初恋カレイドスコープ
その日の夕方、他の秘書たちが帰った秘書室でひとり雑務を片付けていると、社長室から出てきた玲一さんが私の隣にそっと立った。
デスクに置いた私の指先に小指だけをそっと絡めて、耳元に彼の唇が触れる。
「――今夜は、何する?」
…………。
「何するって何ですか!?」
「何って、だからセ」
「言わなくていい!! ここ会社ですよ!?」
「他の秘書みんな帰ったじゃん。そこまで大騒ぎしなくても」
玲一さんはへらへらと薄笑いを浮かべて私を見下ろす。
「俺、まだお前のこと許してないからね。俺より鮫島に媚びを売った罰を受けていただきます」
……ま、まさか、二日連続? 今までそんなことなかったじゃない……。
こんなにねちっこい(失礼)人だとは知らず、また意外な一面を見た気分だ。職場とは思えないどろどろとした熱のこもった眼差しで見られ、昨夜のぐちゃぐちゃなベッドの様子が否応なしに脳裏に浮かぶ。
自然とすり寄せてしまう腿。何もかもを見透かしたみたいに、玲一さんの笑みも深くなる――。
「す、すみません」
そっと手のひらで押しのけられて、玲一さんが意外そうに眉を上げた。
「なに?」
「……今日は用事が」
「用事?」
怪訝な顔をして私を見下ろす。彼はきっと「こいつに用事なんてあるの?」とでも言いたいに違いない。
でも、本当に申し訳なさそうに俯く私の姿を見て、少なくとも嘘をついているわけではないと理解してくれたのだろう。少し小首をかしげながら、大きな瞳が探るようにじろじろと私を見つめる。
そのとき、秘書室の扉から大きなノックの音が響き、返事をするよりも先に勢いよく扉が開いた。満面の笑みで入ってきた松岡くんが、私の隣にいる玲一さんを見た瞬間はっと顔色を変える。
「あ、……社長代理」
玲一さんは何も言わない。ただ、静かに松岡くんを見据えているだけだ。
私は整理していた書類を片付けるふりをして、無言のまま席を立ち二人に向かって背を向けた。別に悪いことはしていない。だって私たち付き合ってないもの。
でも、なんだか――不安で息が詰まりそう。
「ごめんね、松岡くん。すぐに終わるから」
仮面の作り笑顔を浮かべて、私はキャビネットを閉じる。
玲一さんは少し横目で私の背中を見ていたようだけど、やがてジャケットを肩にかけると「お疲れ様」と言ってひとり秘書室を出て行った。