初恋カレイドスコープ



 さて。

 セフレという非常に不誠実な関係を手に入れて早数週間。社長代理と私の日々はあまりにも単調に過ぎていった。

 いつもどおりに出勤をして、いつもどおりに仕事をこなす。「変にドキドキしないかな」とか「気持ちが顔に出ちゃわないかな」とか、はじめは色々不安だったけど、意外になんとでもなるものだ。

 電車を降りて駅に立つと同時に、私は仕事中の仮面を被る。仕事に真摯な秘書として与えられた業務を淡々とこなし、社長代理と話をする時も顔色を変えることはない。

 ある意味、こういう関係になる以前の方が浮き足立っていたかもしれない。

(でも、あの日のやり取りは何だったんだ)

 社長代理も社長代理で、何かが変わった様子はない。あるいは私、やっぱり彼にからかわれただけだったのだろうか。

 いつものように一人でランチを食べていると、デスク脇に置いておいたスマホがぶるっと振動した。薄暗いディスプレイの真ん中にメッセージアプリの通知が浮かび上がる――『椎名玲一』!?

 思わずとっさに社長室の方を振り返ってしまい、隣のデスクの先輩に「何かあった?」と訊かれてしまった。私は慌てて首を振りながら、できるだけ平静を装ってそっとスマホを引き寄せる。

『今夜ひま? 夕飯いこう』

 あまりにも短い誘い文句だけど、仮面に隠れた私のテンションは踊りまくりの有頂天だ。

 からかわれたわけじゃなかった、というちょっと情けない安心感。そして一緒に過ごせる無邪気な喜びに、顔が火照って心が熱くてご飯が喉を通らない。

(……ん? でも、お夕飯だけ?)

 セフレ……なんていうくらいだから、お夕飯を食べて、それからなんか、そういう雰囲気になるのだろうか。

 ブラウスの胸元を引っ掴んで今日の下着を確認しかけ、さすがにそれはマズイだろうとすぐ一瞬で思いなおした。ここは秘書室だ、落ち着け凛。どうせ最後には全部脱ぐじゃないか。

『行きたいです、お願いします』

 こちらも短い言葉を返し、既読がつくまでじっと待つ。すぐついた。うう、にやけてしまいそう。

 ほんとうの彼を知る貴重な機会だ。一分たりとも無駄にしないためにも、私は心のほっぺを叩くと午後の仕事へと気合を入れた。




 そう何度も二人で会社を出るわけにいかないから、最寄り駅で待ち合わせになった。

 なんとなくスマホをいじる気にもなれず、駅の片隅でもじもじと待つ。やがて白黒な人ごみの中から、カラフルな彼が近づいてきた。

「お待たせ」

「はい! あ、いえ、全然待ってないです!」

 完全に頭が真っ白な私に、社長代理は肩をすくめると、

「なに、そんな緊張しちゃって」

 と私の背中をぽんと叩いた。

 彼の隣に並んで歩き出す。隣だ。後ろじゃなくて、隣。

 さっきから胸がどきどきしっぱなしで、このまま不整脈で倒れてしまいそう。

「店はもう予約してあるから」

 相変わらずスマートにエスコートされて、さっきからもうされるがまま、私は彼についていくばかり。
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