転生したら幼精霊でした~愛が重い聖獣さまと、王子さまを守るのです!~

13 黒衣の王子さま

 今日は夕食を一緒にとヴィーラントに誘われて、ジーンは心が弾んだ。
 ヴィーラントの支度ができるまでに本を返してこようと、ジーンはイツキを伴ってアスガルズ宮内にある図書室に向かう。日が傾いて石の壁が赤く染まるのを見やりながら、ジーンはぎっしりと本棚が並んだ部屋に足を踏み入れた。
 ヴァルキュリアとして必要な学を得るために、ジーンはたびたび本を借りていって家で読み更ける。ゆっくりしか進まないのがもどかしいが、ジーンは本を読むことは好きだった。
 借りていた本を司書に返して、ジーンは新しく借りる本を探す。ヴェルザンディに教えてもらった本のリストを手に、きょろきょろと本棚を見回した。
 そのとき、訳も分からない悪寒に襲われて、ジーンは体を緊張させる。
「本をお探しか」
 地を這うような低い声が耳元で聞こえて、ジーンの肩が跳ねる。
 振り向くとすぐ近くに黒衣をまとった青年が立っていた。黒髪に蒼い瞳の独特の美貌に、ジーンは呼吸を止める。
 見間違えるはずもない。それは昨夜ジーンを凍りつかせた、セルヴィウスと名乗った青年だった。
 本棚の間隔が狭いから側に立っているのだとはわかっている。だが衣が擦れあうような近くに立たれて、足元から震えが這い上がって来た。
 青年は薄く笑ってジーンに問いかける。
「お取りしようか?」
 ジーンは後ずさって、声もなく首を横に振る。ジーンの後ろからイツキが身構えて近づく気配を感じるのに、ジーンはそれを制することもできない。
 張りつめた空気を壊したのは、慣れ親しんだ声だった。
「ん、ジーン。ここにいたのか」
 ヴィーラントは本棚を伝って歩いて来て、ジーンの側に立つ。
 そこでヴィーラントはふと黒衣の青年の方を振り向いた。
「この香水、セルヴィウス王子か?」
 ヴィーラントが何気なく問うと、黒衣の青年は頷く。
「ええ。失礼ですが、そちらの女性は?」
 まるでジーンと初対面のように悠々と言ってのける青年に、ヴィーラントは無邪気に笑って答える。
「こっちはジーン。次期ヴァルキュリアだが、俺の妃にもなる予定だ」
「ほう、それはそれは」
 黒衣の青年は目を細めて感情の読めない微笑を浮かべた。ヴィーラントはすぐに続けて言う。
「まあここで立ち話っていうのも何だ。会食の時にゆっくりと話すことにしよう」
「はい。ではのちほど」
 黒衣の青年は笑みを深めると、踵を返して去っていった。
 図書室の扉が閉まって青年の気配が消えると、ヴィーラントはジーンの手を握って気遣わしげに問いかける。
「ジーン、どうした?」
「え」
「怖がってるだろ。あいつが何かしたのか?」
 ジーンは先ほどヴィーラントが青年を王子と呼ぶのを聞いた。イグラントに王子はヴィーラントしかいないから、おそらく他国からの使者か留学生なのだろう。自分が何か言って国の賓客に失礼があってはいけない。
 ジーンは慌ててヴィーラントに答える。
「何でもないです。変わったお顔と衣装の方で、少しおどろいてしまっただけで」
「ふうん?」
 ヴィーラントは納得していないようで首を傾げた。
 けれどジーンが黙りこくったのでそれ以上追及をしないと決めたらしい。ヴィーラントは安心させるように続ける。
「何かあったら言うんだぞ。で、どの本を借りるんだ? 取ってやる」
「あ、ええと、その上の段の、右へ三冊目」
 ジーンはヴィーラントとつないだ手を引いて本の場所を教える。ヴィーラントはジーンの示した本に手を伸ばしたが、小柄な彼では指先も届かない。
 けれどふいにヴィーラントの背がぐいと伸びたような気がした。ヴィーラントも思わずというように声を上げる。
「届いたっ……あれ?」
 ヴィーラントは目的の本をつかんだものの、不機嫌そうに振り向く。
「イツキ。この持ち方もおかしいだろ」
「フェルニルです」
 イツキはヴィーラントの脇を抱えて彼を持ち上げていた。まるで子どもにするように軽々と抱き上げたので、ヴィーラントは持ち上げられたまま怒鳴ろうとする。
「お前な!」
 けれどジーンが思わず笑っているのを見て、ヴィーラントはむすっとしたものの怒鳴るのをやめた。
「……見てろよ。背なんてすぐ伸びるから」
 ヴィーラントはジーンに言って、ジーンの手に本を手渡した。
 ジーンは少しヴィーラントが変わってきているのを感じた。まだ短気なところは変わりないが、背が伸びるみたいにすぐに成長する時期なのかもしれなかった。
 渡された本を抱きしめて、ジーンははにかんで言う。
「そうですね。……本、ありがとうございます」
 ヴィーラントは黙ってジーンに手を差し出した。ジーンはその意図がわかって、ヴィーラントと手をつなぐ。
 ヴィーラントとジーンは図書室から出た後、後ろにイツキを伴って歩く。
 ヴィーラントはジーンを導くように廊下を進みながら言った。
「セルヴィウスは同盟国のクレスティア第十三王子だ。二月くらい前からイグラントに滞在してる」
 ヴィーラントはジーンがセルヴィウス王子を怖がっているのはわかっていたようで、先にその話題を切り出してきた。
「俺も見習えって言われてるくらい武術にも学問にも長けてる優秀な王子なんだが、ちょっと怖いところあるよな」
 ヴィーラントはそこで口の端を下げて言う。
「でも俺と違って苦労してきたんだ。ずいぶん不遇な奴なんだよ」
「ふぐう?」
 ヴィーラントは声をひそめて教えてくれる。
「東方の国から買われた奴隷の母君から生まれたってことで、父王に遠くの国に追いやられてたんだそうだ。見た目も独特らしいから、そこで差別もされたって」
 ヴィーラントは自分と違うと言いながら、共感しているようでもあった。ヴィーラントも人と違う銀髪と紫の瞳という容姿を持って生まれてきた。目が見えないことでも苦労してきたはずで、そんな彼とセルヴィウス王子は通じるところもあるのだろう。
 ジーンはうなずいてつぶやいた。
「怖いくらいきれいなひとですから」
 ジーンは初めて会った時も、セルヴィウスを一目見て驚いた。その容姿は冴え渡るほどに美しく、けれどそのために恐ろしくもあった。
 ヴィーラントがジーンの言葉を聞いて黙ったので、ジーンは振り向く。
「ヴィーラント様?」
「ジーンはああいう感じの男が好みなのか?」
 ヴィーラントはむすっとして、横目でジーンを睨む。
 ジーンはきょとんとして首を傾げる。
「このみ?」
「顔が好きってことか? 俺には見えんから、細かく説明しろ」
 あんまりセルヴィウスのことをきれいと言ったから、ヴィーラントをむっとさせてしまった。ジーンはそれに気づいて慌てたが、ヴィーラントはなお続ける。
「背が高いところ? 大人っぽいところ?」
「あう……」
 早口にまくしたてるヴィーラントに、ジーンは一生懸命考えながら言う。
「ヴィーラント様も、五年ほど経てばきっと……」
「俺とセルヴィウス王子は同じ十四歳だよ!」
「ごめんなさい、えと」
 とてもそうは見えないなどとは口にできず、ジーンは口ごもる。セルヴィウス王子はヴィーラントより頭一つ分ほど背が高く、立ち振る舞いも大人びていたから、ずいぶん年上に見えていた。
 ヴィーラントはジーンの前に指を立てて叱る。
「だめだって。あいつはお前一人を愛してるって口説きながら、十人くらい愛妾を囲うタイプだぞ。騙されるな」
「あいしょう……? かこう……」
 わからない言葉がいっぱいで目を白黒させているジーンに、誰かが息をもらす音が聞こえた。
 その出所を探したジーンに、ヴィーラントがきっと目をとがらせる。
「イツキ! お前、今笑っただろ。わかるんだぞ、俺!」
 後ろを振り向いて、ヴィーラントはイツキにも怒鳴る。ジーンはイツキが笑った声までは気づかなかったが、イツキも否定はしなかった。
 ヴィーラントは澄んだ目で当然のことを話すように言う。
「そういう悪いことして、大事な妃を泣かせちゃだめだろ。好きで結婚するんだもんな」
 ジーンはふと、王族はいろんな事情で結婚するらしいことを思いだした。きっとヴィーラントの言うように彼の思い通りにいくかはわからない。
 でも彼には好きなひとと結婚してほしいと思って、ジーンはまぶしいものを見る目でヴィーラントを見上げていた。
 ヴィーラントはジーンを見下ろして切り出す。
「ジーンに言っておかなきゃいけないことがある。今日の夕食の席、セルヴィウス王子も同席することになってるんだ」
「え……」
 ジーンはとっさに怯えを隠せなかった。そんなジーンにヴィーラントは立ち止まって、ジーンの両手を握ってくれる。
「ごめん。ヴェルザンディが対外的にも少しずつお前を認めさせるために前から予定してたことだから、王子を退席させることは俺にはできないんだ」
 ヴィーラントは口調を和らげて言う。
「でもお前が嫌なら、今のうちに体調が悪いとか言って欠席すればいい。俺とはいつでも一緒に食事ができるんだから」
 労わるように言葉をかけるヴィーラントから優しさが伝わってきて、ジーンは申し訳なくなった。
(私、何をしてるのかな)
 考えてみればジーンはセルヴィウス王子に何をされたわけでもない。何気ない一言で傷ついて、訳もなく怯えてしまっている。イツキにもヴィーラントにも気を遣わせてしまっている自分が情けなくて、ジーンはしょんぼりと首を垂れた。
「ジーン」
 名を呼ばれて顔を上げると、イツキが厳しく首を横に振るのが見えた。行くなということだろう。
 けれどジーンは自分の手を握ってくれるヴィーラントの手の温かさに、心を奮い立たせて言った。
「大丈夫です。出席させてください」
 アスガルズ宮に出入りする限り、セルヴィウス王子とはいつ顔を合わせてもおかしくない。ジーンはそう思って出席を決めた。
 ヴィーラントはうなずいて安心させるように告げる。
「セルヴィウスには何もさせない。俺とフレイアがついてる。あと」
 ヴィーラントは気に入らなさそうにイツキの方を振り向く。
「イツキも出席しろ。ジーンはその方が落ち着くんだろ」
 そんなヴィーラントを素通りするように、イツキはジーンの横に膝をついた。
 イツキは騎士が忠誠を誓う仕草でジーンの片手を取って言った。
「私はいつもお側におります。それにフレイア姫の前では、あの者もめったなことはできないでしょう」
「お前、俺がせっかく厚意で入れてやろうっていうのに!」
 ヴィーラントは怒鳴ったが、イツキはそれ以上何も言わなかった。
 けれどジーンは首を横に振って否定の声を上げる。
「……だめです。イツキさんは来ないでください」
 ジーンは昨夜の出来事を思い出していた。あの王子はイツキにとって危険な人間なのだ。
 ジーンの拒絶の言葉を聞いて、イツキは黙りこくってしまった。
 ヴィーラントも勢いを収めて、不思議そうに二人を見やる。
「なんだ? お前ら、喧嘩でもしたのか」
 ヴィーラントは二人の袖を引いて、叱るように続ける。
「ジーン、イツキ。黙ってちゃわからないだろ。何とか言え」
 ジーンとイツキの間の沈黙は長く続いた。ヴィーラントは辛抱強く、二人の間に立ったまま待つ。
 先に口を開いたのはイツキだった。イツキは膝をついたままジーンを見上げて切り出す。
「それがあなたの御心でも」
 イツキは苦しそうにつぶやいて、すぐに顔を上げた。
「あなたの身を守るためには、御心に背きます。今お側を離れるわけには参りません」
 ジーンは迷ったものの、まっすぐにみつめるイツキに答える。
「じゃあ約束です。危ないと思ったら、すぐ逃げてくださいね」
「わかりました」
 イツキはすんなりとうなずいて言葉を付け加える。
「あなたをくわえて逃げます」
「……くわ?」
 ジーンは慌てて留めようとしたが、イツキは既に立ち上がってしまっていた。そのままジーンの後ろに下がってしまう。
 ジーンは振り向いてイツキに伝えようとする。
「イツキさん。あの、逃げる時は一人で逃げてください。危ないです……」
「ジーン」
 ヴィーラントがジーンの耳に口を寄せて、小声で言ってくる。
「イツキを甘く見るなよ。あいつ、すごく性格悪いんだぞ」
 首を傾げたジーンは、その時小さな音を聞いた。
(あれ。今確かに)
 今度はジーンにも聞こえた。イツキがふっと息を漏らして笑った。
 ヴィーラントは頬をかいて、ジーンの手を握り直す。
「ったく。行くぞ、ジーン」
「……はい」
 ヴィーラントの手の温もりと影のように沿うイツキの気配に励まされて、ジーンは夕食の場へと足を向けた。
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