初恋カレイドスコープ
第八章 玲一の過去
「最近、誘ってこなくなったね」
社長室で二人きりになったとき、正直嫌な予感はした。
大きな植木鉢に水を注ぐ私の背後にゆらりと立って、玲一さんは囁くように低い声を耳元へ吹きかける。
「何かあった?」
「……いえ……」
玲一さんの指摘は事実だ。確かにここ最近、私の側から彼に誘いの言葉をかけることはなくなった。
ひとりで家に帰りたくないなと思う夜はたくさんある。今夜はめちゃくちゃになりたいと思ったことも何度もある。
でも、彼へのメッセージを送ろうとする度、あの夕方の後姿が焼き印みたいに脳に浮かんで離れなくなってしまうんだ。こんな関係は無意味だと、どれだけ続けても幸せになれないと、心の中のもう一人の私が目尻を吊り上げて叱咤する。
じょうろをきつく握りしめたまま黙りこくった私を見て、玲一さんはもう一歩静かに距離を縮めてきた。私の肩に頬が載る。首筋に唇が吸いつく。彼の指が私の下腹部を、トントンと優しく叩き出す。
「社長代理」
「嫌なら振り払って」
これは彼の魔法なのだと思う。私の身体をどう作り替えたかは知らないけれど、彼にここを叩かれるだけで私は一気にスイッチが入ってしまう。膝が笑い、腰が跳ね、あやうく取り落としそうになったじょうろを、玲一さんは静かに取り上げて自分のデスクへと遠ざける。
「れいいち、さん……」
今はまだ昼休み。午後の仕事が残っている。
泣きそうな顔で見上げる私に、玲一さんは私の手をそっと自分の手へ重ねると、
「嫌なら、ちゃんと振り払って」
と、言い聞かせるように繰り返した。
リズミカルな動きは続いている。彼の手を掴んで押さえようとして、でも、うまく力が入らずやわく爪を立てるだけになる。
耳元にかかるかすかな笑い声。弄ばれているという事実に、怒りより先にせり上がるものが私の息を荒くしていく。
「ぅ、ぁ、……っ」
喉を軽くのけぞらせて、もうだめ、と思った刹那、突然指の動きが止まった。
昇り詰める直前まで煽り立てられた私の身体は、最後のあと一押しを求めて揺らいだ瞳を彼へ向けさせる。
「言葉にしなきゃわかんないよ」
熱っぽい――でも明らかに、私の様子を愉しむ眼差し。
私は熱い吐息を小刻みに漏らしながら、彼のワイシャツをそっと掴むと、
「最後まで……」
と、消え入りそうな声で懇願した。
くつくつ、喉がかすかに笑い、待ち望んでいたところへ再び指が伸びていく。トントン、トントン。この優しい動きが何を呼び覚ましているのだろう。
やがて、私の身体は与えられた刺激を余すことなくすべて受け入れ、瞼の向こうで淡い光がちかちかと明滅した。
「っは、はぁっ、……はぁっ……」
ぐったりともたれかかった私の身体を後ろから支え、玲一さんはわざと耳元で「職場なんだけど」と愉快そうに言う。
私は何を言う気力もなくて、ただ彼に寄りかかりながら、汗ばむ額を軽くぬぐって自分の呼吸を整える。
「まだ欲しいでしょ」
……どうしてわかるの? 無言の中に戸惑いを秘めて、私はじろりと彼を睨みつける。
そんな反応すら面白がるみたいに、玲一さんは肩で笑うと、
「じゃあ夜にね」
と言ってようやく私を解放した。