転生したら幼精霊でした~愛が重い聖獣さまと、王子さまを守るのです!~
9 小さな恋人同士と保護者
ヴィーラントは歩きながら騎士に遠乗りに行くことを告げた。
それに応じた騎士の準備は早く、ヴィーラントが門の前に辿り着くまでには二人の護衛の騎士と二人分の馬が用意されていた。
ジーンは困ったように首を傾げて問う。
「ごめんなさい、私は馬に乗れないのですが……ヴィーラント様は馬に乗れるのですか?」
「たぶんそうだと思った。だから一緒に乗ろう」
目が見えないのに危なくはないかと案じるジーンにあっさりとうなずいて、ヴィーラントは馬の頬を慣れたように撫でる。
護衛の騎士は畏れるようにそっと進み出ると、イツキに馬を勧めた。
「フェルニル殿はこちらの馬を」
イツキは無言でうなずいて、ジーンのところに歩み寄る。
ジーンはびっくりして息を呑む。
「えっ」
イツキはジーンを抱き上げて馬に乗せると、当然のように自分はその後ろに乗って手綱を取った。
それを見てヴィーラントはむっと顔をしかめる。
「おい、ジーンは俺と一緒に乗るんだよ」
文句をつけたヴィーラントを、騎士たちは二人がかりで宥める。
「殿下、まだ二人乗りは危険です。お留まりを」
ヴィーラントは気に入らなさそうにイツキを見ていたが、やがて前に向き直る。
「ったく」
ヴィーラントは苛立った声を上げて馬を走らせた。騎士たちがそれに忠実に併走していく。
ジーンはしゅんとしてうつむく。
(また怒らせてしまった)
でも目の見えないヴィーラントに、自分が重荷になってしまったら心配だった。ジーンは初めて乗る馬にうろたえて、下手をしたら落馬して迷惑をかけないとも限らない。
それにジーンの小さな体を包み込むように回されたイツキの腕は、ひんやりしていたが触れていると安心する。
ジーンは手を伸ばして馬の頭をなでる。
「重たくない?」
馬は上機嫌にいなないて、ジーンの手を喜んだ。イツキはそっとジーンに声をかける。
「行きますよ。つかまって」
イツキは手綱を操って、ヴィーラントたちの姿を見失わない程度にゆっくりと馬を走らせた。
街道を下って門をくぐり、ジーンたちを乗せた馬は城塞の中を走っていく。
眼下には人々が生活する様が見えていた。本を抱えて歩いていく学者や、明るく人々を呼びこむ商人や、元気に駆け回る小さな子どもたちがいて、町は人々の活気で満ちていた。
ジーンはそのにぎやかさが心地よくて体を乗り出す。
「いっぱい人がいるんですね」
イツキはジーンが落ちないように腕でしっかりと支えながら返した。
「そうですね。何度侵略を受けて追い出されようと、人々はまた戻ってくるのです」
その言葉にどこか煩わしさを感じて、ジーンは顔を上げる。
「イツキさんは人間が嫌いですか」
「生き物はあまり好きにはなれません」
イツキの淡々とした声には、かすかな寂しさがあった。
「それでいいんです。私はたくさんの命を踏みにじってきたのですから」
ジーンはイツキといると安心する。でもそう伝えても、彼の罪悪感のような気持ちは消えないように思った。
(私がイツキさんを守ってあげることはできないのかな)
精霊は聖獣に守られるだけなのだろうか。ジーンはもどかしくて、言葉が出てこなかった。
イツキはそんなジーンには気づかなかったのか、いつもと変わりない調子でジーンに声をかける。
「そろそろ追いつきます」
いつの間にか城壁はずいぶん低くなってきていて、ジーンたちの乗る馬は草むらに下りてきていた。前方では護衛の騎士たちとヴィーラントがジーンたちを待っていた。
イツキは手綱を引いて馬を止めると、先に馬から下りてジーンを抱え下ろした。
ジーンはぱちりとまばたきをする。
「ヴィーラント様?」
そこにヴィーラントの姿はなく、ジーンはきょろきょろと辺りを見回した。
ふいに護衛の騎士たちが慌てた様子で声をかける。
「王子、なりません!」
ヴィーラントは騎士たちの制止を振り切って、軽やかに草むらを駆けていた。
ジーンは彼の走る先にあるものに気づいて、はっと息を呑む。
「ヴィーラント様、そっちは崖です……!」
前方に草むらが途切れているのが見えて、ジーンも慌てて駆け出す。けれどヴィーラントは走るのをやめない。
「ヴィーラント様!」
ジーンが手をいっぱいに伸ばしてその背中に触れようとした時、唐突にヴィーラントが立ち止まった。
ヴィーラントは振り向いてジーンを引き寄せると、そのまま後ろに倒れ込む。ふわりとジーンの体が浮いた。
ヴィーラントは無邪気な子どものように笑いだす。
「あははは!」
次の瞬間、ジーンはヴィーラントと共に花畑に埋もれていた。
ジーンや騎士たちが崖と誤解した岩の向こうには、花が咲き乱れる丘が広がっていた。
ヴィーラントは悪戯が成功したように、得意げに言う。
「見えるっていうのは誤解もあるんだぞ? 植物の声の方が確かなときがあるんだ」
目を回したジーンは、綺麗な黄金色の花たちに次第に笑顔になる。
「わぁ……」
見渡す限り広がる花畑に嬉しくなって、ジーンもきゃっきゃっと笑う。
ジーンの頬をつまんで、ヴィーラントはむっとする。
「俺の方を見て笑えよ!」
花畑にうつ伏せになって喜んでいたジーンを反転させて、ヴィーラントも横に寝転がる。ヴィーラントはジーンの脇をくすぐった。
言葉にならない笑い声をこぼすジーンに、ヴィーラントは楽しそうに笑い返す。二人でころころと花畑を転がっている様は、子犬がじゃれあっているのに似ていた。
ふいにジーンは目の前が陰るのを感じた。見上げると、仰向けに寝転がったジーンの横に手をついて、ヴィーラントが見つめていた。
「ジーン。大きくなったら俺の妃になれよ」
ヴィーラントのまなざしはまっすぐで、ジーンはその真剣さに息を呑む。
ヴィーラントはジーンをみつめたまま続ける。
「ヴァルキュリアじゃなくて、妃に。俺は乱暴で気も短いけど、お前だけは大切にするから。ずっと側にいてくれ」
のぞきこんだヴィーラントの銀髪が、ジーンの頬に掛かっていた。ジーンはその髪を撫でたい気持ちに駆られた。
ジーンは手を伸ばしかけて、その手をぎゅっと握る。
「……できません」
ジーンは首を横に振る。ヴィーラントの眉間にしわが寄った。
ヴィーラントはとがめるように問う。
「どうして」
「ヴィーラント様は将来、王族の姫君と結婚されると聞きました」
ヴィーラントは事も無げに答える。
「フレイアは周りが勝手に決めただけだよ。お互い仲も悪いし」
「私はヴィーラント様をお側で見守っているだけで幸せです」
「妃になるんだよ!」
首を横に振るジーンを、ヴィーラントは苦しいくらいに抱きしめる。
「嫌だって言ってもお前を妃にするからな」
ジーンはわがまま放題の言葉でも自分を求めてもらえるのは嬉しかった。愛おしい人がもっと側に来いと言ってくれるのは、心に花が咲くほど幸せな思いがした。
(でも私がお妃になるのは、ヴィーラント様のためにならない)
身分もなく、人間でもない自分が王子のお妃になるのは、きっとよくないことなのだろうと思う。
(私がヴィーラント様にせいいっぱい、できることは……)
ジーンがそれを言葉にしようと思っているうちに、意識が遠のいていく。
(こんなに強く押したら……お花が潰れちゃう)
ぎゅうぎゅうと抱きしめられることで、ジーンは窒息しそうになっていた。
ふいにジーンの体を締め付ける力が無くなる。
「ご無事ですか、ジーン」
ジーンが涙目で小さく咳をすると、イツキがジーンを心配そうに見下ろしていた。
ヴィーラントが腹立たしげに声を上げる。
「おい、お前! この持ち方は何だよ!」
イツキはヴィーラントの襟首を片手で持って、猫の子をつまむようにジーンから離していたのだった。
つり下げられたまま暴れるヴィーラントを、イツキは奇妙にゆっくりと地面に下ろす。
「お前、馬鹿にしてるだろ!」
ヴィーラントがいきり立ってイツキを見上げたとき、馬の音が聞こえてきた。
途端にヴィーラントはばつが悪そうな顔になる。ジーンが首を傾げると、その人はすぐ近くで馬から降りて言った。
「殿下、そろそろお戻りになられるよう」
ヴェルザンディは子どもっぽいことをしたヴィーラントを見透かしたようで、逆にヴィーラントに丁重に帰城を勧めてくる。
ヴィーラントは叱られた子どものように、少し目を逸らして言う。
「まだ日が暮れるまでだいぶあるぞ」
「ジーン殿やフェルニル殿に失礼はありませんでしたか?」
悪態をつきながらヴィーラントは自分の馬の方に向かった。彼がヴェルザンディに見せるのは母親への甘えに似ていて、ヴェルザンディの言葉には逆らえないようだった。
ジーンはそんなヴェルザンディに駆け寄って、昨日イツキと二人で相談した話を口にした。
「ヴェルザンディ様。あの」
ジーンはヴェルザンディに礼を取ってから告げる。
「私、ヴァルキュリアの訓練を受けてみたいです」
ジーンは昨日、イツキにたずねた。
(精霊はどんなことをしたらいいのですか?)
そのとき、イツキはほほえんでジーンに答えた。
――心のままに。でもあなたの心は、もう決まっていると思います。
ジーンはヴェルザンディに切り出す。
「魔獣に傷つく人がいてほしくないです。それだけの思いですが、私にできることをします」
「……ジーン殿」
ジーンの手を取って、ヴェルザンディは膝をつく。
「ありがたい。それで十分です。私が立派なヴァルキュリアにお育てしてみせましょう」
繰り返し頷いて、ヴェルザンディはぽろりと涙を零した。ジーンが戸惑いの表情を浮かべると、ヴェルザンディは首を横に振る。
「私はずっと自分の立場に疑問を持ち続けていました。ヴァルキュリアは異界から来た乙女のおわすところ。私のように、王族であるというだけで世襲するものではないのです」
ヴェルザンディは涙を拭って、澄んだ瞳でジーンを仰ぎ見る。
ジーンはヴェルザンディから向けられる無償の敬愛に、今もどうしたらいいかわからない。けれど自分を頼りにしてくれる人がいるのなら、それに応えてみたいと思った。
「はい。よろしくお願いします」
ジーンがうなずいて深く頭を下げると、蹄鉄の音が近づいて来た。
馬を寄せて来て側で降りると、ヴィーラントが強い口調で言う。
「乗れ、ジーン」
不機嫌そうな顔で手を差し伸べるヴィーラントに、ジーンがやはり二人乗りはまだ危ないのではと戸惑ったときだった。
ジーンはひょいと抱えられて、行きに乗って来た馬に乗せられる。その後ろに、やはり当然のようにイツキが収まった。
ヴィーラントは目をとがらせて怒る。
「イツキ! お前な!」
「フェルニルとお呼びください」
ヴィーラントにイツキは短く告げて馬首を返す。
さっさとアスガルズ宮の方に馬を走らせるイツキを、ジーンは見上げる。
「ありがとうございます。えと、フェ……ヴ」
「イツキで結構です」
イツキに優しく返されて、ジーンは首を傾げる。
(あれ……?)
まだ混乱しているジーンに、イツキは安心させるように言った。
「あなたの心のままに呼び、望みを口にしてください」
イツキは従者のような、庇護者のような声音で続ける。
「あなたが健やかでいないと、命は乱れるのです。だからどうか心穏やかに。あなたにはマナトと、そして私がおります」
イツキの体は冷たかったが、包み込まれていると微かな温もりを感じる。花の香りがする風に頬を撫でられて、ジーンはくすぐったそうに目を細めた。
それに応じた騎士の準備は早く、ヴィーラントが門の前に辿り着くまでには二人の護衛の騎士と二人分の馬が用意されていた。
ジーンは困ったように首を傾げて問う。
「ごめんなさい、私は馬に乗れないのですが……ヴィーラント様は馬に乗れるのですか?」
「たぶんそうだと思った。だから一緒に乗ろう」
目が見えないのに危なくはないかと案じるジーンにあっさりとうなずいて、ヴィーラントは馬の頬を慣れたように撫でる。
護衛の騎士は畏れるようにそっと進み出ると、イツキに馬を勧めた。
「フェルニル殿はこちらの馬を」
イツキは無言でうなずいて、ジーンのところに歩み寄る。
ジーンはびっくりして息を呑む。
「えっ」
イツキはジーンを抱き上げて馬に乗せると、当然のように自分はその後ろに乗って手綱を取った。
それを見てヴィーラントはむっと顔をしかめる。
「おい、ジーンは俺と一緒に乗るんだよ」
文句をつけたヴィーラントを、騎士たちは二人がかりで宥める。
「殿下、まだ二人乗りは危険です。お留まりを」
ヴィーラントは気に入らなさそうにイツキを見ていたが、やがて前に向き直る。
「ったく」
ヴィーラントは苛立った声を上げて馬を走らせた。騎士たちがそれに忠実に併走していく。
ジーンはしゅんとしてうつむく。
(また怒らせてしまった)
でも目の見えないヴィーラントに、自分が重荷になってしまったら心配だった。ジーンは初めて乗る馬にうろたえて、下手をしたら落馬して迷惑をかけないとも限らない。
それにジーンの小さな体を包み込むように回されたイツキの腕は、ひんやりしていたが触れていると安心する。
ジーンは手を伸ばして馬の頭をなでる。
「重たくない?」
馬は上機嫌にいなないて、ジーンの手を喜んだ。イツキはそっとジーンに声をかける。
「行きますよ。つかまって」
イツキは手綱を操って、ヴィーラントたちの姿を見失わない程度にゆっくりと馬を走らせた。
街道を下って門をくぐり、ジーンたちを乗せた馬は城塞の中を走っていく。
眼下には人々が生活する様が見えていた。本を抱えて歩いていく学者や、明るく人々を呼びこむ商人や、元気に駆け回る小さな子どもたちがいて、町は人々の活気で満ちていた。
ジーンはそのにぎやかさが心地よくて体を乗り出す。
「いっぱい人がいるんですね」
イツキはジーンが落ちないように腕でしっかりと支えながら返した。
「そうですね。何度侵略を受けて追い出されようと、人々はまた戻ってくるのです」
その言葉にどこか煩わしさを感じて、ジーンは顔を上げる。
「イツキさんは人間が嫌いですか」
「生き物はあまり好きにはなれません」
イツキの淡々とした声には、かすかな寂しさがあった。
「それでいいんです。私はたくさんの命を踏みにじってきたのですから」
ジーンはイツキといると安心する。でもそう伝えても、彼の罪悪感のような気持ちは消えないように思った。
(私がイツキさんを守ってあげることはできないのかな)
精霊は聖獣に守られるだけなのだろうか。ジーンはもどかしくて、言葉が出てこなかった。
イツキはそんなジーンには気づかなかったのか、いつもと変わりない調子でジーンに声をかける。
「そろそろ追いつきます」
いつの間にか城壁はずいぶん低くなってきていて、ジーンたちの乗る馬は草むらに下りてきていた。前方では護衛の騎士たちとヴィーラントがジーンたちを待っていた。
イツキは手綱を引いて馬を止めると、先に馬から下りてジーンを抱え下ろした。
ジーンはぱちりとまばたきをする。
「ヴィーラント様?」
そこにヴィーラントの姿はなく、ジーンはきょろきょろと辺りを見回した。
ふいに護衛の騎士たちが慌てた様子で声をかける。
「王子、なりません!」
ヴィーラントは騎士たちの制止を振り切って、軽やかに草むらを駆けていた。
ジーンは彼の走る先にあるものに気づいて、はっと息を呑む。
「ヴィーラント様、そっちは崖です……!」
前方に草むらが途切れているのが見えて、ジーンも慌てて駆け出す。けれどヴィーラントは走るのをやめない。
「ヴィーラント様!」
ジーンが手をいっぱいに伸ばしてその背中に触れようとした時、唐突にヴィーラントが立ち止まった。
ヴィーラントは振り向いてジーンを引き寄せると、そのまま後ろに倒れ込む。ふわりとジーンの体が浮いた。
ヴィーラントは無邪気な子どものように笑いだす。
「あははは!」
次の瞬間、ジーンはヴィーラントと共に花畑に埋もれていた。
ジーンや騎士たちが崖と誤解した岩の向こうには、花が咲き乱れる丘が広がっていた。
ヴィーラントは悪戯が成功したように、得意げに言う。
「見えるっていうのは誤解もあるんだぞ? 植物の声の方が確かなときがあるんだ」
目を回したジーンは、綺麗な黄金色の花たちに次第に笑顔になる。
「わぁ……」
見渡す限り広がる花畑に嬉しくなって、ジーンもきゃっきゃっと笑う。
ジーンの頬をつまんで、ヴィーラントはむっとする。
「俺の方を見て笑えよ!」
花畑にうつ伏せになって喜んでいたジーンを反転させて、ヴィーラントも横に寝転がる。ヴィーラントはジーンの脇をくすぐった。
言葉にならない笑い声をこぼすジーンに、ヴィーラントは楽しそうに笑い返す。二人でころころと花畑を転がっている様は、子犬がじゃれあっているのに似ていた。
ふいにジーンは目の前が陰るのを感じた。見上げると、仰向けに寝転がったジーンの横に手をついて、ヴィーラントが見つめていた。
「ジーン。大きくなったら俺の妃になれよ」
ヴィーラントのまなざしはまっすぐで、ジーンはその真剣さに息を呑む。
ヴィーラントはジーンをみつめたまま続ける。
「ヴァルキュリアじゃなくて、妃に。俺は乱暴で気も短いけど、お前だけは大切にするから。ずっと側にいてくれ」
のぞきこんだヴィーラントの銀髪が、ジーンの頬に掛かっていた。ジーンはその髪を撫でたい気持ちに駆られた。
ジーンは手を伸ばしかけて、その手をぎゅっと握る。
「……できません」
ジーンは首を横に振る。ヴィーラントの眉間にしわが寄った。
ヴィーラントはとがめるように問う。
「どうして」
「ヴィーラント様は将来、王族の姫君と結婚されると聞きました」
ヴィーラントは事も無げに答える。
「フレイアは周りが勝手に決めただけだよ。お互い仲も悪いし」
「私はヴィーラント様をお側で見守っているだけで幸せです」
「妃になるんだよ!」
首を横に振るジーンを、ヴィーラントは苦しいくらいに抱きしめる。
「嫌だって言ってもお前を妃にするからな」
ジーンはわがまま放題の言葉でも自分を求めてもらえるのは嬉しかった。愛おしい人がもっと側に来いと言ってくれるのは、心に花が咲くほど幸せな思いがした。
(でも私がお妃になるのは、ヴィーラント様のためにならない)
身分もなく、人間でもない自分が王子のお妃になるのは、きっとよくないことなのだろうと思う。
(私がヴィーラント様にせいいっぱい、できることは……)
ジーンがそれを言葉にしようと思っているうちに、意識が遠のいていく。
(こんなに強く押したら……お花が潰れちゃう)
ぎゅうぎゅうと抱きしめられることで、ジーンは窒息しそうになっていた。
ふいにジーンの体を締め付ける力が無くなる。
「ご無事ですか、ジーン」
ジーンが涙目で小さく咳をすると、イツキがジーンを心配そうに見下ろしていた。
ヴィーラントが腹立たしげに声を上げる。
「おい、お前! この持ち方は何だよ!」
イツキはヴィーラントの襟首を片手で持って、猫の子をつまむようにジーンから離していたのだった。
つり下げられたまま暴れるヴィーラントを、イツキは奇妙にゆっくりと地面に下ろす。
「お前、馬鹿にしてるだろ!」
ヴィーラントがいきり立ってイツキを見上げたとき、馬の音が聞こえてきた。
途端にヴィーラントはばつが悪そうな顔になる。ジーンが首を傾げると、その人はすぐ近くで馬から降りて言った。
「殿下、そろそろお戻りになられるよう」
ヴェルザンディは子どもっぽいことをしたヴィーラントを見透かしたようで、逆にヴィーラントに丁重に帰城を勧めてくる。
ヴィーラントは叱られた子どものように、少し目を逸らして言う。
「まだ日が暮れるまでだいぶあるぞ」
「ジーン殿やフェルニル殿に失礼はありませんでしたか?」
悪態をつきながらヴィーラントは自分の馬の方に向かった。彼がヴェルザンディに見せるのは母親への甘えに似ていて、ヴェルザンディの言葉には逆らえないようだった。
ジーンはそんなヴェルザンディに駆け寄って、昨日イツキと二人で相談した話を口にした。
「ヴェルザンディ様。あの」
ジーンはヴェルザンディに礼を取ってから告げる。
「私、ヴァルキュリアの訓練を受けてみたいです」
ジーンは昨日、イツキにたずねた。
(精霊はどんなことをしたらいいのですか?)
そのとき、イツキはほほえんでジーンに答えた。
――心のままに。でもあなたの心は、もう決まっていると思います。
ジーンはヴェルザンディに切り出す。
「魔獣に傷つく人がいてほしくないです。それだけの思いですが、私にできることをします」
「……ジーン殿」
ジーンの手を取って、ヴェルザンディは膝をつく。
「ありがたい。それで十分です。私が立派なヴァルキュリアにお育てしてみせましょう」
繰り返し頷いて、ヴェルザンディはぽろりと涙を零した。ジーンが戸惑いの表情を浮かべると、ヴェルザンディは首を横に振る。
「私はずっと自分の立場に疑問を持ち続けていました。ヴァルキュリアは異界から来た乙女のおわすところ。私のように、王族であるというだけで世襲するものではないのです」
ヴェルザンディは涙を拭って、澄んだ瞳でジーンを仰ぎ見る。
ジーンはヴェルザンディから向けられる無償の敬愛に、今もどうしたらいいかわからない。けれど自分を頼りにしてくれる人がいるのなら、それに応えてみたいと思った。
「はい。よろしくお願いします」
ジーンがうなずいて深く頭を下げると、蹄鉄の音が近づいて来た。
馬を寄せて来て側で降りると、ヴィーラントが強い口調で言う。
「乗れ、ジーン」
不機嫌そうな顔で手を差し伸べるヴィーラントに、ジーンがやはり二人乗りはまだ危ないのではと戸惑ったときだった。
ジーンはひょいと抱えられて、行きに乗って来た馬に乗せられる。その後ろに、やはり当然のようにイツキが収まった。
ヴィーラントは目をとがらせて怒る。
「イツキ! お前な!」
「フェルニルとお呼びください」
ヴィーラントにイツキは短く告げて馬首を返す。
さっさとアスガルズ宮の方に馬を走らせるイツキを、ジーンは見上げる。
「ありがとうございます。えと、フェ……ヴ」
「イツキで結構です」
イツキに優しく返されて、ジーンは首を傾げる。
(あれ……?)
まだ混乱しているジーンに、イツキは安心させるように言った。
「あなたの心のままに呼び、望みを口にしてください」
イツキは従者のような、庇護者のような声音で続ける。
「あなたが健やかでいないと、命は乱れるのです。だからどうか心穏やかに。あなたにはマナトと、そして私がおります」
イツキの体は冷たかったが、包み込まれていると微かな温もりを感じる。花の香りがする風に頬を撫でられて、ジーンはくすぐったそうに目を細めた。