転生したら幼精霊でした~愛が重い聖獣さまと、王子さまを守るのです!~
14 晩さん会のあとで
イグラントの人々はあまり食にこだわりがない。大樹の恵みが豊かで様々な作物が収穫できるわりに、食卓に並ぶ料理というのは建国当時からほとんど同じらしい。
パンや野菜の煮込みや肉を焼いたものに果物といった、おおよそ料理名すら決まっていない簡単な食べ物が並ぶ。味付けは塩が振ってあればいい方で、南方の香辛料などは全く使う気がない。
ヴィーラントとフレイアはジーンの食べ方を見て、ちょっと厳しく言った。
「ジーン、手が止まってるぞ。もっと食え」
「それじゃ大きくなれないわよ」
大皿に山盛りになったそれらの料理を、イグラントの人々は日が没する頃から数刻かけて黙々と食べ続ける。
特に客を招いた時の量はすさまじい。それは庶民の間でも同じで、村中からかき集めてでも大量の料理を作って、意地でも客を満腹にするまで帰さない。
たくさん食べるから料理の内容は質素なのか、質素な料理だから大量に食べるのか、どちらにせよイグラントの人々は質素な料理を大量に食べる。
だからイグラントで夕食に招かれた時は、特別なことはせず、ひたすら食べ続ければいいとジーンも知っている。
(どうしよう。もう入らない)
けれどジーンはとても食が細かった。朝食はりんご一個、夕食はイツキに分けてもらったパンや野菜を申し訳程度にかじるくらいで、肉を口にすることはほとんどなかった。
そして食が進まない理由はもう一つあった。右隣のセルヴィウス王子のことだ。
四角のテーブルで、ヴィーラントとセルヴィウスが向かい合って食事を取っている。そしてもう一つの対角線上にフレイアとジーンが向かい合っていて、ジーンの数歩後ろの壁でイツキが立って控えていた。
入り口で騎士が警備していて、あとは給仕係が出入りするくらいの内輪だけの食事会だ。ヴィーラントやフレイアは普段着で、セルヴィウスも図書室で会った時と変わりない。
でもジーンは右隣のセルヴィウスが怖くて、テーブルの下の膝が震えてしまう。
そんなジーンを気遣ってか、しきりにヴィーラントとフレイアが食事を勧めようとする。
「肉が硬かったか?」
「誰か、別の料理持ってきて」
二人に申し訳ないほど、ジーンは食べ物が喉を通らなかった。
意外にもジーンの内心を察したのは、客であるセルヴィウスだった。セルヴィウスは苦笑しながらヴィーラントとフレイアをたしなめる。
「お二方、あまり無理をさせるものではありません。生来食が細い方もおられます」
セルヴィウスは今宵も黒い衣装で統一していた。装飾品も刺繍もないが、それがかえって彼の異質な面立ちと蒼い瞳を際立たせているようだった。
セルヴィウス王子は目を細めて思い出すように言う。
「食べさせたいお気持ちはわかりますがね。私も妻と食事を取るたび心配になります」
「お妃様は、確か他国で療養なさっているのでしたね。ご心配でしょう」
フレイアがうなずいて返した言葉に、ヴィーラントが振り向く。
「そうだったのか。静養先ってどこだ?」
「あんたね、それくらい勉強しなさいよ」
「いえ、ご存じないのも無理はありません」
剣呑な目でヴィーラントを睨んだフレイアを、セルヴィウス王子は穏やかな口調で宥める。
「静養先の公国は中央地方の森の中の国。我ら北方とは国交も無いのがほとんど。ただ妻が亡き公妃殿下の姪ということで、私とは個人的につながりがあるだけなのです」
「ああ、そうか。思い出した」
ヴィーラントは頷いてにやっと笑う。
「奥方は公子の許嫁だったが、セルヴィウス王子が奪い取ったんだよな」
楽しげなヴィーラントにフレイアは呆れた目を向けたが、セルヴィウス王子は微笑みを返した。
「奪ってなどおりませんよ。妻は元より私のものでした」
「セルヴィウス王子と公子はご学友同士であらせられたとか。ご友情に障りはございませんでしたの?」
フレイアが気に入らなさそうに言葉を挟む。セルヴィウス王子は悠々と告げた。
「心惹かれた娘を妻に迎えるのに、友人の許しが必要ですか?」
「はは!」
ふいにヴィーラントが笑い声を立ててうなずく。
「そうだな。誰が何と言おうと、妻は自分が愛する女がいい。なっ、ジーン」
「え?」
手元の豆を一生懸命割ろうとしていたジーンは、まさか自分に話題が振られるとは思っていなかったのできょとんとする。
出席を勧められたものの、セルヴィウス王子たちとは身分の差も歴然としている。ジーンは自分からは決して声をかけないようにと決めていた。
ヴィーラントは気安い口調でセルヴィウスに言う。
「セルヴィウス王子。改めて紹介するが、俺の妃になるジーンだ」
「ち、違いま……」
ジーンは慌てて言い直そうとするが、別の方向からも声が上がる。
「彼女はこの国にとって大切な存在です」
ジーンが振り向くと、フレイアが神妙な顔で言葉を告げた。
「後に妃となるのか、ヴァルキュリアとなるのかはわかりませんが」
「ふむ」
セルヴィウス王子はジーンに蒼い瞳を向けて、ヴィーラントとフレイアを順々に眺める。
「イグラントのいにしえの決まりに従い、異界から来た乙女を国王と同位につける。そういうことですか」
「ええ。それが私たちのあり方ですから」
フレイアがつと眼差しをジーンに注ぐ。彼らが古くから異界に向けてきた、温かい歓迎の目だった。
セルヴィウスはしばらく黙った後、おもむろに口を開く。
「あなた方は異界からの来訪者たちを取り込んで血筋を成してきたはず。なぜ今になっても異界からの来訪者を必要とするのですか?」
どうしてイグラントの王族は異界からの来訪者を従属させ、利用しなかったのか。彼らの力を持ってすれば容易に異界からの来訪者を屈服させることもできただろう。ヴェルザンディは、周囲の国々はイグラントをそのように奇妙に見ていたとジーンに教えてくれた。
ヴィーラントはセルヴィウスの問いに当然のように答えた。
「一緒に暮らしていくためさ」
ヴィーラントは気安い口調で続ける。
「古くにイグラントの王家と異界からの乙女は約束した。大樹の恵みを分け合って生きようと。それは、そうだな。夫婦の誓いみたいなものだと聞いた」
中央の大皿に盛られた果物を掴んで、ヴィーラントはそれを二つに割る。
「俺たちは元々違う世界の住民だ。けど俺たちはお互い違うから好き合ったんだ。相手の持っているものは大事にしたい。もちろん食事を一人占めするなんてもってのほかだ」
半分に割った果物の一方を、ヴィーラントは手を伸ばしてジーンの皿に置いた。
セルヴィウスは果物に目もくれずに問いを続ける。
「異界からの乙女を畏れ、敬意を表しようと?」
セルヴィウス王子の言葉に、ジーンの体の中心が痛んだ。また自分が信じるに値しないものだと言われたらどうしようと、勝手に体が竦んでしまう。
ヴィーラントは首を横に振ってセルヴィウスに返す。
「んー、そこまで偉そうなこと言えないな。異界からの乙女っていうのは妻みたいなもので。妻は聖獣を連れて金のりんごを育てていて、それはそれ以上でもそれ以下でもなくて」
ヴィーラントは唸りながら考え考え話す。
ふいにヴィーラントはジーンとその後ろにいるイツキを見やって告げた。
「ただ、妻が聖獣も金のりんごも大事だって言うなら、俺もそうでありたいな」
当たり前のように放たれた言葉に、ジーンの体が指先から震えた。その震えは胸の奥にまで到達して、思わず目から雫が零れ落ちる。
静かに泣きだしたジーンに、ヴィーラントが慌てて声をかける。
「ど、どうした。何か俺まずいこと言ったか?」
ジーンは泣き笑いの顔で首を横に振った。
「いいえ、ありがとうございます……」
先ほどまでの痛みはどこにもなかった。ジーンの恐怖も緊張も、ヴィーラントの一言がすべて溶かして消し去ってくれた。
セルヴィウス王子や他のどんな人間が何を言っても、もう大丈夫だと思えた。ジーンの周りを温かな膜が守ってくれているようだった。
食事に来る前、イツキはジーンに教えてくれた。
――精霊や聖獣は、信じないという言葉だけで傷ついてしまうのです。
ジーンはセルヴィウス王子がなぜ震えあがるほどに怖いのか、自分の感情がわからなかった。イツキは精霊のそんな感情は、何も不思議なことではないと言っていた。
ジーンは香草のような匂いを感じて横を見る。いつの間にか、イツキがジーンのすぐ側まで歩み寄っていた。
――しかしもし、マナトが信じると言ってくれたなら変わります。
イツキは屈みこんでハンカチでジーンの頬を拭うと、ジーンにだけ聞こえるような小声で告げる。
「マナトの言葉は何より心強いでしょう?」
ジーンは頷いた。イツキの言う通り、ヴィーラントの一言が不安を消してくれた。
イツキが戻っていってジーンが顔を上げると、セルヴィウス王子と目が合った。海のような蒼い瞳は冷たく光り、ジーンの内面すら見通しているように見えた。
彼の身を包みこんでいる黒衣が、ジーンの目に影を宿す。その黒を眺めて、ジーンはようやく気づいた。
イグラント人は黒という色彩を身にまとわない。大樹に住まう生き物たちも全身が黒い生き物はいない。イツキの髪は灰色だが、それでも彼に黒の印象はなかった。
全身が真っ黒なのは魔獣だ。だからなのか、ジーンはセルヴィウスの黒髪や黒衣を見ると魔獣を連想してしまう。
(色が苦手なんて失礼だ)
涙も止まって体の震えは止んでいたが、ジーンはどうしてもセルヴィウスに魔獣を重ねてしまうのをやめられなかった。
セルヴィウスはジーンをみつめたまま、ふと嘲るように目を細めて笑った。ジーンはその意図がわからず彼を見返すと、彼は何かを示すように窓の外を見やる。
そのときだった。窓の外から、角笛の音が響き渡った。
「え?」
独特の低音で鳴り響くそれは、にわかに食卓に緊張をもたらす。
フレイアが緊張した面持ちで控えの騎士に指示を出す。
「確認してきなさい」
「は、ただ今」
控えていた騎士は一礼すると、足早にその場を後にした。
ジーンは生まれて初めて聞くが、イグラントに住まう者は誰もがその角笛の意味を知っていた。
食事の手を止めて皆が情報を待つ。そして数刻後、彼らは角笛が告げた事実に偽りがないことを知った。
ヴェルザンディが武装して現れて、ヴィーラントとフレイアに告げる。
「隣国のベルギナ王国軍が国境を越えました。殿下方は、安全な場所にご避難ください」
角笛の意味は、外敵の襲来の合図だ。
ヴィーラントは顔を強張らせてヴェルザンディに問いかける。
「戦になるのか?」
ヴィーラントの言葉に、ヴェルザンディは波のない口調で答えた。
「それもご覚悟ください」
ヴィーラントの瞳が揺れる。ジーンと同じで彼にとっても、生まれて一度たりとも外敵の襲来の経験がなかった。未知の事態に、年若い王子の顔色が変わる。
フレイアは立ち上がって気丈に言い放つ。
「私も戦うわ、ヴェルザンディ」
「フレイア様は殿下のお側に」
「私だって騎士よ!」
ヴェルザンディは首を横に振って厳格な調子で告げた。
「私はヴァルキュリア。騎士であるなら尚更、私の指示に従ってくださいませ」
ヴェルザンディはフレイアをたしなめると、彼女はセルヴィウス王子に振り向く。
「お食事中失礼いたします。セルヴィウス王子。我らの指示に従って避難して頂けますか」
「お気遣い感謝する。そのように」
セルヴィウスは顔色も変えずに席を立つと、何事もなかったかのように案内の騎士のところに向かおうとする。
……だがその蒼い瞳には相変わらず冷笑が浮かんでいた気がして、ジーンはぞくっと身を引いた。
ヴェルザンディはセルヴィウスが退出したのを見届けると、ジーンとイツキの前で膝をついた。
「どうか我らに加護を」
それは祈りの言葉で、ヴェルザンディは答えを求めていなかったらしい。ジーンとイツキが何か返す間もなく、ヴェルザンディは立ち上がっていた。
緑の制服で白いマントの騎士がやって来て、ヴェルザンディに告げる。
「ヴァルキュリア。フレイア様を除く騎士団員すべての召集が完了しました」
ヴェルザンディは力強く頷いて応える。
「わかった。では参ろう」
ヴェルザンディは白いマントを翻して、彼女が統べる騎士団の中心に向かっていった。
パンや野菜の煮込みや肉を焼いたものに果物といった、おおよそ料理名すら決まっていない簡単な食べ物が並ぶ。味付けは塩が振ってあればいい方で、南方の香辛料などは全く使う気がない。
ヴィーラントとフレイアはジーンの食べ方を見て、ちょっと厳しく言った。
「ジーン、手が止まってるぞ。もっと食え」
「それじゃ大きくなれないわよ」
大皿に山盛りになったそれらの料理を、イグラントの人々は日が没する頃から数刻かけて黙々と食べ続ける。
特に客を招いた時の量はすさまじい。それは庶民の間でも同じで、村中からかき集めてでも大量の料理を作って、意地でも客を満腹にするまで帰さない。
たくさん食べるから料理の内容は質素なのか、質素な料理だから大量に食べるのか、どちらにせよイグラントの人々は質素な料理を大量に食べる。
だからイグラントで夕食に招かれた時は、特別なことはせず、ひたすら食べ続ければいいとジーンも知っている。
(どうしよう。もう入らない)
けれどジーンはとても食が細かった。朝食はりんご一個、夕食はイツキに分けてもらったパンや野菜を申し訳程度にかじるくらいで、肉を口にすることはほとんどなかった。
そして食が進まない理由はもう一つあった。右隣のセルヴィウス王子のことだ。
四角のテーブルで、ヴィーラントとセルヴィウスが向かい合って食事を取っている。そしてもう一つの対角線上にフレイアとジーンが向かい合っていて、ジーンの数歩後ろの壁でイツキが立って控えていた。
入り口で騎士が警備していて、あとは給仕係が出入りするくらいの内輪だけの食事会だ。ヴィーラントやフレイアは普段着で、セルヴィウスも図書室で会った時と変わりない。
でもジーンは右隣のセルヴィウスが怖くて、テーブルの下の膝が震えてしまう。
そんなジーンを気遣ってか、しきりにヴィーラントとフレイアが食事を勧めようとする。
「肉が硬かったか?」
「誰か、別の料理持ってきて」
二人に申し訳ないほど、ジーンは食べ物が喉を通らなかった。
意外にもジーンの内心を察したのは、客であるセルヴィウスだった。セルヴィウスは苦笑しながらヴィーラントとフレイアをたしなめる。
「お二方、あまり無理をさせるものではありません。生来食が細い方もおられます」
セルヴィウスは今宵も黒い衣装で統一していた。装飾品も刺繍もないが、それがかえって彼の異質な面立ちと蒼い瞳を際立たせているようだった。
セルヴィウス王子は目を細めて思い出すように言う。
「食べさせたいお気持ちはわかりますがね。私も妻と食事を取るたび心配になります」
「お妃様は、確か他国で療養なさっているのでしたね。ご心配でしょう」
フレイアがうなずいて返した言葉に、ヴィーラントが振り向く。
「そうだったのか。静養先ってどこだ?」
「あんたね、それくらい勉強しなさいよ」
「いえ、ご存じないのも無理はありません」
剣呑な目でヴィーラントを睨んだフレイアを、セルヴィウス王子は穏やかな口調で宥める。
「静養先の公国は中央地方の森の中の国。我ら北方とは国交も無いのがほとんど。ただ妻が亡き公妃殿下の姪ということで、私とは個人的につながりがあるだけなのです」
「ああ、そうか。思い出した」
ヴィーラントは頷いてにやっと笑う。
「奥方は公子の許嫁だったが、セルヴィウス王子が奪い取ったんだよな」
楽しげなヴィーラントにフレイアは呆れた目を向けたが、セルヴィウス王子は微笑みを返した。
「奪ってなどおりませんよ。妻は元より私のものでした」
「セルヴィウス王子と公子はご学友同士であらせられたとか。ご友情に障りはございませんでしたの?」
フレイアが気に入らなさそうに言葉を挟む。セルヴィウス王子は悠々と告げた。
「心惹かれた娘を妻に迎えるのに、友人の許しが必要ですか?」
「はは!」
ふいにヴィーラントが笑い声を立ててうなずく。
「そうだな。誰が何と言おうと、妻は自分が愛する女がいい。なっ、ジーン」
「え?」
手元の豆を一生懸命割ろうとしていたジーンは、まさか自分に話題が振られるとは思っていなかったのできょとんとする。
出席を勧められたものの、セルヴィウス王子たちとは身分の差も歴然としている。ジーンは自分からは決して声をかけないようにと決めていた。
ヴィーラントは気安い口調でセルヴィウスに言う。
「セルヴィウス王子。改めて紹介するが、俺の妃になるジーンだ」
「ち、違いま……」
ジーンは慌てて言い直そうとするが、別の方向からも声が上がる。
「彼女はこの国にとって大切な存在です」
ジーンが振り向くと、フレイアが神妙な顔で言葉を告げた。
「後に妃となるのか、ヴァルキュリアとなるのかはわかりませんが」
「ふむ」
セルヴィウス王子はジーンに蒼い瞳を向けて、ヴィーラントとフレイアを順々に眺める。
「イグラントのいにしえの決まりに従い、異界から来た乙女を国王と同位につける。そういうことですか」
「ええ。それが私たちのあり方ですから」
フレイアがつと眼差しをジーンに注ぐ。彼らが古くから異界に向けてきた、温かい歓迎の目だった。
セルヴィウスはしばらく黙った後、おもむろに口を開く。
「あなた方は異界からの来訪者たちを取り込んで血筋を成してきたはず。なぜ今になっても異界からの来訪者を必要とするのですか?」
どうしてイグラントの王族は異界からの来訪者を従属させ、利用しなかったのか。彼らの力を持ってすれば容易に異界からの来訪者を屈服させることもできただろう。ヴェルザンディは、周囲の国々はイグラントをそのように奇妙に見ていたとジーンに教えてくれた。
ヴィーラントはセルヴィウスの問いに当然のように答えた。
「一緒に暮らしていくためさ」
ヴィーラントは気安い口調で続ける。
「古くにイグラントの王家と異界からの乙女は約束した。大樹の恵みを分け合って生きようと。それは、そうだな。夫婦の誓いみたいなものだと聞いた」
中央の大皿に盛られた果物を掴んで、ヴィーラントはそれを二つに割る。
「俺たちは元々違う世界の住民だ。けど俺たちはお互い違うから好き合ったんだ。相手の持っているものは大事にしたい。もちろん食事を一人占めするなんてもってのほかだ」
半分に割った果物の一方を、ヴィーラントは手を伸ばしてジーンの皿に置いた。
セルヴィウスは果物に目もくれずに問いを続ける。
「異界からの乙女を畏れ、敬意を表しようと?」
セルヴィウス王子の言葉に、ジーンの体の中心が痛んだ。また自分が信じるに値しないものだと言われたらどうしようと、勝手に体が竦んでしまう。
ヴィーラントは首を横に振ってセルヴィウスに返す。
「んー、そこまで偉そうなこと言えないな。異界からの乙女っていうのは妻みたいなもので。妻は聖獣を連れて金のりんごを育てていて、それはそれ以上でもそれ以下でもなくて」
ヴィーラントは唸りながら考え考え話す。
ふいにヴィーラントはジーンとその後ろにいるイツキを見やって告げた。
「ただ、妻が聖獣も金のりんごも大事だって言うなら、俺もそうでありたいな」
当たり前のように放たれた言葉に、ジーンの体が指先から震えた。その震えは胸の奥にまで到達して、思わず目から雫が零れ落ちる。
静かに泣きだしたジーンに、ヴィーラントが慌てて声をかける。
「ど、どうした。何か俺まずいこと言ったか?」
ジーンは泣き笑いの顔で首を横に振った。
「いいえ、ありがとうございます……」
先ほどまでの痛みはどこにもなかった。ジーンの恐怖も緊張も、ヴィーラントの一言がすべて溶かして消し去ってくれた。
セルヴィウス王子や他のどんな人間が何を言っても、もう大丈夫だと思えた。ジーンの周りを温かな膜が守ってくれているようだった。
食事に来る前、イツキはジーンに教えてくれた。
――精霊や聖獣は、信じないという言葉だけで傷ついてしまうのです。
ジーンはセルヴィウス王子がなぜ震えあがるほどに怖いのか、自分の感情がわからなかった。イツキは精霊のそんな感情は、何も不思議なことではないと言っていた。
ジーンは香草のような匂いを感じて横を見る。いつの間にか、イツキがジーンのすぐ側まで歩み寄っていた。
――しかしもし、マナトが信じると言ってくれたなら変わります。
イツキは屈みこんでハンカチでジーンの頬を拭うと、ジーンにだけ聞こえるような小声で告げる。
「マナトの言葉は何より心強いでしょう?」
ジーンは頷いた。イツキの言う通り、ヴィーラントの一言が不安を消してくれた。
イツキが戻っていってジーンが顔を上げると、セルヴィウス王子と目が合った。海のような蒼い瞳は冷たく光り、ジーンの内面すら見通しているように見えた。
彼の身を包みこんでいる黒衣が、ジーンの目に影を宿す。その黒を眺めて、ジーンはようやく気づいた。
イグラント人は黒という色彩を身にまとわない。大樹に住まう生き物たちも全身が黒い生き物はいない。イツキの髪は灰色だが、それでも彼に黒の印象はなかった。
全身が真っ黒なのは魔獣だ。だからなのか、ジーンはセルヴィウスの黒髪や黒衣を見ると魔獣を連想してしまう。
(色が苦手なんて失礼だ)
涙も止まって体の震えは止んでいたが、ジーンはどうしてもセルヴィウスに魔獣を重ねてしまうのをやめられなかった。
セルヴィウスはジーンをみつめたまま、ふと嘲るように目を細めて笑った。ジーンはその意図がわからず彼を見返すと、彼は何かを示すように窓の外を見やる。
そのときだった。窓の外から、角笛の音が響き渡った。
「え?」
独特の低音で鳴り響くそれは、にわかに食卓に緊張をもたらす。
フレイアが緊張した面持ちで控えの騎士に指示を出す。
「確認してきなさい」
「は、ただ今」
控えていた騎士は一礼すると、足早にその場を後にした。
ジーンは生まれて初めて聞くが、イグラントに住まう者は誰もがその角笛の意味を知っていた。
食事の手を止めて皆が情報を待つ。そして数刻後、彼らは角笛が告げた事実に偽りがないことを知った。
ヴェルザンディが武装して現れて、ヴィーラントとフレイアに告げる。
「隣国のベルギナ王国軍が国境を越えました。殿下方は、安全な場所にご避難ください」
角笛の意味は、外敵の襲来の合図だ。
ヴィーラントは顔を強張らせてヴェルザンディに問いかける。
「戦になるのか?」
ヴィーラントの言葉に、ヴェルザンディは波のない口調で答えた。
「それもご覚悟ください」
ヴィーラントの瞳が揺れる。ジーンと同じで彼にとっても、生まれて一度たりとも外敵の襲来の経験がなかった。未知の事態に、年若い王子の顔色が変わる。
フレイアは立ち上がって気丈に言い放つ。
「私も戦うわ、ヴェルザンディ」
「フレイア様は殿下のお側に」
「私だって騎士よ!」
ヴェルザンディは首を横に振って厳格な調子で告げた。
「私はヴァルキュリア。騎士であるなら尚更、私の指示に従ってくださいませ」
ヴェルザンディはフレイアをたしなめると、彼女はセルヴィウス王子に振り向く。
「お食事中失礼いたします。セルヴィウス王子。我らの指示に従って避難して頂けますか」
「お気遣い感謝する。そのように」
セルヴィウスは顔色も変えずに席を立つと、何事もなかったかのように案内の騎士のところに向かおうとする。
……だがその蒼い瞳には相変わらず冷笑が浮かんでいた気がして、ジーンはぞくっと身を引いた。
ヴェルザンディはセルヴィウスが退出したのを見届けると、ジーンとイツキの前で膝をついた。
「どうか我らに加護を」
それは祈りの言葉で、ヴェルザンディは答えを求めていなかったらしい。ジーンとイツキが何か返す間もなく、ヴェルザンディは立ち上がっていた。
緑の制服で白いマントの騎士がやって来て、ヴェルザンディに告げる。
「ヴァルキュリア。フレイア様を除く騎士団員すべての召集が完了しました」
ヴェルザンディは力強く頷いて応える。
「わかった。では参ろう」
ヴェルザンディは白いマントを翻して、彼女が統べる騎士団の中心に向かっていった。