呪われた悪霊王女は、男として隣国の人質となる~ばれたくないのに、男色王子に気に入られてしまって……?~
16話 初の夜会で嫉まれるが……?
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数日後、ベッティーナはリナルドに連れられて、夜会へと参加していた。
研修の一環として組みこまれたものだ。学んできた礼儀などを実践する場として、ちょうどいいという判断になったらしい。
リナルドいわく、
「あくまで懇親会だよ。リヴィ近郊にいる貴族の子息、令嬢がふらっと集まるだけの場だから、肩肘を張ることはないよ。気楽に来てくれればいいさ。アウローラの夜会とそう変わらないはずだよ」
とのこと。
主催であるがゆえに忙しかったのだろう。そう残すと、ベッティーナを会場へと置いてすぐに去ってしまった。
夜会に参加するなどベッティーナにとっては、これがはじめてのことだ。
身柄の引き渡し日以来、着るのは二度目の男性用礼服にもまったく慣れていない。
立派な服に着られた人形状態で、談笑する令嬢や子息の中でひっそりと息をする。
まるでここだけ、ナイフで切り落とされたみたいだなとか、そんなことを考えていた。料理に手を付ける気にもならなかったし、そもそも酒は飲めない。
こそこそと会場の端で、夜会の雰囲気をアイデア帳にメモをするなどしていたら、会場を照らしていた魔導ランプがいっせいに消える。
唐突な暗闇に周囲がざわつくなか、
「みなさま。本日は集まりいただきまして、感謝いたします」
正面の檀上だけが照らされると、そこにはリナルドが立っていた。
拍手と歓声がわっとあがる。黄色い声で、きゃあとわざとらしいものも聞こえた。
そのまま、開会の挨拶が行われる。
その壇上での立ち振る舞いは、たぶんかなりうまい。
喋っていることは月並みともいえるのに、さっきまでは各々の会話に夢中になっていた子息も令嬢も、いっせいに壇上で身振り手振り話すリナルドに注目していた。誰もが話を聞き漏らさないように会話をやめたというのに、会場の雰囲気は冷めない。
いくら彼が王子だからって、普通こうはいかない。
ベッティーナは完全に他人事の気分で、会場の端も端から、彼に目をやる。
要するに完全に油断しきっていた。
「あぁ、そうだ。今日は、アウローラの王子にも参加をしてもらっているんだった。紹介するよ。アウローラ・ベッティーノ君だ。あれ、どこに行ったんだ? いるなら返事をしてくれるかな」
それが打ち砕かれたのは、こんな呼びかけによるものだ。
まったく聞かされていない展開だった。寝耳に水もいいところである。
ベッティーナは思わず身を低くして影へ隠れようとする。
暗闇に溶け込むのは得意なはずだったが……あたりを少し見回すや彼はすぐにベッティーナを見つけた。
リナルドの顔に、きらきらとした笑みが浮かぶ。手を大きく上げて振ってくるあたり、いっさい悪気もないらしい。
……あの王子はいったい、なにをしてくれているんだ。
ため息を押し殺しつつ、その呼びかけに頭を下げて応える。この状況では、もうそうするしかなかった。
元敵国であり、従属国となったのがアウローラだ。下に見るものや、嫌悪するものもいたのだろう。
会場中が、うわさ話に包まれてざわめく。
「アウローラは、父が仕掛けた戦の結果、こちらが勝利をしたため従属国家となりました。ただし併合したわけではなく、あくまで友好的な主従関係を結んだ。彼は、ベッティーノ君はその関係の架け橋的な存在です。みなさま、ぜひに交友してみてください。面白い人ですよ」
そこへ、壇上からこんなフォローが付けたされると、ざわめきは大方静まった。
願望込みの解釈だな、とベッティーナは心の中で思う。
本当に平和の架け橋として送られた人質ならば、ベッティーナは選ばれていない。正真正銘、男である弟のエラズトが今ここにいたはずだ。
それはつまり、アウローラ側がただ従属しているつもりがないことを示している。もしかすると、反逆を企んでいる可能性だってある。
だのにリナルドは、その疑いをほとんど持ってはいないらしかった。
その考えには賛同できない者も多かったのだろう。リナルドによる挨拶が終わると、ベッティーナに向けられるのは、白い目だ。
(格好の獲物状態ね……)
いくら物理的に端にいても、会場の中心で集られている気分だった。かと言って移動すれば、ベッティーナの周囲に円を作るように彼らは距離を取る。
聞こえていないと思ってか、その外周で「敗戦国の王子らしく貧相だな」とか「どの面下げて」とか会話が交わされるが、地獄耳を舐めてもらっては困る。
シャットアウトしたいことまで、すべて流れ込んできた。
まったくいらないことを……とリナルドへ怒りを募らせていたら、不可侵領域と化していた円の中に、ついぞ飛び込んでくるものがいた。
「お初にお目にかかりますわ、ベッティーノ様」
声音は低く、抑えめ。けれど、耳にはすっと入ってくる。
純白のハイウエストドレスに、腰元から下は幾重にも重なったレースを垂らし、足元はこれでもかと高いハイヒール。
長い巻き髪を背中に悠然と揺らす女性は、貴族ばかりが集まる空間の中でも、ひときわ目立つ。
「わたくし、ミラーナ・オルラドと申します。代々、財政管理を務めるオルラド公爵家の第三令嬢をしております」
高貴すぎる女性が向こうから率先して挨拶をしてきたのだから、あっけに取られた。ベッティーナは戸惑いつつ、とりあえず自己紹介を行う。
が、できたのはそこまでだ。とくに会話の種が見つからないから、そのエメラルドグリーンの丸い瞳を、ベッティーナはただ見つめる。
全体的に落ち着いた印象だった。ゆるやかな曲線を描いて膨らんだ輪郭も、ほんのり朱色がさした頬も、形のいい小さな耳も、そこにかかるウェーブかかった上品なミディアムヘアも、その印象に拍車をかける。
大事に大事にと育てられてきたことが、その見目だけで想像がついた。
頭に括り付けられた桃色の花を模した髪飾りも、緩めに開けられた胸元に光ってアクセントになるダイヤ、クリスタルの腕輪など、さまざまなアイテムをこれだけ使いこなしているあたりも、さすがは公爵令嬢というところなのだろう。
ベッティーナがそれらを身に着けても同じようにはならないだろう。
などと勝手に考えていたから、
「あなた、婚約者などはいらっしゃいますの?」
そこへ振られた話題には大層驚かされた。
思ったより深く、一気に懐へと踏み込まれた気分だった。いきなり剣で喉元を突かれた感覚で、ベッティーナは一拍子固まってから、ありのままを答えることとする。
「……そのようなものはおりません」
すると、そこであからさまに態度が変わった。
すすっとベッティーナの肩口へ身を寄せてきた彼女は、顔をまじまじと下からのぞき込む。いわゆる上目遣い。
「まぁまぁ! それは、いいですわね、そうですか。アウローラ王家の方なのですよね。ぜひ話してみたいと思っていたんです! そうだ、たとえばおお酒などは飲まれるんですかぁ?」
それまでの落ち着いているという印象が、雪崩を起こして崩れていく。
一気に、豹変したと言っても過言ない。声のトーンは数段高くなり、瞳はわざとらしいくらいに光って揺れていた。
さっきまでとは、まるで別人のようだ。可愛くすがって餌をねだる小動物みたいになっている。
「お酒はあまり飲まないのですが」
「あぁ、いいですわね、そういうの。お酒を過度に好きな人間とか、ろくな人間がいないですから。わたくしも、紅茶や最近はやりのハーブティーの方が好きですわ」
「……ハーブティーなら、私も飲みます」
「お、一致しましたわね! じゃあご趣味はあられますの」
「えと、一応時間ができた時には読書をすることが多いですね。今はリナルド様の屋敷におりますので、書庫を使わせていただいております」
「読書、きましたね、これ! うんうん、今のところベスト!」
……なにが来たのだろう。
ベッティーナをそっちのけで握りこぶしを固めるオルラド公爵令嬢の手前、ベッティーナはつい眉をしかめる。が、彼女はすぐに「あ、今のは忘れてください」と、袖のレースで口元を隠して笑う。
一応、その辺の所作は令嬢っぽいのだが、
「それで、どんな本をお読みになりますの? たとえば、物語とか魔術書とか、ご系統を教えていただきたいなぁとか思うんですけどぉ」
すぐにこれだ。
とんでもない、押され方であった。じりじりと詰め寄って来るので、ベッティーナは一歩、二歩と後退する。
「あぁ始まったよ」「ミラーナ様の男品定め」との声が漏れ聞こえてくることから、だいだいの事情は察せられた。
どうやら、婚約者候補として見られているらしい。ただ男として振る舞っているだけで、中身は女なのにもかかわらず。
ベッティーナは頭を抱えたくなりつつ、彼女から繰り出される質問にとりあえず答えていく。
「うんうん、やっぱりきてますわ、これ!!」
それがどういうわけか、彼女の求めていた婚約者候補像にばっちりはまっていたらしい。
このままではまた、頭痛の種が生まれてしまう。
気に入られてしまったあとに女とばれたら、どんな仕返しをされるか分かったものじゃない。
「それじゃあ好きな食べ物はとかは? なにかある?」
「…………金粉でしょうか」
だから、これはその対策のための防御策だ。
これまでの質問でなんとなく質素堅実な人が好きなのはわかったから、逆に張った。
それは、予想外の回答だったのだろう。は、そのつぶらな瞳を見開き、きょとんと首を捻る。
完全に、理想から外れたに違いなかった。これで、追及ももうあるまい。
そうベッティーナが確信したところで、彼女はけらけら笑う。しまいには腰を折って腹を抱えてしまう。
「あはは、いい、いいわ、本当に! リナルド様の言う通り、あなた面白いわね!」
完全に、失策だった。
よもや、より気に入られることになろうとは思わなかった。
面白いことを言ったつもりもないのに、ミラーナの中では勝手に面白おかしく変換されたようで、その笑いは止まりそうになっても続く。
「やぁ、ベッティーナ君。なんだか楽しそうにしているね」
そこへやってきたのは、すべての元凶だ。思わず刃を向けるみたいに、リナルドの方を睨みつけてしまう。
「……あんな紹介をするとは、は聞いておりませんでしたが」
「はは、でもいいじゃないか。こうして気の合う人間にも出会えたわけだろう?」
いや、どうやって見ればそんな風にとらえられるのか。もしかすると、すべて平和にでも見えているのかもしれない、彼には。
ベッティーナが心の中でそんなふうに苦言を呈していたら、リナルドがミラーナへと声をかける。
「随分と賑やかだね、ミラーナ。面白いだろう、彼。僕も気に入っているんだよ、こういうところ」
「ふふ、そうでしょうね。最近、懇意にしていると聞いていましたよ」
「まだまだ一方的だけどね。彼を引き出しきることは、できていないかな」
「あら。では、わたくしもその役目に加わろうかしら、ふふ」
二人はにこやかな歓談を交わす。
なぜそんな中にベッティーナが混じっているのだろう、と素直な疑問を抱いてしまうほど和やかで、いい雰囲気だ。
どちらも若い男女で、高貴な身分である。ベッティーナとしては、ここ二人が勝手にくっついてくれれば全てうまくいくのだが……
そういう関係にはなりそうもない雰囲気だから不思議だ。親しい友人以上には、どうしても見えない。やっぱりリナルドが男色をするせいだろうか。
「なによ、あの男。ただの人質のくせに、お二人と……」
そんなうちにも、周囲の悪口はエスカレートしていく。責められている側のベッティーナでさえ、その気持ちは分かるから困りものだった。人気者が新参者にさらわれていったわけだから、気分がよくはないだろう。
ただこの状況を受け入れるほかなく、人に囲まれた中で石像と化す。
あきらめの境地に入っていたら、
「変な噂は立てない方がいいよ、君たち。しょうもない理由で家を廃されたくないだろう?」
「そうよ。文句を言うのなら、勝手に彼を気に入ってしまったわたくしたちにどうぞ」
リナルドとミラーナは抜群の協調性で、ベッティーナの両脇から少し前へと出る。どちらも腰に手を当て、胸を張っているのだから自信満々な様子だった。
ミラーナに至っては今日会ったばかりなのに、とベッティーナはただ驚かされる。
内容はともかく、とくに身分の高い二人がこう宣言したのだから鶴の一声には違いない。
周囲は波を打ったように静まりかえり、陰口は一掃される。
「たまには僕も使えるだろ?」
リナルドは得意そうにこちらを振り向き、にっと口端を吊り上げた。ミラーナは小首をかしげながら、ほほ笑む。
「……そう甘くないと思いますけど」
とは、ぼそり呟いたから二人には聞こえなかったらしい。
「まぁ、気にしないでいいんだよ、ああいうのは」
「そうよ、ベッティーノ様。人の噂をすることだけが趣味の人間もいるの」
こう声をかけられるから、曖昧に頷く。完全に気にしないことにしたらしい二人は、そのまま雑談へと戻っていった。
でもベッティーナは知っている。
人の悪意というのは、厄介な代物なのだ。こうして無理に封じ込めたところで、消えたりはしない。むしろ裏で燻って、暴走する可能性だってある。