呪われた悪霊王女は、男として隣国の人質となる~ばれたくないのに、男色王子に気に入られてしまって……?~

25話 【side:リカルド】なにもなかった。


     ♢

何事もなかったかのように振る舞ってはみたものの、腹の内側ではリナルドもまた、違和感を覚えていた。
単なる偶然かもしれない。だが、そうだと決めつけることはできない以上、誰かの害意を疑わざるをえない。
そして、もしそうだとしたら、その実行者がベティの周囲にいる人間を狙っている可能性はかなり高い。
ベティの交友関係は狭く、親しくしているものといえば、二人を除けばあとはリナルドくらいのものだった(どう思われているかはともかく)。
「……なにもなければ、それがいいけどね」
 ミラーナが怪我を負ってから数日。
一日前に王都で行われた定例会の書類を整理しながら、リナルドの思考は勝手にベティのところへと飛んでいく。
今回の会議でも、その存在は話題に上り、父であるシルヴェリ王に忠告を受けたばかりだったのだ。
「例の人質は、妙な動きをしてはいないだろうな? もしなにかあれば、すぐに報告するのだぞ」
、と。
友好的な主従関係を謳いつつ、父はアウローラ国を信用しているわけではない。その建前があった方が、従属を受け入れさせやすかったため方便としてそういう言い方をしたのだ。
なにかあれば、国を乗っ取るくらいのつもりでいる。
「あれは、ただのカードだ。災いをもたらすならば、別の方法でアウローラの優位に立てばいいだけだからな」
だから、父の発言はなにも間違ってはいない。相手に必要以上の信頼を置かないことは、政治家としてむしろただ最い。
なのに、だ。そういうわけか苛立ちが込み上げてきて、
「……ご心配なさるような事は、何もありませんよ」
わざわざこう強調してしまった。
なんとか顔だけは笑みを作ることに成功したがしかし、机の下では拳を握りこんでしまって、爪の跡が今も残っている。
カードと物かのように言われたのが、気に食わなかったのだと今になっては思う。
半ば衝動的な発言だったが、言ったものは言ってしまった。
 そんな矢先に問題が起きたとなれば、父からのリナルドへの印象も、ベティへの印象も悪くなる。
 だから、妙な傷害事件がこれ以上連鎖する事態はなんとしても避けねばならない。
そして、ベティに心配をかけたくないという気持ちもあった。
 今やただの人質とは、到底割り切れない。その存在はリナルドの日々にたしかな彩りをもたらしていて、ベティが落ち込む姿は見たくなかった。
 そんな思いを実現するための手は、すでに打ってあった。
「リナルド様、今お時間は大丈夫でしょうか」
 ちょうどその報告が来たらしかった。
 休憩がてら、メイドらに用意してもらった湯で、紅茶を淹れている途中であった。
カップに注ぎつつ、うんと返事をすれば、執事であるフラヴィオがかつかつと規則正しい足音を鳴らしながら入ってくる。
 彼は半年ほど前に、リナルドがその実力を見込んで採用した執事だ。執事家の出ではあるものの、まだ新米と言える期間しか勤続していない。
 だがそれでも、彼はとにかく万能であった。
 一見子供っぽくも見える見た目をしているが、執事としての基礎スキルはもちろん、対応力もかなりのもの。
屋敷内で起きる問題のほとんどを冷静に対処してくれて、おかげで領主としての仕事に精を出せるようになった。気をつけていなければ、頼りすぎてしまうほど。
 リナルドにとっては、今や片腕ともいえる存在だった。
 彼は机の前でぴたりと止まると、一度頭を下げて、机の上に何枚かの書類を置いた。
「ロメロ、ミラーナご令嬢がそれぞれ怪我をされた件について。そのとき現場にいた者に話を聞き、まとめたものです。……残念ですが、とくに目撃情報などはないようですね」
「ということは、現状は偶然と考えるしかないのかな」
「……現状はそうなるかと」
 安心したような、まだできないような、微妙な心地であった。
いっそ誰かの犯行だとはっきりすればよかったのだが、そうもいかないようだ。
リナルドはそのもどかしさを流すかのように、紅茶に口をつける。そうしながら、フラヴィオの報告書からなにか情報を得られないか目を通し始めたところで、喉に軽い痛みを覚えた。
少し焼けるような感覚はやがて、痛烈な痛みへと変わる。少し喉元を押さえているうちに、一挙に身体がだるくなってきて、手に力が入らなくなった。
「り、リナルド様⁉ どうされたのですか、リナルド様!」
 こちらまでやってきて、肩を揺するフラヴィオの声がだんだんと遠ざかって、小さくなって聞こえる。床に落ちてしまったカップの割れる音が、ここではない場所からした気がした。
 紅茶のこぼれた膝上に、どんどんとシミが広がっていくのを見ながら、意識が遠くへといきかける。
 が、ベティへの思いがそれを阻止した。ここで自分が倒れたら間違いなく、疑いの目はベティへと向いてしまう。
 リナルドはそれを避けたいがための一心で辛うじて意識を保って、どうにか首にかけたネックレスにふれてラファを召喚した。
 なにも命じずとも、彼女はすぐ状況を悟ったらしい。
「ご主人⁉ 今度はあなたまで⁉ 待ってて、すぐにどうにかするよ」
速やかに治療が行われ、おかげで喉元の痛みが消えていく。
朦朧としていた意識も、無事に返ってきた。口元に残っていた紅茶を湯ですすぐことで、ひとまず事なきを得る。
「毒だよ、これ。しかも強毒で、少しの摂取で意識が飛ぶような代物……。こんなものをご主人に盛るなんてありえない!」
 リナルドの肩に乗ったラファは、甲高い声で怒りを露わにしていた。
「毒、か。そんなもの、いったい誰がまぎれこませたんだ?」
「そんなの、どうせあの悪魔使いでしょ」
「いいや、それはないと思うけどね」
 彼女と会話を交わす中、天使が見えていないフラヴィオは、その場にしゃがみこむと顔を落として深い溜息をついていた。自分の主人が目の前で倒れかけたのだから、かなり肝の冷える状況だったことは理解できる。
「リナルド様、これもロメロやミラーナご令嬢を狙ったものと同じなんでしょうか。あの人質が原因の……」
 顔をうつむけ、垂れた髪で目元を隠したまま、彼がぼそりと呟く。
 リナルドはそこでラファの召喚を解いて、彼の頭を一つ撫でた。
 さっきまではただの可能性だったが、こうなってくるといよいよ、その説が濃厚になってくる。
いかにリナルドがもともと狙われやすい立場にあるとはいえ、連続性があるのは明かだ。
 リナルドはカップとティーポットをのぞきこむ。茶葉を入れていた小瓶を手に取り、その中をかき回す。
よく匂いを嗅いでみれば、たしかに少し妙な香りがする。茶葉の香りに包まれ薄れているが、酸っぱい匂いで、近くで嗅げばそれだけでむせかえりそうな匂いだ。
「なぁフラヴィオ。この茶葉を調べてくれるか。どこから入手したもなのかが分かれば、犯人が分かるかもしれない」
「……かしこまりました。ですが、まずはこの事件をシルヴェリ国の各所に知らせなければならないかと存じますが。これは立派な暗殺未遂です。こんなことがあっては、王も黙ってはおりません」
 フラヴィオの言い分はもっともだ。
 リナルドの立場上、場合によっては犯人の大捜索を国をあげて行うような事態だって考えられるし、公表すればそうなるのは目に見えていた。
 だから、首を横へと振る。
「このことは誰にも言わないようにしてくれるか?」
「……しかしリナルド様」
 上げられた顔ににじむのは、戸惑いである。そういう次元の話ではないことは分かっていても、ここは引けない。
 ベティの身の安全を考えたら、不安に陥ることを思ったら、なにもなかったことにしなければならないのだ、絶対に。
「いいから。頼むよ、フラヴィオ。ここでは、なにもなかった。いいね?」
 リナルドが訴えるように言ったのが、執務室内にやけに響く。
 ラファも引っ込めていたから、二人きり。しばらくは考え込むようにしてフラヴィオは目を瞑っていた。
お付きの執事としてどちらが正しいのか考えあぐねていたのかもしれない。が、最後には唇を噛みながらも、その要望を飲んでくれたのであった。
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