初恋カレイドスコープ
「……マネージャー」
「はい!」
「さすがにその、スーツ姿でプールサイドの写真というのは、ちょっと変に見えるんじゃないか?」
引きつり笑いでぽつぽつと話す玲一さんに対し、マネージャーは満面の笑みで大きく首を横に振る。
「何を仰いますか、社長代理! このプールは私が全力を込めた、他店を凌駕する当店一番のセールスポイントなのです。当店の宣伝に、このプールは必要不可欠です!」
カメラを構えた記者たちも、早く写真を撮らせてほしいと笑顔で玲一さんを呼びに来た。
玲一さんは青ざめたまま、床の隅ばかりに目を泳がせる。軽く噛んだ唇の中で、音にならないかすかな声がほんの小さく漏れ聞こえる。
(玲一さん?)
まるで化物にでも遭遇したように、小刻みに震える握りこぶし。
いつも余裕で、落ち着いていて、なんでもできる玲一さんが――こんな、怯えた顔をするなんて。
「あの、マネージャー!」
殊更に明るく声を上げた私に、マネージャーと記者たちの視線が一斉に集まる。
「水着姿のインストラクターさんに実際にプールで泳いでいただき、その姿を写真に収めて記事に載せるのはいかがでしょう。スーツ姿でただ立つよりも、泳ぐ姿を実際に見せる方が、プールの魅力がよりわかりやすく伝わると思うのですが」
「ううん……しかし、今日はまだオープン前で、インストラクターも出勤してはいませんからね」
「では、私に泳がせていただけませんか? こう見えて私、高校時代は水泳部だったんです。水着と帽子さえ貸していただければ、クロールくらいなら綺麗に泳いでみせますよ」
突然ぐいぐい主張を始めた私を、マネージャーは不思議な生き物を見るような目で眺めている。その一方で女性記者たちは、何やら小声で相談をした後、
「女性向けファッション誌の記事ですし、実際に女性が泳ぐ姿を載せる方が、宣伝効果は高いかもしれませんね」
と、笑顔で後押ししてくれた。
――よし! まとまった!
代償として私はファッション誌に載る羽目になったけど、このまま更衣室で押し問答を繰り返すよりはずっといい。
「社長代理も、それでよろしいですか?」
伺うような私の声に、玲一さんはわずかに顔を上げると、ひどく居心地悪そうに唇を結んでうなずいた。
帰りのタクシーの中、私と玲一さんは無言だった。
玲一さんは特別不機嫌とか、苛立っているとか、そういうわけではないらしい。ただぼんやりと気力のない瞳で、どこか遠くを眺めている。
「ありがとう」
ぽつりと、零れ落ちるような言葉。
顔を上げた私に、玲一さんは力なく微笑むと、
「プールのとき、助けてくれて」
と、消え入りそうな声で言った。
私は少し俯きながら、大丈夫です、とかぶりを振る。乾かし足りずに湿った髪が、私の首筋に細く張り付いている。
「……理由、聞かないの?」
「え?」
「俺が、プールを嫌がった理由」
赤信号で車が停まる。
窓の向こうで雀が数羽、電線に並び夕焼け空を仰いでいる姿が見える。
「玲一さんが話したいなら、私、聞かせたいただきたいです」
できるだけ感情をこめずに、私は淡々と言った。
「でも、そうでないなら……聞きたいとは思いません」
ふ、と玲一さんが笑う。
いつもどおりの余裕の中に、子猫のような甘えを滲ませて、彼は足を組み替えるとコツンと額を窓へ当てた。
「じゃあ、聞いてもらおうかな。楽しい話じゃないんだけどさ」