初恋カレイドスコープ
そうしてたどり着いたお店は、なんだかエキゾチックでアジアンで――どこか懐かしい異国情緒に、はっと私は顔を上げる。
「ここ、もしかして」
「うん」
目を輝かせた私を見下ろし、社長代理はにこと笑う。
「シンガポール料理、嫌いじゃないでしょ?」
もともとシンガポールに住んでいたという店員さんに案内されて、私と社長代理は窓際の席に腰を下ろした。
スパイスの香りにマーライオン、飾られている写真もシンガポールのものだ。なんだか旅行の日に戻ったみたいで、ついあちこちを見回してしまう。
「凛ちゃん全然誘ってこないから、俺の方から誘っちゃったけど……嫌じゃなかった?」
特に気後れもなく言う社長代理に、私は慌てて首を横に振る。
「社長代理はお忙しい方だから、お声がけするのは気が引けて」
嫌なんてそんな、とんでもない。むしろ私から誘っても良かったのかと、改めて嬉しくなっちゃったくらいだ。
社長代理はメニューをゆっくりとめくりながら、
「玲一でいいよ」
と、伏し目がちに呟いた。
「今は仕事中じゃないし、こんなところでそう呼ばれるのは嫌だし」
「あ、……は、はい。……」
何も飲んでないのに喉が鳴る。
それから急に口の中が渇いてきた気がして、私は手元の冷たいお水を一気に喉へ流し込んだ。ふぅとため息。軽く口元をぬぐうふりをして、丸めた唇に勇気を込める。
「……玲一さん……」
実際に声に出してしまうと、途方もなく膨大で熱い感情が胸の内から溢れそうになった。シンガポールで一緒だった時はもっとスムーズに呼べていたのに、自分の気持ちを自覚した後だとどうしてこうもまごつくのだろう。
社長代理は――玲一さんは、ほんの少しだけまつ毛を持ち上げ、
「なあに」
と薄く微笑んでみせた。
ぐっ、と瞬時に奥歯を噛みしめ、頬がみっともなくにやけるのを堪える。応えてくれた。しかも笑ってくれた! たったそれだけでこんなに心から嬉しくなってしまうだなんて、恋というのは人の脳みそを本当にカラッポにするようだ。
お店の写真を眺めながら、ぽつりぽつりと話をする。シンガポールの思い出を話す玲一さんの表情は穏やかで、仕事中の怜悧な横顔とはまるで別人のように見える。
寂しいときは頼らせてもらうと、あの時彼は言っていた。でも、少なくとも今日の誘いは、寂しさによるものではなさそうだ。たぶん彼は私に気を遣ってくれたのだろう。自分から声をかけられない私に、一緒に過ごすきっかけを与え、心の垣根を取り払ってくれた。
『本当の彼』はよくわからないけど、やっぱり私の目に映る彼はいつも優しい素敵な人に見える。
「シンガポール・スリングもあるね。飲みたいなら飲んでもいいよ。俺は車だから飲めないけど」
「そうですね、せっかくだから頂きます」
通常の半分の量で作ってもらったシンガポール・スリングは、ラッフルズホテルで飲んだものとは少し味が違ったけれど、とても甘くてフルーティで、あの蒸し暑い夜を思い出させてくれた。
例の如く私には一円も出させないまま、お支払いを終えた彼を追って私もお店を後にした。ポケットに両手を突っ込んで、玲一さんが振り返る。半ば閉じられた流し目が、酔った私の火照った顔を瞳の中に閉じ込める。
「この後、どうする?」
また、そうやって私に言わせようとする。
俺はどっちでもいいよと言うように余裕たっぷりに見下ろしながら、彼はあるいは私の気持ちを確認させてくれているのかもしれない。私はゆっくりと深呼吸して、顔を上げて彼を見つめる。真面目な秘書の凛の仮面は、全部会社に置いてきた。
「……一緒に、いたいです」
玲一さんはふっと目を細め、「そっか」と他人事みたいに笑った。