初恋カレイドスコープ
*
ひとりぼっちの海外旅行は、想像以上に快適だった。
なにせ私は下調べの鬼だ。各観光地の滞在時間をあらかじめ決めた上で、交通手段とその所要時間も全部ノートにまとめてある。このスケジュール通りに動けば、少しの損もなく旅行を満喫できるというわけだ。
(シンガポール、楽しい)
見るものすべてが新しく面白い。食べ物も異国情緒満点で、味は美味しいものばかり。
しかし、やっぱりふとした折に一人の寂しさが身に染みる。美味しいものも楽しいことも、一人だと少し味気ないものだ。SNSに感想を載せても、なんだか物足りなく感じてしまう。
でもまあ、今更どうしようもないこと。愛菜だってきっと今頃、彼氏の実家で色々と頑張っているんだろう。
スマホでデザートの写真を撮っていると、ふいに傍から話し声が聞こえた。ヨーロッパ圏から旅行に来ているらしいブロンドヘアのカップルが、一生懸命腕を伸ばして二人の写真を撮ろうとしている。
『よろしければ、お撮りしましょうか?』
私が笑顔で声をかけると、女性の方が満面の笑みでカメラを渡してくれた。彼女は写真を撮り終えた私に、
『貴女の写真も撮ってあげましょうか?』
と親切な申し出をしてくれたけど、私は笑ってノーを告げると逃げるように店を後にした。
駅前をふらふら歩いていると、見慣れた丸い文字に気づいた。自然と足が歩みを止めて、ついその文字に見入ってしまう。
日本語だ。思いっきり日本語で“いらっしゃいませ”と書いてある。
引き寄せられるようにお店に入る。今度は明瞭な日本語で「いらっしゃいませー」と声が聞こえた。思わずレジの方へ目を向ける。帽子をかぶった若い日本人男性が、私を見るとニッと人懐っこそうに笑ってみせた。
(かっこいい人)
眼力のある大きな瞳と、形の良い小さな鼻。猫みたいな可愛らしさの中に独特の色気があって、目が合うだけで少しドキッとしてしまう。
お店にはお菓子の箱や小物などが並べられている。値札には英語と日本語の両方で説明が書かれていて、どうやらここは日本人観光客向けのお土産屋さんらしい。
ああでも、お客さんは日本人だけというわけではないのかな。私の後に入ってきたアジア系の男性が、何かを探すようなそぶりでお店の中をうろうろしている。
(お土産は明日買う予定だったけど、こんなところで日本人に会えたのも何かのご縁かも)
マーライオンをかたどった個包装のチョコレートと、愛菜が可愛いと言っていたプラナカン・デザインのポーチを持って、私はおずおずとレジへ向かう。
「すみません、お願いします」
「はーい」
わあ、やっぱり日本語が通じると安心感が違うなぁ。
勝手に安堵する私を横目に、店員さんは慣れた手つきでレジを打ちながら、
「女の子ひとりでシンガポール旅行?」
と、からかうわけでもなく言った。
「いくら治安の良いシンガポールでも、女子の一人旅はおすすめしないよ。こんな可愛い子なんだから、色々気を付けた方がいいと思うけどね」
「ありがとうございます。でも、本当に一人で来ているので」
「ツアーとか組まなかったの? 全部ひとり?」
「全部です。最初は二人で来る予定だったんですけど、相手に用事が入ってしまって」
「そっか。……」
可愛らしいロゴの書かれたレジ袋を受け取る。シー、……なんて読むのかな? デザインがおしゃれすぎて、可愛いけど全然読めないや。
「まあ、とにかく気を付けて。ここは日本じゃないんだからね」
「わかりました、気を付けます」
店員さんに別れを告げて、私はノートを確認した。駅のロッカーに荷物を置いて、それからこの時間の電車に乗って、ここを一時間見学したら今度はこっちへ移動して……。
(一人旅は楽だ)
自分の立てた予定に沿えば、失敗することなど何もない。
でもやっぱり、日本語で他愛無い会話をしたときの安心感が尾を引いている。店員さんを振り返ろうとして、でも、振り返ったところで何ができるわけでもなくて、私はいつもより大股で駅の方へと歩き出す。
(大丈夫。私は一人で生きていける女)
言い聞かせるような言葉をよそに、胸に巣食った一抹の寂しさが、シンガポールの蒸し暑さの中でじわじわと心を蝕んでいた。
ひとりぼっちの海外旅行は、想像以上に快適だった。
なにせ私は下調べの鬼だ。各観光地の滞在時間をあらかじめ決めた上で、交通手段とその所要時間も全部ノートにまとめてある。このスケジュール通りに動けば、少しの損もなく旅行を満喫できるというわけだ。
(シンガポール、楽しい)
見るものすべてが新しく面白い。食べ物も異国情緒満点で、味は美味しいものばかり。
しかし、やっぱりふとした折に一人の寂しさが身に染みる。美味しいものも楽しいことも、一人だと少し味気ないものだ。SNSに感想を載せても、なんだか物足りなく感じてしまう。
でもまあ、今更どうしようもないこと。愛菜だってきっと今頃、彼氏の実家で色々と頑張っているんだろう。
スマホでデザートの写真を撮っていると、ふいに傍から話し声が聞こえた。ヨーロッパ圏から旅行に来ているらしいブロンドヘアのカップルが、一生懸命腕を伸ばして二人の写真を撮ろうとしている。
『よろしければ、お撮りしましょうか?』
私が笑顔で声をかけると、女性の方が満面の笑みでカメラを渡してくれた。彼女は写真を撮り終えた私に、
『貴女の写真も撮ってあげましょうか?』
と親切な申し出をしてくれたけど、私は笑ってノーを告げると逃げるように店を後にした。
駅前をふらふら歩いていると、見慣れた丸い文字に気づいた。自然と足が歩みを止めて、ついその文字に見入ってしまう。
日本語だ。思いっきり日本語で“いらっしゃいませ”と書いてある。
引き寄せられるようにお店に入る。今度は明瞭な日本語で「いらっしゃいませー」と声が聞こえた。思わずレジの方へ目を向ける。帽子をかぶった若い日本人男性が、私を見るとニッと人懐っこそうに笑ってみせた。
(かっこいい人)
眼力のある大きな瞳と、形の良い小さな鼻。猫みたいな可愛らしさの中に独特の色気があって、目が合うだけで少しドキッとしてしまう。
お店にはお菓子の箱や小物などが並べられている。値札には英語と日本語の両方で説明が書かれていて、どうやらここは日本人観光客向けのお土産屋さんらしい。
ああでも、お客さんは日本人だけというわけではないのかな。私の後に入ってきたアジア系の男性が、何かを探すようなそぶりでお店の中をうろうろしている。
(お土産は明日買う予定だったけど、こんなところで日本人に会えたのも何かのご縁かも)
マーライオンをかたどった個包装のチョコレートと、愛菜が可愛いと言っていたプラナカン・デザインのポーチを持って、私はおずおずとレジへ向かう。
「すみません、お願いします」
「はーい」
わあ、やっぱり日本語が通じると安心感が違うなぁ。
勝手に安堵する私を横目に、店員さんは慣れた手つきでレジを打ちながら、
「女の子ひとりでシンガポール旅行?」
と、からかうわけでもなく言った。
「いくら治安の良いシンガポールでも、女子の一人旅はおすすめしないよ。こんな可愛い子なんだから、色々気を付けた方がいいと思うけどね」
「ありがとうございます。でも、本当に一人で来ているので」
「ツアーとか組まなかったの? 全部ひとり?」
「全部です。最初は二人で来る予定だったんですけど、相手に用事が入ってしまって」
「そっか。……」
可愛らしいロゴの書かれたレジ袋を受け取る。シー、……なんて読むのかな? デザインがおしゃれすぎて、可愛いけど全然読めないや。
「まあ、とにかく気を付けて。ここは日本じゃないんだからね」
「わかりました、気を付けます」
店員さんに別れを告げて、私はノートを確認した。駅のロッカーに荷物を置いて、それからこの時間の電車に乗って、ここを一時間見学したら今度はこっちへ移動して……。
(一人旅は楽だ)
自分の立てた予定に沿えば、失敗することなど何もない。
でもやっぱり、日本語で他愛無い会話をしたときの安心感が尾を引いている。店員さんを振り返ろうとして、でも、振り返ったところで何ができるわけでもなくて、私はいつもより大股で駅の方へと歩き出す。
(大丈夫。私は一人で生きていける女)
言い聞かせるような言葉をよそに、胸に巣食った一抹の寂しさが、シンガポールの蒸し暑さの中でじわじわと心を蝕んでいた。