初恋カレイドスコープ
無理だ、と俺は言った。だって、その水位は見るからに高くて、俺の背丈をゆうに超えていた。俺は溺れてしまうのが怖かったし、そもそもこんな汚い水に身体をつけるのも嫌だった。
引きつり笑いを浮かべながら無理だと繰り返す俺を見て、連中は心から楽しそうにゲラゲラと笑い出す。泳げ。無理だ。泳げ。無理だ。そういうやりとりを何度か重ねて、やがて小竹は唐突に俺の腹を蹴飛ばした。
受け身も取れずに背中からプールへと突き落とされた俺の身体は、汚いもののごった煮みたいな泥水の中へと沈んでいった。着ていたシャツがまとわりついて身体がうまく動かせない。そもそも俺の身体が重くて、もがけばもがくほど沈んでいく。
『助けて!』
水面に鼻と口を出しながら必死に叫ぶ俺を見て、ユカコが甲高い声でギャハハハと笑い出す。
『助けて! お願い、死んじゃう!』
やっとプールサイドにかけた手が、小竹の靴底で踏みつけられる。痛みに耐えきれず手を離せば、身体はまた水へと沈んでいく。
死ぬと思った。こいつらの笑い声に包まれながら、ああ、俺はきっとこのままゴミと一緒に溺れて死んでいくんだって。
そのときだった。
急に奴らの笑い声が止んで、どぼんと波が起きる音がした。必死にもがく俺の身体が、強い力で水面に向かってぐいと抱え上げられる。
ようやくプールから顔を出した俺は、鯉みたいに大口を開けながら口の中の水を吐き出した。そうしてやっと酸素を吸い込み、ああ生きていると安心して――
――従兄弟の波留が俺の身体を抱きかかえていると気づいたとき、俺は自分の目を疑った。だってあの水、冗談抜きでめちゃくちゃ汚かったんだよ。黒く濁って、ゴミも浮いて、なんか変なにおいだってした。
でも波留はどうってことない顔で、俺と一緒に肩までそのプールにつかりながら、
『何してんの』
と、笑いもせずにそう言った。
俺が呆然としていると、波留はそのままプールサイドの連中の方へと目を向けた。俺なんかとは違って、小学生の頃からあの容姿でひときわ目立っていた波留だ。ずぶ濡れのあいつの冷たい眼差しを受けて、連中は……特にユカコは、ほとんど泣きそうな顔になっていた。
『なあ。何してんの』
短い言葉が放つ威圧感に完全に圧し負けたらしい。あいつらは気まずそうな顔をしながら、逃げるようにプールから出て行った。
波留は力の入らない俺をそのままプールサイドへ運んで、何も言わずにランドセルを背負い、俺の手を引いて歩き出した。
俺も波留も全身びしょ濡れ。当然着替えなんて持ってない。
波留と手を繋いで歩いているうちに、今までずっと見ないふりをしてきた惨めさが心の中で爆発した。何もかもを我慢してまで隠し通してきた陰惨な現実を、よりにもよって従兄弟に見られてしまったのもつらかった。
俺は泣いた。声を上げて泣いた。溜めに溜め込んだ涙は止まらず、バケツの水をひっくり返したみたいにわあわあと泣き続けた。
道行く人々がずぶ濡れで泣き喚く俺を好奇の目で振り返る。それでも波留は無言のまま、俺の手を離さずにいてくれた。
やがて波留の家について、波留のお母さんに風呂と着替えを貸してもらった。柔らかいクッキーをおやつに貰って、二人でちょっとゲームをして……そうして一華ちゃんが迎えに来て、俺が帰るってなったとき、
『じゃあ、また明日』
玄関まで見送りに来た波留は、当たり前のようにそれだけ言うと、ゲームの続きが気になるみたいに自分の部屋へと戻っていった。