初恋カレイドスコープ
玲一さんはドS
・第六章~第九章あたりの話です
・一人称凛視点
・コメディです。えろくない
*
ラブホテルってすごいと思う。
きらびやかで豪奢なお部屋に至れり尽くせりのアメニティ。フリードリンクが用意してあったり、マッサージチェアが置いてあったり、プロジェクターや人工温泉まで行くともうちょっとしたアミューズメントパーク並だ。
これはたぶん、私たちが良いホテルばかり来ているせいもあるだろう。こんなにちょくちょくホテルで過ごして、ちょっと無駄遣いしすぎじゃないかなと思いつつ、お金は全部玲一さん持ちだから私は未だ口を挟めずにいる。
「あ、懐かしい」
乱れに乱れ火照った肌を冷たいシャワーで洗い流し、バスローブを羽織って私が部屋へと戻ったとき、玲一さんは大きなベッドの上でカタログを広げてはしゃいでいた。このホテルの貸し出し品の一覧が並ぶ中で、彼が熱心に眺めているのはどうやらゲーム機の類らしい。
「面白そうなもの、ありました?」
「あったあった。ほら、わりと良いゲーム揃ってるよ。懐かしいなー、これとか子どもの頃めちゃくちゃやった」
さっきまでの大人の色気が今ではすっかり鳴りを潜めて、玲一さんは少年みたいに無邪気な顔で足をばたつかせている。紅潮した頬にきらきらした瞳。こうして楽しそうにしている玲一さんを見ていると、私まで幸せな気持ちになってしまう。
「どうします? レンタルしてみますか?」
幸い今日は金曜日。いつもより少し長めに休んでいくだけの時間はあるし、なんならこのままお泊りだって、私はこっそり大歓迎だ。
玲一さんはぱっと顔を上げると「いいの?」と言って私を見上げた。ああもう、なんだかたまらなく可愛くて、頬がむずむずしてきちゃう。
フロントへ電話をかけて数分後、インターホンが間延びした音で鳴いた。いそいそと玄関へ向かった玲一さんが、大きな箱と小さなケースを両手で抱えて戻ってくる。
慣れた手つきで機械をセットして、大きなテレビのスイッチを入れる。画面がついた途端に本番真っ最中のアダルトビデオが映し出されて、私はひゃあと驚いたけど、玲一さんはすぐリモコンを操作してゲーム機の画面に移してしまった。
「じゃ、電気消すよ」
……ん? なんで?
私が疑問に思ったのも束の間、あっという間に部屋は暗闇となり、玲一さんはコントローラー片手にベッドへとぴょんと戻ってくる。
私の背後に回った彼は、そのまま後ろから抱きかかえるみたいにお腹の前へ腕を回すと、私の肩に顎を載せてスタートボタンをプッシュした。
真っ暗な画面にぼんやり浮かぶ、薄暗い森と雨の中の廃墟。鴉の声が遠くに聞こえ、さまよい歩く少女の背後に、白い服を着た女の姿が不気味な音と共に見え隠れする。画面の中にゆっくりと浮かび上がるおどろおどろしい和名のタイトル……これ、まさか。
「……ほ、ホラーゲームですか……?」
震える私を完全に無視し、玲一さんは画面を見つめたまま、
「そうだよ!」
と、聞いたことないくらい明るい声で言い放った。
「うわ、ほんと懐かしい……BGMそのまんまじゃん。グラ綺麗だけど……わーっ、すごいすごい! 昔のと同じ!」
無邪気にはしゃぐ玲一さんとは対照的に、テンションが急降下してその場に凍りつく私。
抱きしめてもらえること自体は嬉しい。こんな後ろからハグなんて、なんだか本当の恋人みたいだし。
でも、ホラーは……ホラーだけは、私、どうにも苦手なんです。ホラー映画のCMだけでも思わず目を背けちゃうほど。
(うわ、画面が綺麗すぎて実写のホラー映画みたい。……音がリアルですっごいヤダ。なんなのこれ、普通に怖い……)
さっきまでやらしい音ばかりだったラブホテルの一室は、今や静かな環境音だけが薄暗がりに響いている。大きなテレビ画面の中では、不安そうな顔をした女の子が、懐中電灯だけを片手に廃墟の奥へと進んでいく。
とりあえず何か気を紛らわすものを、とスマホを手探りで探したけれど、玲一さんの身体が邪魔でベッドサイドまで手を伸ばせない。せめて画面を見ないようにすればと思い切って目を閉じてみれば、ひゅうひゅうと啼く風音の合間に幽霊のすすり泣きが入り混じる。……ああ、いやだ、想像しちゃう。ゲームの音だとわかっているのに。
「凛ちゃん」
ふいの声に怖々と目を開けると、私の肩に顎を載せたまま微笑む玲一さんと目が合った。
「怖いのダメ?」
私は頷く。
玲一さんは「そっか」と言うと、そのまま私の手を包み、指先を緩く絡ませながら、ちゅっと手の甲にキスをする。
あ、優しい。やめてくれるんだ……と、私が頬を染めたのも束の間、玲一さんはそのまま私の手にコントローラーを握らせた。
「じゃ、さっそくやってみようか!」
「ええええーー!?」
なんでそうなるの!? 怖いのダメだって言ったのに!!
大騒ぎする私を無視して、玲一さんは私の手の上から器用にコントローラーを操作する。廃墟の入り口で立ちすくんでいた女の子が、キィ、と古い扉を開けると、ぞわぞわするような冷気とともに遠くから虚ろな声が聞こえてくる。
「こ、これ、やらなきゃだめですか……?」
「大丈夫、これそんなに怖くないやつだから」
「でも私、ほんとに苦手なんです……!」
「俺の言うとおりに進めれば大丈夫だよ」
「あの、私あっち向いてスマホゲームしてるんで、こっちは是非玲一さんに……」
「俺の思い出のゲームだからさ、凛ちゃんと一緒にやってみたいなー」
……そ、その言い方、ずるくない?
結局私は有無を言わせない彼の笑顔に圧し負けた形で、ほとんど薄目を開いた状態でゲーム画面に目を向けた。大きなディスプレイに映し出された、いかにも何かが現れそうな不気味で汚い廃墟の映像。最近のゲームって本当にリアルだな。洋服の質感や建物の傷み具合まで、あまりにも生々しくて思わず唾を飲み込んでしまう。
「まっすぐ進んで。周りは特に見なくていい。……そこ、その陰にアイテムあるから、後のために取っておこうね」
思い出のゲームというのは事実のようで、玲一さんはにこにこしながら私にあれこれ指示をしてくる。仕方なく言われた通りに操作しつつ、私は主人公の女の子と一緒に妖しい雰囲気の漂う廃墟の奥へと進んでいく。
「今来た道を覚えておくと、次の戦闘のときに立ちまわりやすいかも」
「ホラーゲームに戦闘があるんですか……?」
「これはあるんだよねぇ。だから余計にホラーっぽくないんだけどさ」
そこまで知り尽くしているのなら、なおのこと自分で操作すればいいのに、一体どうして玲一さんは私にやらせようとするんだろう?
心の中で文句を言いつつ、画面の中の女の子は歩いていく。懐中電灯のぼやけた光が、蜘蛛の巣だらけの廊下の先にある錆びついたドアを映し出す。
「そのドアを開けて」
耳元で聞こえる低い声に、私は小さく息を呑む。
コントローラーを握りしめたまま、唇を結び動こうとしない私の顔を覗き込んで、
「凛ちゃん?」
と、玲一さんは確認するように大きな目を向けた。
「……ドア、開けなきゃだめですか?」
「開けないと先に進めないよ」
「でも、これ、絶対出てくるやつじゃないですか……アレが」
「んー、どうかなー? 出てこなかった気もするけどなぁ」
「本当ですか……?」
「うん、ほんとほんと。とりあえずほら、開けてみればわかるよ」
軽い調子で促されて、私は渋々ボタンを押す。
途端、ゲーム画面の雰囲気が代わり、私が操作する女の子の華奢な身体が映し出された。ろうそくに覆われた部屋の中を怯えながら進む彼女の背後に、足音もなく現れる虚ろな顔の白装束の女――
「きゃあああああああ!!」
「あっはっはっはっは!!」
案の定おでましになったステレオタイプの幽霊の姿に、私が甲高い悲鳴を上げると同時に玲一さんは爆笑した。ムービーシーンが終わるとともに唐突に始まった戦闘の中、這うようにして追ってくる幽霊から少女はおどおどと逃げ惑う。
「でてっ、でてきたじゃないですかぁっ! ほらぁ!!」
「だっはっはっはっは!! ひゃー!!」
「あーっ、わーっ、ねえどうすればいいんですか!? 追って、ほら、追いかけてくる! 来るんですけど!! ねえ!!」
「あっひゃっひゃっひゃ!! あー!! おもしれえ!!」
「なんっも面白くないです!! これどうするんですか!? あああやだやだやだぁ! ねえどうするの!? ねえってばぁ!!」
大暴れしながらコントローラーをガチャガチャ動かす私。
そんな私のお腹を抱きしめ、馬鹿みたいに大笑いする玲一さん。
ここがラブホテルでなければ騒音で隣室から怒られていただろう公害レベルの大騒ぎの中で、私は涙目になりながら必死に女の子を走らせる。しつこく追いすがってくる幽霊からとにかく距離を置きたくて、でも、めちゃくちゃに動かすだけでは当然逃げ切れるはずもなくて。
瀕死を示す赤いメーターがとうとう真っ黒になったとき、画面は再びムービーへ切り替わり、無数の白い腕に取り込まれる少女の悲鳴が木霊した。暗闇にゲームオーバーの文字が浮かび、それが暗転したと思うと、テレビには再びオープニングの画面が映し出される。
私は肩で息をしながら、その場にコントローラーを放り捨てた。疲れた。なんか……とにかく疲れた。全速力で廃墟を逃げ回り、あの世に引きずり込まれる恐怖感。私自身は一歩も動いていないのに、全身にびっしょりと汗をかいている。
そして私のすぐ後ろでは、両足で私の身体を挟んだまま、笑い疲れて大の字になっている男がいるのだから、なんかもう……まったくよくわからない状況だ。
「あー……もう最高。凛ちゃんゲーム実況者になれるよ」
「……なりたくないです」
「そうなの? 残念。ああもう、久々に涙出るまで笑ったわ、俺……」
ホラーゲームで怯えて泣き叫ぶ私のなにが面白かったのだろう。前々からとらえどころのない人だとは思っていたけど、いよいよ今日はとらえるどころか1ミリも理解できなくなってきた。
目尻に浮かぶ笑い涙を指先で軽くぬぐってから、玲一さんは身体を起こすとぎゅっと私を抱きしめた。いつもならとても嬉しいそれにドキドキするだけの気力もなくて、私はすっかり脱力したように彼の胸に身体を預ける。
……と、バスローブの合わせ目から中へ侵入する、この不届きな指先は。
「……なんでこの流れで触ってくるんですか」
「ん? 凛ちゃんがめちゃくちゃ可愛かったから」
ちっとも悪びれもしないまま、玲一さんは私の首筋に顔をうずめてちゅうと吸いつく。冗談なのかと思ったけど、指の動きのやらしさが本気だ。しかも私のお尻あたりに、すでに一度果てたというのに再び固さを増したものが自己主張するみたく押し当てられている。
「さっきの泣きそうな顔、また見せて」
……いやに熱っぽい彼の声に、一瞬流されそうになったけど。
私は玲一さんの手を引っ掴むと、そのままぺいっとバスローブの外へ放り出した。なおも触ってこようとする悪い手を引っ叩いて、もぞもぞと布団に入り込むと思い切り彼へ背を向ける。
「凛ちゃーん?」
「もう、知りません!!」
さすがに今日は許さないぞ。ホラーは苦手だって、あれだけ何度も言ったのに!
徹底抗戦を決め込む私に、玲一さんは甘えたように笑うと「ごめん」と言って布団へ入りもう一度私を抱きしめた。
おわり
・一人称凛視点
・コメディです。えろくない
*
ラブホテルってすごいと思う。
きらびやかで豪奢なお部屋に至れり尽くせりのアメニティ。フリードリンクが用意してあったり、マッサージチェアが置いてあったり、プロジェクターや人工温泉まで行くともうちょっとしたアミューズメントパーク並だ。
これはたぶん、私たちが良いホテルばかり来ているせいもあるだろう。こんなにちょくちょくホテルで過ごして、ちょっと無駄遣いしすぎじゃないかなと思いつつ、お金は全部玲一さん持ちだから私は未だ口を挟めずにいる。
「あ、懐かしい」
乱れに乱れ火照った肌を冷たいシャワーで洗い流し、バスローブを羽織って私が部屋へと戻ったとき、玲一さんは大きなベッドの上でカタログを広げてはしゃいでいた。このホテルの貸し出し品の一覧が並ぶ中で、彼が熱心に眺めているのはどうやらゲーム機の類らしい。
「面白そうなもの、ありました?」
「あったあった。ほら、わりと良いゲーム揃ってるよ。懐かしいなー、これとか子どもの頃めちゃくちゃやった」
さっきまでの大人の色気が今ではすっかり鳴りを潜めて、玲一さんは少年みたいに無邪気な顔で足をばたつかせている。紅潮した頬にきらきらした瞳。こうして楽しそうにしている玲一さんを見ていると、私まで幸せな気持ちになってしまう。
「どうします? レンタルしてみますか?」
幸い今日は金曜日。いつもより少し長めに休んでいくだけの時間はあるし、なんならこのままお泊りだって、私はこっそり大歓迎だ。
玲一さんはぱっと顔を上げると「いいの?」と言って私を見上げた。ああもう、なんだかたまらなく可愛くて、頬がむずむずしてきちゃう。
フロントへ電話をかけて数分後、インターホンが間延びした音で鳴いた。いそいそと玄関へ向かった玲一さんが、大きな箱と小さなケースを両手で抱えて戻ってくる。
慣れた手つきで機械をセットして、大きなテレビのスイッチを入れる。画面がついた途端に本番真っ最中のアダルトビデオが映し出されて、私はひゃあと驚いたけど、玲一さんはすぐリモコンを操作してゲーム機の画面に移してしまった。
「じゃ、電気消すよ」
……ん? なんで?
私が疑問に思ったのも束の間、あっという間に部屋は暗闇となり、玲一さんはコントローラー片手にベッドへとぴょんと戻ってくる。
私の背後に回った彼は、そのまま後ろから抱きかかえるみたいにお腹の前へ腕を回すと、私の肩に顎を載せてスタートボタンをプッシュした。
真っ暗な画面にぼんやり浮かぶ、薄暗い森と雨の中の廃墟。鴉の声が遠くに聞こえ、さまよい歩く少女の背後に、白い服を着た女の姿が不気味な音と共に見え隠れする。画面の中にゆっくりと浮かび上がるおどろおどろしい和名のタイトル……これ、まさか。
「……ほ、ホラーゲームですか……?」
震える私を完全に無視し、玲一さんは画面を見つめたまま、
「そうだよ!」
と、聞いたことないくらい明るい声で言い放った。
「うわ、ほんと懐かしい……BGMそのまんまじゃん。グラ綺麗だけど……わーっ、すごいすごい! 昔のと同じ!」
無邪気にはしゃぐ玲一さんとは対照的に、テンションが急降下してその場に凍りつく私。
抱きしめてもらえること自体は嬉しい。こんな後ろからハグなんて、なんだか本当の恋人みたいだし。
でも、ホラーは……ホラーだけは、私、どうにも苦手なんです。ホラー映画のCMだけでも思わず目を背けちゃうほど。
(うわ、画面が綺麗すぎて実写のホラー映画みたい。……音がリアルですっごいヤダ。なんなのこれ、普通に怖い……)
さっきまでやらしい音ばかりだったラブホテルの一室は、今や静かな環境音だけが薄暗がりに響いている。大きなテレビ画面の中では、不安そうな顔をした女の子が、懐中電灯だけを片手に廃墟の奥へと進んでいく。
とりあえず何か気を紛らわすものを、とスマホを手探りで探したけれど、玲一さんの身体が邪魔でベッドサイドまで手を伸ばせない。せめて画面を見ないようにすればと思い切って目を閉じてみれば、ひゅうひゅうと啼く風音の合間に幽霊のすすり泣きが入り混じる。……ああ、いやだ、想像しちゃう。ゲームの音だとわかっているのに。
「凛ちゃん」
ふいの声に怖々と目を開けると、私の肩に顎を載せたまま微笑む玲一さんと目が合った。
「怖いのダメ?」
私は頷く。
玲一さんは「そっか」と言うと、そのまま私の手を包み、指先を緩く絡ませながら、ちゅっと手の甲にキスをする。
あ、優しい。やめてくれるんだ……と、私が頬を染めたのも束の間、玲一さんはそのまま私の手にコントローラーを握らせた。
「じゃ、さっそくやってみようか!」
「ええええーー!?」
なんでそうなるの!? 怖いのダメだって言ったのに!!
大騒ぎする私を無視して、玲一さんは私の手の上から器用にコントローラーを操作する。廃墟の入り口で立ちすくんでいた女の子が、キィ、と古い扉を開けると、ぞわぞわするような冷気とともに遠くから虚ろな声が聞こえてくる。
「こ、これ、やらなきゃだめですか……?」
「大丈夫、これそんなに怖くないやつだから」
「でも私、ほんとに苦手なんです……!」
「俺の言うとおりに進めれば大丈夫だよ」
「あの、私あっち向いてスマホゲームしてるんで、こっちは是非玲一さんに……」
「俺の思い出のゲームだからさ、凛ちゃんと一緒にやってみたいなー」
……そ、その言い方、ずるくない?
結局私は有無を言わせない彼の笑顔に圧し負けた形で、ほとんど薄目を開いた状態でゲーム画面に目を向けた。大きなディスプレイに映し出された、いかにも何かが現れそうな不気味で汚い廃墟の映像。最近のゲームって本当にリアルだな。洋服の質感や建物の傷み具合まで、あまりにも生々しくて思わず唾を飲み込んでしまう。
「まっすぐ進んで。周りは特に見なくていい。……そこ、その陰にアイテムあるから、後のために取っておこうね」
思い出のゲームというのは事実のようで、玲一さんはにこにこしながら私にあれこれ指示をしてくる。仕方なく言われた通りに操作しつつ、私は主人公の女の子と一緒に妖しい雰囲気の漂う廃墟の奥へと進んでいく。
「今来た道を覚えておくと、次の戦闘のときに立ちまわりやすいかも」
「ホラーゲームに戦闘があるんですか……?」
「これはあるんだよねぇ。だから余計にホラーっぽくないんだけどさ」
そこまで知り尽くしているのなら、なおのこと自分で操作すればいいのに、一体どうして玲一さんは私にやらせようとするんだろう?
心の中で文句を言いつつ、画面の中の女の子は歩いていく。懐中電灯のぼやけた光が、蜘蛛の巣だらけの廊下の先にある錆びついたドアを映し出す。
「そのドアを開けて」
耳元で聞こえる低い声に、私は小さく息を呑む。
コントローラーを握りしめたまま、唇を結び動こうとしない私の顔を覗き込んで、
「凛ちゃん?」
と、玲一さんは確認するように大きな目を向けた。
「……ドア、開けなきゃだめですか?」
「開けないと先に進めないよ」
「でも、これ、絶対出てくるやつじゃないですか……アレが」
「んー、どうかなー? 出てこなかった気もするけどなぁ」
「本当ですか……?」
「うん、ほんとほんと。とりあえずほら、開けてみればわかるよ」
軽い調子で促されて、私は渋々ボタンを押す。
途端、ゲーム画面の雰囲気が代わり、私が操作する女の子の華奢な身体が映し出された。ろうそくに覆われた部屋の中を怯えながら進む彼女の背後に、足音もなく現れる虚ろな顔の白装束の女――
「きゃあああああああ!!」
「あっはっはっはっは!!」
案の定おでましになったステレオタイプの幽霊の姿に、私が甲高い悲鳴を上げると同時に玲一さんは爆笑した。ムービーシーンが終わるとともに唐突に始まった戦闘の中、這うようにして追ってくる幽霊から少女はおどおどと逃げ惑う。
「でてっ、でてきたじゃないですかぁっ! ほらぁ!!」
「だっはっはっはっは!! ひゃー!!」
「あーっ、わーっ、ねえどうすればいいんですか!? 追って、ほら、追いかけてくる! 来るんですけど!! ねえ!!」
「あっひゃっひゃっひゃ!! あー!! おもしれえ!!」
「なんっも面白くないです!! これどうするんですか!? あああやだやだやだぁ! ねえどうするの!? ねえってばぁ!!」
大暴れしながらコントローラーをガチャガチャ動かす私。
そんな私のお腹を抱きしめ、馬鹿みたいに大笑いする玲一さん。
ここがラブホテルでなければ騒音で隣室から怒られていただろう公害レベルの大騒ぎの中で、私は涙目になりながら必死に女の子を走らせる。しつこく追いすがってくる幽霊からとにかく距離を置きたくて、でも、めちゃくちゃに動かすだけでは当然逃げ切れるはずもなくて。
瀕死を示す赤いメーターがとうとう真っ黒になったとき、画面は再びムービーへ切り替わり、無数の白い腕に取り込まれる少女の悲鳴が木霊した。暗闇にゲームオーバーの文字が浮かび、それが暗転したと思うと、テレビには再びオープニングの画面が映し出される。
私は肩で息をしながら、その場にコントローラーを放り捨てた。疲れた。なんか……とにかく疲れた。全速力で廃墟を逃げ回り、あの世に引きずり込まれる恐怖感。私自身は一歩も動いていないのに、全身にびっしょりと汗をかいている。
そして私のすぐ後ろでは、両足で私の身体を挟んだまま、笑い疲れて大の字になっている男がいるのだから、なんかもう……まったくよくわからない状況だ。
「あー……もう最高。凛ちゃんゲーム実況者になれるよ」
「……なりたくないです」
「そうなの? 残念。ああもう、久々に涙出るまで笑ったわ、俺……」
ホラーゲームで怯えて泣き叫ぶ私のなにが面白かったのだろう。前々からとらえどころのない人だとは思っていたけど、いよいよ今日はとらえるどころか1ミリも理解できなくなってきた。
目尻に浮かぶ笑い涙を指先で軽くぬぐってから、玲一さんは身体を起こすとぎゅっと私を抱きしめた。いつもならとても嬉しいそれにドキドキするだけの気力もなくて、私はすっかり脱力したように彼の胸に身体を預ける。
……と、バスローブの合わせ目から中へ侵入する、この不届きな指先は。
「……なんでこの流れで触ってくるんですか」
「ん? 凛ちゃんがめちゃくちゃ可愛かったから」
ちっとも悪びれもしないまま、玲一さんは私の首筋に顔をうずめてちゅうと吸いつく。冗談なのかと思ったけど、指の動きのやらしさが本気だ。しかも私のお尻あたりに、すでに一度果てたというのに再び固さを増したものが自己主張するみたく押し当てられている。
「さっきの泣きそうな顔、また見せて」
……いやに熱っぽい彼の声に、一瞬流されそうになったけど。
私は玲一さんの手を引っ掴むと、そのままぺいっとバスローブの外へ放り出した。なおも触ってこようとする悪い手を引っ叩いて、もぞもぞと布団に入り込むと思い切り彼へ背を向ける。
「凛ちゃーん?」
「もう、知りません!!」
さすがに今日は許さないぞ。ホラーは苦手だって、あれだけ何度も言ったのに!
徹底抗戦を決め込む私に、玲一さんは甘えたように笑うと「ごめん」と言って布団へ入りもう一度私を抱きしめた。
おわり