転生したら幼精霊でした~愛が重い聖獣さまと、王子さまを守るのです!~
16 時間は四日
アスガルズ宮を出て、イツキは大樹の上へと足を進めた。
ヴィーラントを背負いながら先に上っていくイツキに、ジーンは心配そうに声をかける。
「ごめんなさい。イツキさんにまで毒を飲ませてしまって」
イツキは危うげない足取りで進んでいたが、ジーンに振り向いて首を横に振った。
「私は毒では殺せません。この身は既に死体でございますから」
「死体?」
ジーンがびっくりして問い返すと、イツキは淡々と答える。
「精霊は魔獣を討伐させるため、若くして死んだ動物に祝福を与えて聖獣とするのです。怪我をしても、聖獣の体は精霊の加護で治癒されます」
「精霊の祝福ですか。でも私、イツキさんに何かできたことがないです」
しょんぼりしたジーンに、イツキは安心させるように告げる。
「あなたはまだ幼いだけです。時が経てばどんな精霊でもできるようになりますよ」
ジーンは頷きかけて、首を傾げる。
(でも、イツキさんを聖獣にした精霊様はどこにいるんだろう)
まだ子どものジーンが、昔からイグラントの伝説にあるイツキに祝福を与えられるはずがない。
けれどイツキからその精霊の話を聞いたことがないことに気づく。
「……イツキさんは、祝福を与えた精霊様のところに帰りたいですか?」
「私が?」
「イツキさんは魔獣を倒すために私のところに来てくれました。私が引き留めたりしなければ、今頃」
イツキは、本当は自らを選んだ精霊の所に帰りたくてたまらないのかもしれない。ジーンはそのことを思ってうつむく。
そんなジーンの前で、イツキは屈みこんでジーンを覗き込んだ。自然とジーンも足を止めることになる。
イツキはささやくようにジーンに教える。
「聖獣は精霊の命令に絶対服従ですが、精霊を拒否する方法もあるのです」
ジーンは首を傾げて問いかける。
「それはどんな?」
「一つは聖獣をやめて死を選ぶ。もう一つは、自分を選んだ精霊の魂を食らって自ら精霊になることです」
魂というものを、ジーンはヴェルザンディの貸してくれた本で読んだ。この世の生き物はすべて魂という命の結晶を持っていて、それはこの世界の命の流れの中を巡っているのだそうだ。
イツキは首を横に振って言う。
「しかし聖獣が自分を選んだ精霊の魂を食らったなどというためしは聞いたことがありません」
「どうしてですか? それでは、もう従うか死しかないのに」
「他の聖獣がどのように考えたかは存じませんが」
不思議そうなジーンに向かって、イツキは屈みこむ。
「私は昔、私を選んだ精霊にその魂を食らってやるなどとたわ言を言ったことがございます。彼の君は「それもいいよ」と笑って許してくださった」
恥じ入るように俯いてから、イツキは優しい眼差しを向けてくる。
「……私は彼の君に、ただ甘えただけです。私にとってはいつどんなときだって、精霊が守るすべてですよ」
見つめ返すジーンに、イツキは笑いかけて告げた。
「あなたに従うのも、魔獣と戦うのも、今ここにいることでさえ、すべて私が自分で選んだことです。あなたが詫びることなど何もございません」
そう言ってイツキはジーンの手を握ると、ジーンを促して大樹を上る足を進めた。
久しぶりに上る大樹は、緊急の時である今もいつもと同じ姿でジーンを出迎えてくれた。青々と茂る葉でまぶしいほどの陽光を緩めて、ジーンの行く手を照らしてくれる。
イツキはジーンの足取りに合わせてゆっくりと進んでくれたから、大樹の上まで辿り着いた時は昼近くになっていた。
ジーンはイツキが案内してくれたところで、きょとんとして首を傾げる。
「ここは、私の家?」
イツキがジーンの手を引いていったのは、大樹の上にあるジーンの小屋だった。
小屋の裏手にあるりんごの木の前まで来て、イツキは足を止めて言う。
「異界との境界は、この中にあります」
「りんごの木につながっているのですか?」
「はい。この世ならぬ清浄で美しい場所。あなたも初めてマナトの元に出向かれた時に、一度お入りになったはずです」
ジーンは頬を押さえて考え込んだ。そういえばヴィーラントのいた岩石の地下牢に入る直前、ジーンは不思議な緑の道を通ったような覚えがあった。
ジーンは不安そうにイツキを見上げて問う。
「ごめんなさい。私、どうやって入ったのかわからないんです」
そこにいた時は記憶が分厚い膜に覆われているようで、ジーンは自分が何をしたのかさえ思い出せなかった。
イツキはジーンを振り向いてうなずく。
「大丈夫。時が来れば自然にできるようになることなのです」
イツキはりんごの木に片手を置いて言う。
「そこにある扉を開くことなら、私にもできますから」
イツキが触れたところから、りんごの木の幹が淡く輝き始める。まるで幹全体が琥珀に変わっていくように、りんごの木は透き通る飴色に染まった。
イツキに促されて、ジーンもりんごの木に触れる。水面を撫でるような感触があった後、ジーンの手は包み込まれるように幹の中に沈む。
イツキはヴィーラントを背中から下ろして、ジーンが背負えるようにジーンに寄りかからせる。
「ここからは、お二人で」
ジーンはヴィーラントの腕を自分に回しながら、イツキにたずねた。
「イツキさんは?」
「生き物たちの血を浴びた私は大樹に歓迎されません。私などが入っては、あなたの領域を汚してしまいます」
イツキは首を横に振って、そっと屈みこむ。
彼の足元には枯れかけた小さな花が咲いていた。イツキは花を摘み取って息を吹きかける。
その途端に落ちかかっていた花弁は瑞々しさを取り戻して、花は本来の色である緑がかった鮮やかな金色に染まる。イツキはその花の茎を結わえてジーンの右手首に巻き付けた。
「この花が再び枯れるまでにお戻りください」
イツキは背負っていた革袋をジーンに差し出す。
「これはしばらくの間の食料です。あなたは境界の食物をいくら食べてもかまいませんが、マナトには境界のものを食べさせてはいけません。人の世界に戻れなくなります」
「はい……」
「ですが、もしマナトが境界で生きることを望み、あなたもその側にありたいのであれば」
イツキは優しい声音で告げる。
「マナトと共に、生涯を境界で過ごすこともできます」
息を呑んだジーンの背中に腕を回して、イツキは言った。
「毒が体を蝕むなら、境界の泉の水を飲めば癒されます。どうぞ、あなたの御心のままに」
イツキはとんと軽くジーンの背中を押した。
その弾みで、ジーンはヴィーラントを背負ったまま一歩前に踏み出していた。
ヴィーラントを背負いながら先に上っていくイツキに、ジーンは心配そうに声をかける。
「ごめんなさい。イツキさんにまで毒を飲ませてしまって」
イツキは危うげない足取りで進んでいたが、ジーンに振り向いて首を横に振った。
「私は毒では殺せません。この身は既に死体でございますから」
「死体?」
ジーンがびっくりして問い返すと、イツキは淡々と答える。
「精霊は魔獣を討伐させるため、若くして死んだ動物に祝福を与えて聖獣とするのです。怪我をしても、聖獣の体は精霊の加護で治癒されます」
「精霊の祝福ですか。でも私、イツキさんに何かできたことがないです」
しょんぼりしたジーンに、イツキは安心させるように告げる。
「あなたはまだ幼いだけです。時が経てばどんな精霊でもできるようになりますよ」
ジーンは頷きかけて、首を傾げる。
(でも、イツキさんを聖獣にした精霊様はどこにいるんだろう)
まだ子どものジーンが、昔からイグラントの伝説にあるイツキに祝福を与えられるはずがない。
けれどイツキからその精霊の話を聞いたことがないことに気づく。
「……イツキさんは、祝福を与えた精霊様のところに帰りたいですか?」
「私が?」
「イツキさんは魔獣を倒すために私のところに来てくれました。私が引き留めたりしなければ、今頃」
イツキは、本当は自らを選んだ精霊の所に帰りたくてたまらないのかもしれない。ジーンはそのことを思ってうつむく。
そんなジーンの前で、イツキは屈みこんでジーンを覗き込んだ。自然とジーンも足を止めることになる。
イツキはささやくようにジーンに教える。
「聖獣は精霊の命令に絶対服従ですが、精霊を拒否する方法もあるのです」
ジーンは首を傾げて問いかける。
「それはどんな?」
「一つは聖獣をやめて死を選ぶ。もう一つは、自分を選んだ精霊の魂を食らって自ら精霊になることです」
魂というものを、ジーンはヴェルザンディの貸してくれた本で読んだ。この世の生き物はすべて魂という命の結晶を持っていて、それはこの世界の命の流れの中を巡っているのだそうだ。
イツキは首を横に振って言う。
「しかし聖獣が自分を選んだ精霊の魂を食らったなどというためしは聞いたことがありません」
「どうしてですか? それでは、もう従うか死しかないのに」
「他の聖獣がどのように考えたかは存じませんが」
不思議そうなジーンに向かって、イツキは屈みこむ。
「私は昔、私を選んだ精霊にその魂を食らってやるなどとたわ言を言ったことがございます。彼の君は「それもいいよ」と笑って許してくださった」
恥じ入るように俯いてから、イツキは優しい眼差しを向けてくる。
「……私は彼の君に、ただ甘えただけです。私にとってはいつどんなときだって、精霊が守るすべてですよ」
見つめ返すジーンに、イツキは笑いかけて告げた。
「あなたに従うのも、魔獣と戦うのも、今ここにいることでさえ、すべて私が自分で選んだことです。あなたが詫びることなど何もございません」
そう言ってイツキはジーンの手を握ると、ジーンを促して大樹を上る足を進めた。
久しぶりに上る大樹は、緊急の時である今もいつもと同じ姿でジーンを出迎えてくれた。青々と茂る葉でまぶしいほどの陽光を緩めて、ジーンの行く手を照らしてくれる。
イツキはジーンの足取りに合わせてゆっくりと進んでくれたから、大樹の上まで辿り着いた時は昼近くになっていた。
ジーンはイツキが案内してくれたところで、きょとんとして首を傾げる。
「ここは、私の家?」
イツキがジーンの手を引いていったのは、大樹の上にあるジーンの小屋だった。
小屋の裏手にあるりんごの木の前まで来て、イツキは足を止めて言う。
「異界との境界は、この中にあります」
「りんごの木につながっているのですか?」
「はい。この世ならぬ清浄で美しい場所。あなたも初めてマナトの元に出向かれた時に、一度お入りになったはずです」
ジーンは頬を押さえて考え込んだ。そういえばヴィーラントのいた岩石の地下牢に入る直前、ジーンは不思議な緑の道を通ったような覚えがあった。
ジーンは不安そうにイツキを見上げて問う。
「ごめんなさい。私、どうやって入ったのかわからないんです」
そこにいた時は記憶が分厚い膜に覆われているようで、ジーンは自分が何をしたのかさえ思い出せなかった。
イツキはジーンを振り向いてうなずく。
「大丈夫。時が来れば自然にできるようになることなのです」
イツキはりんごの木に片手を置いて言う。
「そこにある扉を開くことなら、私にもできますから」
イツキが触れたところから、りんごの木の幹が淡く輝き始める。まるで幹全体が琥珀に変わっていくように、りんごの木は透き通る飴色に染まった。
イツキに促されて、ジーンもりんごの木に触れる。水面を撫でるような感触があった後、ジーンの手は包み込まれるように幹の中に沈む。
イツキはヴィーラントを背中から下ろして、ジーンが背負えるようにジーンに寄りかからせる。
「ここからは、お二人で」
ジーンはヴィーラントの腕を自分に回しながら、イツキにたずねた。
「イツキさんは?」
「生き物たちの血を浴びた私は大樹に歓迎されません。私などが入っては、あなたの領域を汚してしまいます」
イツキは首を横に振って、そっと屈みこむ。
彼の足元には枯れかけた小さな花が咲いていた。イツキは花を摘み取って息を吹きかける。
その途端に落ちかかっていた花弁は瑞々しさを取り戻して、花は本来の色である緑がかった鮮やかな金色に染まる。イツキはその花の茎を結わえてジーンの右手首に巻き付けた。
「この花が再び枯れるまでにお戻りください」
イツキは背負っていた革袋をジーンに差し出す。
「これはしばらくの間の食料です。あなたは境界の食物をいくら食べてもかまいませんが、マナトには境界のものを食べさせてはいけません。人の世界に戻れなくなります」
「はい……」
「ですが、もしマナトが境界で生きることを望み、あなたもその側にありたいのであれば」
イツキは優しい声音で告げる。
「マナトと共に、生涯を境界で過ごすこともできます」
息を呑んだジーンの背中に腕を回して、イツキは言った。
「毒が体を蝕むなら、境界の泉の水を飲めば癒されます。どうぞ、あなたの御心のままに」
イツキはとんと軽くジーンの背中を押した。
その弾みで、ジーンはヴィーラントを背負ったまま一歩前に踏み出していた。