転生したら幼精霊でした~愛が重い聖獣さまと、王子さまを守るのです!~
21 思い出したもう一つの前世
ヴィーラントが出陣した対ベルギナ防衛戦は、二昼夜の後イグラントの勝利で終わった。
国王とヴァルキュリアを失い、イグラントの兵の被害も決して少なくなかったが、人々は飛来する悲しみに胸を痛めながらも守りきった者たちを抱きしめた。
ジーンは高熱に浮かされる中で、夢を見ていた。
凍るような冷気の中、しんしんと雪が降っている。
大樹のふもとに、折れた枝の残骸と焼け焦げた植物が散らばっている。大樹も花を咲かせることなく、幹は生命の色を失ってただ呆然と立ち尽くしているようだった。
「ジーン、どこですか! 返事をしてください、ジーン!」
少年の慟哭の声が聞こえる。痛々しいほど掠れた声だった。
少年は悲鳴を上げるようにジーンの名前を呼びながら泣いている。
「僕を一人にしないでください……!」
その声に引き寄せられるようにして、ジーンは目を覚ます。
ひんやりとした水の感覚がジーンを包み込んでいた。眠りの中にあってもジーンを苛み続けていた火傷の痛みが鈍くなっている。
空気が甘く、花の香りが漂う。現実とは思えないようなかぐわしい空気に、ジーンはそこが大樹の中であることに気づいた。
瞼を持ち上げると、イツキがジーンを抱えて彼女を冷水に浸している姿が見えた。
イツキは火傷を負ったジーンの頬や肩、足といった箇所に順々に口づけていく。ジーンは一糸まとわぬ姿でいることにも意識が回らなかった。ただぼんやりとイツキを見上げる。
イツキの体はもうすっかり治っているようだった。そのことに安心するのと同時に、イツキと目が合う。
ジーンは彼をみつめながら言った。
「……思い出したことが一つあります」
イツキは無言でジーンを見つめ返してうなずいた。
「私は木の国の精霊です」
ようやくその事実が、ジーンの中で確かなものに変わっていた。
「一番はじめの世界で、私は子どもだったイツキさんを置いて先に死んでしまったのですね」
震える手で、ジーンはそっとイツキの頬に触れる。
「長い間、一人にしてごめんなさい。そしてそれにずっと気づかなくて」
イツキは首を横に振ろうとしたが、ふとそれをやめる。
長い沈黙の後、イツキは唇を震わせる。
「寂しさもありました」
イツキはふいにつぶやくように言葉を紡いだ。
「憤りも悲しみも後悔もございました。あなたを恨んだ時も、確かにありました」
イツキの肩も手も震えていた。子どもが泣き出す直前のように声がにじむ。
「あなたが生まれたなら、今度こそここにお籠めして二度と人の世に帰さないことも考えました。そうすればあなたと二人だけのいにしえの時が戻ってくるように思えたのです」
「それがイツキさんの望み?」
ジーンが問いかけると、イツキはそれには答えずに話題を転じた。
「イグラントには多難な未来が待っています」
イツキは押し殺したような声で続ける。
「人々は大樹の恵みに心を奪われて、外に踏み出すことをやめました。この国ほどの豊かさがあれば北方を、いずれは大陸中をも支配下に置くことができたでしょうが、イグラントはその期を逸しました。いずれ、ベルギナより強大な敵が押し寄せるでしょう」
イツキの言葉は鉛のように重くジーンに降り注いだ。おそらく彼の言う通りになるだろうと、ジーンの中で確信が生まれる。
「それなら私は、その最期の時までこの国を見守ります」
イツキが眉をひそめるのが見えた。
「この国には至宝がありますから」
ジーンは瞼を閉じて、ヴィーラントやフレイア、今は亡きヴェルザンディ、騎士たちや村人たちを目の前に描く。
大樹の自然とイグラントの人々の創造が混じり合い結合して、この地には一つの共同体が出来た。
ジーンにはそれこそがこの国の至宝で、そしてそれが出来たからこそ精霊の自分がもう一度生み出されたような気がしてならなかった。
「一度は黄昏の時が訪れるかもしれません。でもまたここは蘇るでしょう」
イツキから降り注ぐ眼差しと、ジーンの琥珀の瞳がぶつかりあう。ジーンもイツキもお互い目を逸らすことなく見つめ合った。
イツキは憂いを帯びた声で告げる。
「ここから出たら、あなたは人の世の争いに巻き込まれます」
「構いません」
喉を詰まらせたイツキに、ジーンは頷く。
「傷ついても、いつか終わってしまっても。……あなたと一緒だから。イツキさん」
イツキはその言葉を聞いてうつむく。
ぽたっとジーンの頬に雫が落ちた。
「……嬉しいです」
掠れた声で、けれど柔らかい口調でイツキは告げる。
「私に縛られずにあなたが望みを口にする、その時を待っていました」
イツキはジーンの瞼に口づけて、そっと言葉を紡いだ。
「あなたの御心のままに」
イツキは泉からジーンを掬い上げて、その身を柔らかな布で包み込んだ。
風が吹き抜ける。開いた箱庭の入口から、初夏の香りを纏ってヴィーラントが走り寄る。
ジーンはそれを、両腕を広げて受け止めた。
その後クレスティアの軍を率いてベルギナに侵攻し、対イグラント戦で疲弊していたベルギナを滅ぼしたのはまだ十四歳の少年王子セルヴィウスだった。
四年後、セルヴィウス王子は自国軍を掌握し、北方のほぼ全土を支配するクレスティア帝国の初代皇帝に即位する。
その一方で、イグラントはヴィーラントに時代が移り、クレスティア帝国に服属しないただ一つの国となった。
聖獣フェルニルを従え、後にヴァルキュリアとなってヴィーラントを支えた少女を、ジーンという。
それは黄金の時を迎えた木の国に花のような繁栄を振りまいた、異界からの乙女だった。
国王とヴァルキュリアを失い、イグラントの兵の被害も決して少なくなかったが、人々は飛来する悲しみに胸を痛めながらも守りきった者たちを抱きしめた。
ジーンは高熱に浮かされる中で、夢を見ていた。
凍るような冷気の中、しんしんと雪が降っている。
大樹のふもとに、折れた枝の残骸と焼け焦げた植物が散らばっている。大樹も花を咲かせることなく、幹は生命の色を失ってただ呆然と立ち尽くしているようだった。
「ジーン、どこですか! 返事をしてください、ジーン!」
少年の慟哭の声が聞こえる。痛々しいほど掠れた声だった。
少年は悲鳴を上げるようにジーンの名前を呼びながら泣いている。
「僕を一人にしないでください……!」
その声に引き寄せられるようにして、ジーンは目を覚ます。
ひんやりとした水の感覚がジーンを包み込んでいた。眠りの中にあってもジーンを苛み続けていた火傷の痛みが鈍くなっている。
空気が甘く、花の香りが漂う。現実とは思えないようなかぐわしい空気に、ジーンはそこが大樹の中であることに気づいた。
瞼を持ち上げると、イツキがジーンを抱えて彼女を冷水に浸している姿が見えた。
イツキは火傷を負ったジーンの頬や肩、足といった箇所に順々に口づけていく。ジーンは一糸まとわぬ姿でいることにも意識が回らなかった。ただぼんやりとイツキを見上げる。
イツキの体はもうすっかり治っているようだった。そのことに安心するのと同時に、イツキと目が合う。
ジーンは彼をみつめながら言った。
「……思い出したことが一つあります」
イツキは無言でジーンを見つめ返してうなずいた。
「私は木の国の精霊です」
ようやくその事実が、ジーンの中で確かなものに変わっていた。
「一番はじめの世界で、私は子どもだったイツキさんを置いて先に死んでしまったのですね」
震える手で、ジーンはそっとイツキの頬に触れる。
「長い間、一人にしてごめんなさい。そしてそれにずっと気づかなくて」
イツキは首を横に振ろうとしたが、ふとそれをやめる。
長い沈黙の後、イツキは唇を震わせる。
「寂しさもありました」
イツキはふいにつぶやくように言葉を紡いだ。
「憤りも悲しみも後悔もございました。あなたを恨んだ時も、確かにありました」
イツキの肩も手も震えていた。子どもが泣き出す直前のように声がにじむ。
「あなたが生まれたなら、今度こそここにお籠めして二度と人の世に帰さないことも考えました。そうすればあなたと二人だけのいにしえの時が戻ってくるように思えたのです」
「それがイツキさんの望み?」
ジーンが問いかけると、イツキはそれには答えずに話題を転じた。
「イグラントには多難な未来が待っています」
イツキは押し殺したような声で続ける。
「人々は大樹の恵みに心を奪われて、外に踏み出すことをやめました。この国ほどの豊かさがあれば北方を、いずれは大陸中をも支配下に置くことができたでしょうが、イグラントはその期を逸しました。いずれ、ベルギナより強大な敵が押し寄せるでしょう」
イツキの言葉は鉛のように重くジーンに降り注いだ。おそらく彼の言う通りになるだろうと、ジーンの中で確信が生まれる。
「それなら私は、その最期の時までこの国を見守ります」
イツキが眉をひそめるのが見えた。
「この国には至宝がありますから」
ジーンは瞼を閉じて、ヴィーラントやフレイア、今は亡きヴェルザンディ、騎士たちや村人たちを目の前に描く。
大樹の自然とイグラントの人々の創造が混じり合い結合して、この地には一つの共同体が出来た。
ジーンにはそれこそがこの国の至宝で、そしてそれが出来たからこそ精霊の自分がもう一度生み出されたような気がしてならなかった。
「一度は黄昏の時が訪れるかもしれません。でもまたここは蘇るでしょう」
イツキから降り注ぐ眼差しと、ジーンの琥珀の瞳がぶつかりあう。ジーンもイツキもお互い目を逸らすことなく見つめ合った。
イツキは憂いを帯びた声で告げる。
「ここから出たら、あなたは人の世の争いに巻き込まれます」
「構いません」
喉を詰まらせたイツキに、ジーンは頷く。
「傷ついても、いつか終わってしまっても。……あなたと一緒だから。イツキさん」
イツキはその言葉を聞いてうつむく。
ぽたっとジーンの頬に雫が落ちた。
「……嬉しいです」
掠れた声で、けれど柔らかい口調でイツキは告げる。
「私に縛られずにあなたが望みを口にする、その時を待っていました」
イツキはジーンの瞼に口づけて、そっと言葉を紡いだ。
「あなたの御心のままに」
イツキは泉からジーンを掬い上げて、その身を柔らかな布で包み込んだ。
風が吹き抜ける。開いた箱庭の入口から、初夏の香りを纏ってヴィーラントが走り寄る。
ジーンはそれを、両腕を広げて受け止めた。
その後クレスティアの軍を率いてベルギナに侵攻し、対イグラント戦で疲弊していたベルギナを滅ぼしたのはまだ十四歳の少年王子セルヴィウスだった。
四年後、セルヴィウス王子は自国軍を掌握し、北方のほぼ全土を支配するクレスティア帝国の初代皇帝に即位する。
その一方で、イグラントはヴィーラントに時代が移り、クレスティア帝国に服属しないただ一つの国となった。
聖獣フェルニルを従え、後にヴァルキュリアとなってヴィーラントを支えた少女を、ジーンという。
それは黄金の時を迎えた木の国に花のような繁栄を振りまいた、異界からの乙女だった。