれることが約束されている。
けれどジーンはそれらをすべて断って、今まで通り大樹の上で暮らしていきたいと伝えている。
ジーンは首を横に振って言う。
「私は今のまま暮らしていけたら幸せです」
「特権は必要だからあるのよ。ヴァルキュリアは激務だし、生涯純潔と独身を貫かなきゃいけない」
フレイアは眉を寄せてジーンに言い返して、声を低めた。
「……それに純潔を保つ必要があるのは、イグラントの危機の際にはフェルニルへの生贄になることが決まっているから」
ジーンの傍らに膝をついているイツキがうつむいた。
ジーンもその伝統は聞いていた。ヴァルキュリアの身分が高いわりにその地位を望む者が少ないのは、有事の際に聖獣フェルニルの力を乞うため生贄に捧げられると聞いた。イグラントという国になる前から、木の国に古くから伝わる伝統なのだそうだった。
実際に歴代のヴァルキュリアが生贄に捧げられたかどうかははっきりしないが、彼女らの墓は決して後世に残っていない。
フレイアは激しさではなく、ただ純粋な疑問をジーンに投げかける。
「ヴィーラントの側にいたいなら、妃か愛妾になれば済むことでしょ。ヴァルキュリアになったら寵愛も受けられないし、せっかくの特権も放棄してしまった。あなたは何を求めてるの?」
フレイアの問いかけには労わるような色があった。フレイアは眉根を寄せて、ジーンを見下ろす。
ジーンはしばらく黙って自分の言葉を頭の中でまとめた。やがてそっとフレイアに言葉を返す。
「フレイア様。私は前の世界で、やりたいことが何もなかったんです」
「え?」
ジーンはフレイアの青い瞳を見返して微笑む。
「風や、水や、光はいいなと思っていました。生き物の周りをゆっくり巡っていられたら、幸せだろうなって。けれどどうしてか、私はまた命あるものになりました。私は前の世界での知識といってもほとんどないですし、自分でもとても特別な存在とは思えないのですが……とにかく、また生き物として生まれたんです」
アスガルズ宮を仰ぎ見ながら、ジーンは告げる。
「それで、ヴィーラント様をみつけました。私は初めて生き物でよかったと思ったんです。意思を持ってヴィーラント様を手助けできるから」
ジーンはヴィーラントを見つめるだけで笑顔になれる。言葉を交わすだけで、優しい気持ちが溢れてくる。
フレイアは慎重に顎を引いて問いかける。
「……もし、ヴィーラントが他の誰かと結ばれても?」
ジーンはそのフレイアの問いに、迷わず頷く。
「それでもいいです。ヴィーラント様は人を愛し愛されて、たくさんの人たちに囲まれていてほしいと思います」
「わからないわ。あなたの感情は人間らしくないわよ」
「私にも、よくわからないです……」
それが精霊というものなのかはわからないが、ジーンには今の心を説明することは難しかった。
ジーンはフレイアから目を逸らして、イツキを見上げながら言う。
「でも、ヴィーラント様の支えになって、最後は聖獣様の命に還っていけたら、幸せだと思います」
イツキがジーンを見つめていた。二人の間で、穏やかな眼差しが絡み合う。
ジーンは近頃よく考える。自分はヴィーラントが愛おしいと思う。その気持ちは前の世界で感じた異性への感情とは多少違う気もするが、恋に近いものだと感じている。嬉しくて、楽しくて、心がふわふわしてくる。
けれどイツキが側にくると、ジーンは安心に包まれる。誰も来ない温かな水底で横になっているような思いがする。
二つの感情を貰える自分は、幸せな気がする。だからジーンはこの命が終わるまで、その感情の相手である二人を大切にしたいと思っていた。
フレイアは顔を引き締めて言った。
「騎士団の皆は、あなたを次期ヴァルキュリアと認めようとしてる」
フレイアは王族としての厳しい現実を口にする。
「ヴェルザンディは長年、ヴァルキュリアを王家と切り離したがっていた。このままでは本当に異界から乙女が来たとき、ただの権力の道具にされてしまうと。確かに一理あるけど、問題は異界からの乙女の代わりになれるのが、ずっとヴェルザンディしかいなかったこと」
国王は病身で政務が執れず、王妃は既にこの世にない。たった一人の王子はまだ十四歳で、それ以外で直系に一番近い王族であるフレイアは女性で王にはなれない。一方で異界からの来訪者は長い間現れず、ヴェルザンディに代わるヴァルキュリアはいなかった。
「やっと現れた異界の乙女は、ヴェルザンディがずっと求めていたヴァルキュリアそのものね。それはわかるけど」
フレイアはジーンの髪を梳いて、言葉に詰まった。
「……でもあなたは本当に人間ではないの? 人間に欲を捨てすべてを捧げるように求めるのは、酷だわ」
その言葉で、フレイアがジーンの未来を案じてくれているのが伝わってきた。いつも目を尖らせて怒鳴ってばかりだが、フレイアもヴィーラントと同じ優しい心を持っているのを感じた。
ジーンはほほえんでうなずく。フレイアは慌てて言葉を重ねた。
「べ、別に、あなたを心配して言ってるんじゃないの。イグラントのためよ」
フレイアは早口に否定したが、ジーンはもうフレイアを怖いとは思わなかった。
ふいに駆ける音が近づいてきて、ジーンはそちらを振り向く。
「おーい、ジーン! 倒れたって? 大丈夫か?」
ヴィーラントが近付いてくるのを見て、フレイアの目がきっと尖る。
「この馬鹿王子! あんたが頼りないから周りが苦労するんじゃないの!」
「はぁ? 何だよいきなり。ジーン、フレイアが何かしなかったか?」
睨み合う二人はそれでも仲がよさそうで、ジーンは微笑ましくなって頬を綻ばせていた。
「体がお辛くないなら、いつも通りに過ごしましょう。ヴェルザンディにも、マナトにも会うとよろしい」
ヴィーラントたちのことを思うとジーンも気持ちが温かくなって、ジーンはアスガルズ宮に出向くことにした。
ジーンはヴェルザンディにヴァルキュリアの教育を受けていたが、いつもヴェルザンディ自身に会えるわけではない。
ヴェルザンディはイグラントの王族で大変に忙しい。数年前から病身で政務が執れない国王の代わりに、彼女が中心となってイグラントの統治まで行ってきた。
彼女は統治者で、祭祀を行う聖職者で、騎士でもあった。樹の上で暮らすジーンはヴェルザンディの名前を知っているくらいだったが、勉強を始めてからはイグラントにとってかけがえのない人だと理解することになった。
そのヴェルザンディがヴァルキュリアの地位をジーンに譲ろうとしているという事実は、戸惑いの声も上がったらしい。特にヴェルザンディを中心にまとまってきた騎士たちは、ヴェルザンディの意志だとは聞いていても、最初は反対していた。
けれど一月の間ジーンを見守っていたことで、騎士たちのジーンを見つめる目は穏やかになりつつあった。
ジーンはその日も基礎体力作りにアスガルズ宮の城壁内を走っていた。
(あと少しで宮を一周できる)
ジーンは走ることも苦手でたびたび足をもつれさせて転んでしまうが、なんとか起き上がって走る。
(もうちょっと……あ、れ?)
広大なアスガルズ宮をあと少しで一周できそうなところで、ジーンの視界が真っ暗になった。
誰かがジーンを助け起こして叫ぶ。
「誰か、水! 水持って来なさい、早く!」
「は、はい、姫様」
ジーンは真っ暗な視界の中、体が動かなくてぐったりしていた。
顔に水の感触を受けて、その冷たさに少しだけジーンの視界が開けた。
「……ふれいあ、様」
「しゃべらなくていいから飲みなさい」
ジーンを覗き込んでいるのは騎士たちで、ジーンの口に水差しを押しつけているのはフレイアだった。
ジーンは赤ん坊が初めてミルクを飲むような拙さで水を口に含む。火照った体に、水は命の恵みそのものだった。
二口三口飲み干したところで、フレイアが怒鳴る。
「あんたね、失神する前に走るのやめなさいよ! まだ子どもなんだから無理しないの!」
「ごめんなさい。気づいた時には、もう真っ暗で……」
ジーンは感覚が鈍く、苦しいと思った時には既に意識がない。時々、自分は気づかない内に死んでしまったりするのではないかと思うくらいだ。
フレイアは顔を上げて別の方にも怒る。
「フェルニル、保護者のあんたが止めなさい!」
城壁の上でジーンを見守っていたイツキも、ジーンの側に下りて来ていた。怒鳴るフレイアに、イツキは苦しげにうつむく。
「私は主の御心のままに」
「阿呆! あるじだったらなおさら、臣下の義務を果たしなさい!」
ジーンはイツキを阿呆呼ばわりした人を初めて見た。彼が聖獣と信じるかどうかは別にして、騎士たちも村人たちもイツキに恐れながら接する。
ジーンは慌てて言葉を挟む。
「いえ、私がイツキさんに、なるべく放っておいてほしいとお願いしたから」
「主の言うことを聞きゃいいってものじゃないの。危険と見たら体張ってでも止めるのが臣下でしょ」
けれどフレイアは目を尖らせてイツキを睨むのをやめなかった。眩しいほどの巻毛の金髪が麗しい姫は、怒るとなおその激しさが美しかった。
周りに集まって来ていた騎士たちも、口々にジーンに声をかける。
「フレイア様の仰る通りです。無理はいけませんよ」
「これを。どうぞお使いください」
「あ、ありがとうございます」
濡れたハンカチをジーンに差し出してくれる騎士もいて、ジーンはお礼を返した。
フレイアはため息をついて騎士たちに言う。
「しばらく休ませるわ。あんたたちは訓練に戻りなさい」
騎士たちは気がかりな様子を残しながら、フレイアの言葉に従って訓練に戻っていった。
フレイアはジーンを抱きかかえて木陰まで連れていった。自らの膝にジーンの頭を寝かせて、騎士の差し出した濡れハンカチでジーンの顔を拭ってくれる。
ジーンはうろたえてフレイアに謝る。
「王族のお姫さまに……ごめんなさ」
「変に気を遣われるのも嫌いなの。黙って介抱されていなさい」
ぴしゃりと遮られて、ジーンは反射的に口をつぐむ。
見上げた先にあるフレイアの面立ちは、木漏れ日に照らされてこの世のものとは思えないほど淡く輝いていた。首から下には騎士の装備を身につけているのが、かえってその優雅さを際立たせていた。
フレイアはふいに静かに切り出す。
「……ジーン。あなたに意思がないって言ったのは謝るわ」
フレイアに見惚れて言葉もなかったジーンは、ふいにかけられた言葉の意味がよくわからなかった。
「意思がないのに、失神するまで訓練するわけがないもの。でも私にはあなたが何の意思で動いてるのかわからない」
フレイアは不機嫌さを収めて、ただ不思議そうにジーンを見下ろす。
「あなた、ヴァルキュリアの特権をすべて放棄したそうじゃない。どうしてそんなことをしたの?」
ヴァルキュリアは騎士団長に並び立つ者として様々な特権を与えられる。アスガルズ宮内に立派な邸宅を与えられ、通常の騎士の数倍の俸給を王家から受けた上、たくさんの召使に傅かれることが約束されている。
けれどジーンはそれらをすべて断って、今まで通り大樹の上で暮らしていきたいと伝えている。
ジーンは首を横に振って言う。
「私は今のまま暮らしていけたら幸せです」
「特権は必要だからあるのよ。ヴァルキュリアは激務だし、生涯純潔と独身を貫かなきゃいけない」
フレイアは眉を寄せてジーンに言い返して、声を低めた。
「……それに純潔を保つ必要があるのは、イグラントの危機の際にはフェルニルへの生贄になることが決まっているから」
ジーンの傍らに膝をついているイツキがうつむいた。
ジーンもその伝統は聞いていた。ヴァルキュリアの身分が高いわりにその地位を望む者が少ないのは、有事の際に聖獣フェルニルの力を乞うため生贄に捧げられると聞いた。イグラントという国になる前から、木の国に古くから伝わる伝統なのだそうだった。
実際に歴代のヴァルキュリアが生贄に捧げられたかどうかははっきりしないが、彼女らの墓は決して後世に残っていない。
フレイアは激しさではなく、ただ純粋な疑問をジーンに投げかける。
「ヴィーラントの側にいたいなら、妃か愛妾になれば済むことでしょ。ヴァルキュリアになったら寵愛も受けられないし、せっかくの特権も放棄してしまった。あなたは何を求めてるの?」
フレイアの問いかけには労わるような色があった。フレイアは眉根を寄せて、ジーンを見下ろす。
ジーンはしばらく黙って自分の言葉を頭の中でまとめた。やがてそっとフレイアに言葉を返す。
「フレイア様。私は前の世界で、やりたいことが何もなかったんです」
「え?」
ジーンはフレイアの青い瞳を見返して微笑む。
「風や、水や、光はいいなと思っていました。生き物の周りをゆっくり巡っていられたら、幸せだろうなって。けれどどうしてか、私はまた命あるものになりました。私は前の世界での知識といってもほとんどないですし、自分でもとても特別な存在とは思えないのですが……とにかく、また生き物として生まれたんです」
アスガルズ宮を仰ぎ見ながら、ジーンは告げる。
「それで、ヴィーラント様をみつけました。私は初めて生き物でよかったと思ったんです。意思を持ってヴィーラント様を手助けできるから」
ジーンはヴィーラントを見つめるだけで笑顔になれる。言葉を交わすだけで、優しい気持ちが溢れてくる。
フレイアは慎重に顎を引いて問いかける。
「……もし、ヴィーラントが他の誰かと結ばれても?」
ジーンはそのフレイアの問いに、迷わず頷く。
「それでもいいです。ヴィーラント様は人を愛し愛されて、たくさんの人たちに囲まれていてほしいと思います」
「わからないわ。あなたの感情は人間らしくないわよ」
「私にも、よくわからないです……」
それが精霊というものなのかはわからないが、ジーンには今の心を説明することは難しかった。
ジーンはフレイアから目を逸らして、イツキを見上げながら言う。
「でも、ヴィーラント様の支えになって、最後は聖獣様の命に還っていけたら、幸せだと思います」
イツキがジーンを見つめていた。二人の間で、穏やかな眼差しが絡み合う。
ジーンは近頃よく考える。自分はヴィーラントが愛おしいと思う。その気持ちは前の世界で感じた異性への感情とは多少違う気もするが、恋に近いものだと感じている。嬉しくて、楽しくて、心がふわふわしてくる。
けれどイツキが側にくると、ジーンは安心に包まれる。誰も来ない温かな水底で横になっているような思いがする。
二つの感情を貰える自分は、幸せな気がする。だからジーンはこの命が終わるまで、その感情の相手である二人を大切にしたいと思っていた。
フレイアは顔を引き締めて言った。
「騎士団の皆は、あなたを次期ヴァルキュリアと認めようとしてる」
フレイアは王族としての厳しい現実を口にする。
「ヴェルザンディは長年、ヴァルキュリアを王家と切り離したがっていた。このままでは本当に異界から乙女が来たとき、ただの権力の道具にされてしまうと。確かに一理あるけど、問題は異界からの乙女の代わりになれるのが、ずっとヴェルザンディしかいなかったこと」
国王は病身で政務が執れず、王妃は既にこの世にない。たった一人の王子はまだ十四歳で、それ以外で直系に一番近い王族であるフレイアは女性で王にはなれない。一方で異界からの来訪者は長い間現れず、ヴェルザンディに代わるヴァルキュリアはいなかった。
「やっと現れた異界の乙女は、ヴェルザンディがずっと求めていたヴァルキュリアそのものね。それはわかるけど」
フレイアはジーンの髪を梳いて、言葉に詰まった。
「……でもあなたは本当に人間ではないの? 人間に欲を捨てすべてを捧げるように求めるのは、酷だわ」
その言葉で、フレイアがジーンの未来を案じてくれているのが伝わってきた。いつも目を尖らせて怒鳴ってばかりだが、フレイアもヴィーラントと同じ優しい心を持っているのを感じた。
ジーンはほほえんでうなずく。フレイアは慌てて言葉を重ねた。
「べ、別に、あなたを心配して言ってるんじゃないの。イグラントのためよ」
フレイアは早口に否定したが、ジーンはもうフレイアを怖いとは思わなかった。
ふいに駆ける音が近づいてきて、ジーンはそちらを振り向く。
「おーい、ジーン! 倒れたって? 大丈夫か?」
ヴィーラントが近付いてくるのを見て、フレイアの目がきっと尖る。
「この馬鹿王子! あんたが頼りないから周りが苦労するんじゃないの!」
「はぁ? 何だよいきなり。ジーン、フレイアが何かしなかったか?」
睨み合う二人はそれでも仲がよさそうで、ジーンは微笑ましくなって頬を綻ばせていた。