転生したら幼精霊でした~愛が重い聖獣さまと、王子さまを守るのです!~

18 花の世界で

 目が覚めた時、ジーンは誰かの膝の上で髪を撫でられていた。
 見上げるとそこには横向きのヴィーラントの顔があって、ジーンは彼に笑いかける。
「ヴィーラント様、目が覚めたのですね」
「うん。ごめんな、心配かけて」
 ジーンは体を起こしてヴィーラントの隣に座る。二人の前には、ここに入って来た時と同じように森の中から流れ出た泉が広がっていた。
 ジーンは泣き笑いの顔になって言う。
「いいえ、本当によかった」
 ヴィーラントは困ったように口元を歪めて笑い返した。
 ジーンは零れてきた涙を拭おうとして、右手首の金の花がずいぶんとしおれていることに気づく。
「そういえば、ヴィーラント様はお腹が空いていませんか? ここの食べ物を口にしてはいけなくて」
「大丈夫。食べてない」
 ヴィーラントは肩にとまった小鳥を指先でくすぐって言う。
「鳥たちが教えてくれた。ここがジーンのための世界なんだってことも」
「私のため?」
「ああ。大樹が、ジーンのために作ったんだって」
 ジーンには両親の記憶がない。前世には両親がいたが、この世界では気が付けばジーンは大樹の上で暮らしていて、いつも隣にイツキがいた。
 大樹が両親のような思いで暮らしてきたが、ふと気になってヴィーラントにたずねる。
「ヴィーラント様は、大樹と話すことはできるのでしょうか」
 そうだったら話をしてみたいと思ったジーンに、ヴィーラントは首を横に振る。
「俺にはできないよ。大樹は生命の集まりだから、いろんなものの声が混ざっていて話すのが難しい」
「そうですか……」
 ジーンは繰り返し頷く。ヴィーラントの言う通りだという実感があった。
「でも大樹は、ずっと側にいてくれたんですね」
 ジーンはその中に包み込まれて暮らしてきた日々を思った。それはとても落ち着く気持ちにしてくれた。
 ヴィーラントはジーンに問いかける。
「鳥たちなら話せるだろ。ジーンにも聞こえるか?」
「はい! おしゃべりを聞いているだけで楽しいですね」
 それからジーンたちは、イツキが持たせてくれた食べ物を口に運んだ。それは水やパン、野菜や果物といった簡単なものだったが、ジーンはあまり空腹を感じていなかったので十分だった。
「これ渡したの、イツキだろ」
「どうしてわかるのですか?」
「俺の嫌いな野菜ばっかり入ってる」
 ふてくされたように野菜を眺めるヴィーラントに、ジーンは微笑む。
「イツキさんは、ヴィーラント様にもっと野菜を食べてほしいのですよ。いつもお肉ばかり食べてしまうから」
「あいつ、ジーンはりんごばかり食べてても文句言わないのに。不公平だ」
 顔をしかめながらも、ヴィーラントは野菜をかじり始めた。
 ジーンにはここに来てどれだけの時間が経ったのかはわからなかった。二人の頭上から差し込む金色の光は陰ることなく、草むらに生える花たちが眠る様子もなかった。
 ただジーンの手首に巻かれた小さな花だけは確実にしおれてきていた。それだけが外の時間を教えてくれているようだった。
 体を蝕む毒を消すには泉の水を一口飲めばいい。イツキにそう教えてもらったが、ジーンはそれに抵抗があった。
(ここのものを食べたら、私の体も人でなくなってしまう気がする)
 ジーンは生きている限りヴィーラントの側にありたかった。ヴィーラントと違う生き物になってしまうのは哀しい。
 ヴィーラントはふいに目を細めて言う。
「綺麗なところだな」
 ジーンは目をまたたかせてヴィーラントに言った。
「この景色が見えるのですか?」
「ああ。花も泉も光の色も、みんな見える」
 柔らかく笑いながら、ヴィーラントは周りを見回す。
「ここがジーンのための世界だっていうのも納得できる。最初からここの住民だったみたいに、景色に馴染んでるから」
 ヴィーラントは甘い空気にため息をこぼした。
「選ばれた死者が向かうっていう天の国も、こんな所なんだろうな。悲しみや苦しみから解放されて、ずっと心穏やかに過ごせるんだろう」
「ずっとここにいることもできますよ」
 ジーンはヴィーラントが心安くいられるならと、その選択を口にする。
「そのときも私はお側にいます」
「夢みたいに幸せな話だ」
 ヴィーラントはくすっと笑ったが、ジーンの手を握って首を横に振る。
「ありがとう。でも俺は宮に戻るよ」
 眉を寄せて俯きながら、ヴィーラントは小声で告げる。
「実はもう、父上のお命が長くないんだ」
 だからヴィーラントの心が追い詰められていたのだと、ジーンはようやく理解する。
 泉の水が跳ねて波紋を作ると、鏡のように透き通って一つの光景を映し出す。
 どこかの寝台で、ヴィーラントの記憶に出てきた父王が横になっていた。だが記憶の頃よりずいぶんと痩せて、その頬にも生気はなかった。
――ヴェルザンディ。どうかヴィーラントを頼む。
 父王は掠れた弱弱しい声で、傍らに屈みこむヴェルザンディの手を握りながら懇願する。
――あの子はまだ幼い。ふがいなく思うかもしれぬ。だが、どうか、どうか……。
――陛下、私は亡き妃殿下にお誓いしました。
 ヴェルザンディは国王の手を握りしめながら、断固とした口調で告げる。
――今、同じことを陛下にもお誓いいたします。私は命ある限りヴィーラント様をお守りいたします。ヴァルキュリアの名にかけて。
 その言葉を聞いて父王の目が和らぐ。
――ありがとう。我が友よ。
 ヴェルザンディが何か答える前に、ヴィーラントが片手で水面を叩く。
「どうされたのですか?」
 水面に映っていた光景は瞬く間に消えてしまった。ヴィーラントが悲しげな目をしているのを見て、ジーンは心配になる。
 ジーンのそんな視線に気づいたのか、ヴィーラントはジーンを振り向いて苦い笑みを刻んだ。
「何でもない。じゃあ、俺は行く」
 ヴィーラントはおずおずと左手を差し出してジーンを見やる。
「一緒に来てくれるか?」
 ジーンが頷いてその手を取ると、二人は支え合うようにして歩きだした。
 行きとは反対に、花畑を横切って緑のトンネルをくぐりぬける。輝石で出来たりんごの木の下でジーンとヴィーラントは視線を交わし合うと、二人で一歩前に踏み出す。
 途端、二人の周囲は賑やかになった。風や木々や動物たちの音が取り巻いて、様々な匂いが飛び込んでくる。
 ジーンの中に湧きあがったのは、ぽとりと外界に生みだされたような、不安と好奇心のない交ぜの気持ちだ。
(前にもこんなことが、あった気がする)
 それがいつだったか思い出そうとして、ジーンはりんごの木に寄りかかっている人影に気づく。
「だ、大丈夫ですか?」
 箱庭の出口で、イツキがうずくまるように膝を抱えて座り込んでいた。ジーンは毒が回っているのかと心配になって屈みこむ。
 イツキはそろりとジーンを見上げた。その仕草はどこか幼く見えて、ジーンは首を傾げる。
「ん? お前こんなところにいたのか。寂しいなら入ってこればよかったのに」
 ヴィーラントがイツキの肩を叩くと、イツキはそれを振り払うように立ち上がった。
「約束の期限は今宵。急ぎましょう」
 ジーンを片腕で抱き上げるなり、イツキは早足で歩き始める。
「あっ、こら待て!」
 置き去りにされかかったヴィーラントが慌ててその後を追う。
「イツキさん、私より目が不自由なヴィーラント様を」
「マナトは言霊の加護で歩くことに不自由はないはずです」
 そうは言っても危なくはないかと、ジーンはおろおろとする。そんなジーンに、イツキはあっさりと答えた。
「ご心配なく。落ちたら拾いに参りますので」
「ふん! 誰が落ちるって?」
 追いついて来たヴィーラントには言葉を返すこともなく、イツキは足を進めていった。
 道中ジーンは後ろを何度も振り返ったが、ヴィーラントはちゃんとついて来た。どうやらイツキも本気で置き去りにするつもりはないらしく、ヴィーラントが遅れがちになると歩調を緩める。
「あの、重いでしょう。私は道もわかりますし」
 だから自分で歩くと言葉を続けようとしたら、イツキはジーンを見やる。
「では首に腕を回してくださいますか」
 ジーンはきょとんとしながらも、反射的に言う通りにした。
「こうすると楽になるのですか?」
「温かくなります」
(あれ?)
 ジーンは首を捻ったが、傾いて来た太陽を見て思う。
(私の足では、もしかしたら間に合わないかも)
 箱庭の中では毒への恐怖を忘れていたが、それも徐々に蘇って来ていた。ヴィーラントが目覚めるまでは彼への心配が打ち勝っていただけで、ジーンとて自分の命が絶える時は恐ろしい。
 ジーンは途端に心細くなってくる。イツキの香草のような匂いを吸い込むと、どうにか心を落ち着かせることができた。
 アスガルズ宮についた時は、城壁に赤い日が照りつけて眩しいほどだった。
「ヴィーラント!」
 城門の前で腕組みをして立っていた少女が、ヴィーラントの姿をみとめるなり走って来る。
(フレイア様。喜んで抱きつかれるのかな)
 ジーンの目には微笑ましい想像が浮かんだが、気の強いことで有名な姫君はもちろんそんなことはしなかった。
「この馬鹿!」
 フレイアは派手にヴィーラントをひっぱたいた。ヴィーラントがその小柄さに比して頑丈でなければ吹き飛んでいただろう。
「あんたって王子は、どれだけ周りに迷惑をかければ気が済むのよ!」
 ヴィーラントの胸倉を掴んで、フレイアは目を尖らせる。ヴィーラントはいつものように憮然と答えることはなく、頭を下げた。
「ごめん」
「……え」
「お前の言う通りだ。すまなかった」
 フレイアは驚きに言葉を失ったが、慌てて続ける。
「と、とにかく。早くジーンとフェルニルに解毒剤を」
「は?」
 ヴィーラントが怪訝な声を出す。それからヴィーラントはジーンに振り向いた。
「おい、解毒剤って一体何の……」
 ジーンはようやくイツキに下ろしてもらったところだった。
 ジーンは足に力が入らず、崩れ落ちてそのまま意識を失う。ジーンの右手首から、金色の花がぱらりと散った。
< 18 / 21 >

この作品をシェア

pagetop