初恋カレイドスコープ
「ああ……」
「悪いんだけど、今夜だけ参加してくれないかなぁ? ちょっと顔を出すだけでいいから」
岡水か……と、私は内心苦笑いする。営業課時代によくご一緒させてもらった、付き合いの長い企業ではあるけれど、あそこの営業さんは押しが強くて正直かなり苦手だったんだ。
お酒が入るともっとひどくて、身体を触られたり、ホテルに行こうと誘われたこともある。もちろん笑って断ってきたけど、できるなら二度と会いたくない相手だ。
でも、それだけ私を気に入ってもらえていたのもまあ事実ではあるし、今こうして困っている先輩を見ると、無碍に断るのもしのびない。
何より私、平日の夜に予定なんてひとつもないんだ。子どもの迎えとか彼氏とデートとか、良い口実がちっとも浮かばない自分の孤独が恨めしい。
「一生のお願い! ね!」
パチンと手を合わせる先輩の薄いつむじを見下ろしながら、私は必死に考える。行きたくない。でも、こんなに困っているのなら、一度くらい我慢して付き合ってあげても……。
「悪いけど却下」
唐突に割り込んできた声に、先輩がムッとした表情で顔を上げる。
それから、凍りついた。声の主の胸にぶら下がる銀色の名札に気づいたからだ。
「しゃ、社長代理」
「高階はこれから俺と一緒に藤沢まで行かなきゃいけないの。営業の仕事は営業課の中だけで完結させてくれないかな」
「は、はい。すみません……」
社長代理に同行して藤沢へ? そんな予定、確か入っていなかったと思うけど。
おずおずと見上げた私の顔を、社長代理はちらと一瞥する。咎めるような呆れた視線――まさか。
「で、では、失礼しました」
深々と頭を下げて、バタバタ先輩が去っていく。音を立てて閉じられた扉をちょっと鬱陶しそうに見やってから、社長代理は私を振り返りゆっくりと瞬きをしてみせた。
「社長代理、あの」
「予定忘れてたの? それとも俺、スケジュールに入れ忘れてたっけ」
ごめんねと笑いもせず言ってから、社長代理は静かな足取りで社長室へと引き返す。
鮫島先輩が鋭い瞳で、彼の背をじっと見つめている。探るようなその眼差しが、ゆっくりと私の方へ移り、それから何かに気づいたみたいにきゅぅっと緩く細められた。腹の底を暴かれたような感覚に、身体が一気に縮み上がる。
「高階」
社長代理の落ち着いた声に、蛇に睨まれたようになっていた私の四肢が解き放たれた。はっとして顔を上げた私を振り返り、彼は軽く肩をすくめる。
「何してるの。早く支度」
「は、はい」
たしなめるような言葉にせっつかれ、私は慌てて立ち上がる。
鮫島先輩はなおも私の方を眺めていたようだけど、やがてふっと小さく微笑み、自分の仕事へと戻っていった。