初恋カレイドスコープ



「全員、ちょっと聞いて」

 社長代理の声に、秘書たちが一斉に立ち上がる。

「今週の金曜、HMCの社長と飲むことになったんだけど、一緒にいける人いる? 時間外手当は当然出すし、無茶な接触は一切させない」

 HMCは弊社のお得意先企業のひとつだ。私も営業で何度かお邪魔したことがあるけど、なかなか羽振りのいい大きな会社で、社員も闊達な人が多かった覚えがある。

 社長代理は皆の顔を見回しているけど、手を上げる秘書は誰もいない。仕方ないかな、仕事での飲み会が好きな人なんてそうそういないもの。取引先企業が相手なら、なおさらだ。

「いないならそれでいいよ。必須というわけではないから」

 さして落胆した様子もなく、社長代理はきびすを返して社長室へと戻ろうとする。そのとき、

「あの」

 肩のあたりまで小さく手を上げて、私はおずおずと口を開いた。

「私、行きます」

 振り返った社長代理が、少しだけ目を丸くする。ついでに他の秘書の方々にも見つめられ、私は緊張を誤魔化すように心の中でつばを飲み込む。

 私なら大丈夫。取引先との飲み会なんて、今まで何度もやってきた。HMCなら知らないところじゃないし、それに社長代理が必要としてくれるなら。

「社長代理。高階さんは営業課の頃から、お酒に強く相手方を楽しませるのが上手だったと聞いております。新人秘書の紹介も兼ねて、彼女をお連れしてはいかがでしょうか」

 一歩進み出た鮫島先輩を、社長代理はじろりと眺める。そのまま視線は横へスライドして、私の方へ。……にこりともしない冷たい瞳が、値踏みするように私を見つめる。

「後で時間と場所を送るから」

 結局社長代理は突き放したようにそれだけ言うと、足早に社長室へと戻っていった。緊張の糸が切れたみたいにいつもの空気に戻った秘書室で、先輩方が私の肩を叩き「助かった」「偉いね」なんて口々にほめそやしてくれる。

 なんだかちょっとこそばゆい。営業の頃はこんなの全然珍しいことじゃなかったし、感謝されると逆に恥ずかしくなってしまう。よくよく聞けば、皆さんはどうやら子どものお迎えや彼氏とのデートやらで金曜日は忙しかったみたいで、独り身の私が行ってくれれば都合が良かったとのことらしい。

「本当に大丈夫?」

 別の用事で社長室へ入ったとき、社長代理は急にぽつりと、世間話のようなトーンで言った。

 シンガポールの時のような声音に私は内心ドキリとしながら、それでもいつものように気丈な微笑みで見つめ返す。

「飲み会なら慣れているので、お力になれるかと思います。私は先輩方と違って帰る家庭もありませんし」

 社長代理の猫の瞳が、何か言いたげに私を見上げる。

 しばらく無言の攻防を経て、たぶん勝ったのは私だった。社長代理は結局それきり口を開くことはなく、ふいと目を逸らして部屋を出るよう私を顎で促した。
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