初恋カレイドスコープ
「しゃ、社長代理!?」
社長代理が突然来たと聞いて、店長さんは当然だけどひっくり返るほど驚いた。大急ぎで出迎えの準備を整えようと声を張り上げる姿を見て、
「俺、来ない方が良かったね」
と社長代理は眉を下げる。
いい加減な接客。仕事が雑なネイリスト。
口コミに書かれた様々な悪評を思い出しながら店を見回すけど、お店の中はとても華やか、多くのお客さんで賑わっているように見える。
ただ、人手不足なのかな? あっちでもこっちでもネイリストさんが必死の顔で走り回っているし、お店の端々に埃が溜まっていたり、待たされたお客さんがイライラしていたり……そういうところから悪い評価が出てきてしまっているのかもしれない。
社長代理もそんな雰囲気を察したのだろう。焦る店長をそっと呼び止め、
「僕がいても邪魔にしかなりませんし、今日は帰ります。突然ご迷惑をおかけしました」
と、本当に申し訳なさそうに声を潜めて謝罪した。
「いえ、そんなとんでもない! ぜひご覧になってください、みんな誇りを持って仕事をさせていただいているんです」
必死に頭を下げながら、店長さんは泣き出しそうな顔で言う。
「ただ今日は、子どもの発熱で何人かネイリストが帰ってしまったので、ちょっとバタバタしておりまして……」
ああ、と。
私と社長代理は顔を見合わせ、お互い軽く頷きあう。
お茶をお出ししますという店長さんを制し、私たちは足早にお店を出ると、なんともいえない気持ちを吐き出すようにため息を吐いた。
弊社――株式会社シーナコーポレーションは、日本でも有数の女性に優しい大企業だ。
本社の社員も女性が多く、中でも目立つのは働く女性への支援が充実していること。椎名一華社長の意向で、シングルマザーやDV被害者の女性を積極的に雇用し、本人の特性に合わせた様々な資格の取得を勧め、実際に働いてもらっている。
ネイルサロンもその一つ。弊社の事業の中では非常に人気の高い部署であり、多くの女性がネイリストの資格を得てあちこちで活躍しているのだけど。
「目下、うちの会社の一番の悩みだな」
子どもを育てながら働く女性が多いということは、それだけ様々にお休みを取る従業員が多いことにもなる。
不意の発熱や学校行事。もちろんそのための休暇取得は、弊社においては強く奨励されていることだ。共働きで夫が休みを取得してくれる夫婦ならまだしも、弊社で働く女性の多くはパートナーや実家に頼れず、自分一人で家事育児のすべてをこなさなければならない環境にある。
だからきっと、多くの従業員は、休む母親を責めはしない。でも。
「その分、他の従業員に負担が行ってしまうのは事実ですからね」
「ああ。実際、年休の取得率についても、子どものいる職員といない職員でどうしても差が出てしまっている」
シフト通りの体制が整わず、少ない人数で仕事を回すことで、本来ならできるはずの業務が立ち行かなくなってしまう。
だからといって母親を責めることもできず、ストレスは徐々に蓄積されていき、やがていつか小さなほころびから大爆発へと繋がるだろう。
「これは完全に本社の責任だ。早めに対策を考えないと、取り返しのつかないことになる」
ぶつぶつと小声でつぶやきながら、社長代理は真剣な表情で対策を考えているみたい。ちょっとあの部屋から出たかっただけ、なんて言いながら、なんとまあ真面目な人だろう。
(まじめな人)
すべてを店長の責任にして、もっと頑張れと活を入れるのはたやすいこと。
それだけでも別に、上司として仕事をした気分にはなれるだろう。まして彼は社長ではない。あくまでも代理でその席にいるだけだ。
でも今、この人は責任者として、目の前の問題にきちんと向き合おうとしている。
根本的に対策を講じ、行動を起こさなければ、何の解決にもならないだろうことを知っている。
(本当、まじめな人)
まじめだねえ、と声をかけたくなる気持ちをこらえ、私は社長代理の斜め後ろにつく。ワイシャツの背中に滲んだ汗が、ちゃらついた仮面の下に隠された彼の真摯さを物語っているような気がした。