初恋カレイドスコープ
ドアを閉めて、こっちへ来いと。
顎で指示された私は、震える手で扉を閉めてそうっとデスクへ歩み寄る。玲一さん。玲一さんだ。この目、この顔、間違いない。
「また会ったね」
猫のような瞳をにこっと細め、玲一さんは小首をかしげる。ああやっぱり、私の勘違いなんかじゃない。ほっとしていいのか驚くべきなのか、頭はまだ混乱しているけど。
「世間って案外狭いものだね。まさかここの社員だったなんて」
「あ、え、……ええと」
「一華ちゃんが知ったら驚くだろうな。まあその前に『うちの社員に手を出すな!』って、めちゃくちゃに叱り飛ばされるんだろうけど」
一華ちゃん……あ、社長のことか! あの社長をちゃん付けで呼ぶなんて、恐れ多いことをする人だ。
ああでもそういえば、係長が社長代理のことを『社長の弟さん』と言っていたっけ。
「玲一さんは……社長の弟さんだったんですか?」
「うん」
「でも、うちの役員だって……なんで、シンガポールで、お土産屋さんなんて」
「まあ、あれは副業かな? いや、むしろこっちが副業か。一華ちゃんがどうしてもって言うから名前だけ貸してたんだけど、まさかこんなことになるとはね」
玲一さんは笑っているけど、私には全然意味がわからない。
二度と会わないと思っていた人が、今、目の前にいる。
嬉しい気持ちを遥かに凌駕する驚きと戸惑いの質量に、私の脳は押しつぶされてほとんど回らなくなっている。
「びっくりした? そうだよね」
「ええ……はい」
「ま、仲良くやろうよ。あの時のことは、お互い全部夢の中だったと思ってさ」
何気なく言われたその言葉が、氷柱のように胸に刺さる。夢の中。それってつまり、現実ではないということで。
玲一さんの大きな瞳が静かに私を見据えている。熱のこもったあの夜とは違う、暗く冷淡な眼差し。心に芽生えた甘い期待が、音を立ててしぼんでいく――分をわきまえろと嗤うように。
いや、きっとすべては自明の理だ。彼は経営者で私は平社員。玲一さんは私の浮ついた気持ちに冷たい鉄の釘を刺した。
勘違いするなと。
俺たちは他人だと。
ああ、もしかしたら秘書課への異動は、彼なりの口止め料なのかもしれない。
「……そうですね。わかっています」
いやに落ち着いた私の声に、玲一さんが眉を上げる。
意外に思った? でもね私、これでもずっと営業の第一線で戦ってきているんだよ。
「これからはより一層、真摯に働かせていただきます。……椎名社長代理の秘書として」
本心を殺す仮面を被って、笑顔を作るのは私の特技。
たとえあなたが相手であっても、こんな演技くらい造作もない。
玲一さんは、……社長代理は、しばらく無言でじっと私を見つめていたけれど、やがて気が抜けたように笑うと椅子の背もたれに寄りかかった。
「改めてよろしく。……高階」