初恋カレイドスコープ

「高階先輩!」

 まともな挨拶も交わさないままさっさと店を出ようとした私を、大きな声と大きな身体がバタバタしながら追ってきた。

 振り返らなくても誰だかわかるから、私はその場で立ち止まる。他の連中は二次会と称して、別のお店へ移動するようだ。

「私のことをわざわざ追いかける必要はないよ、松岡くん」

 できるだけ穏やかな笑みを浮かべて、私は教え諭すように言う。

 松岡くんは私の隣に駆け寄ると、

「でも、放っておけないですよ」

 と言って、私の顔を覗き込んだ。

 あの後の合コンはひどいものだった。愛人の話から火が付いたみたいに、出てくる話題といえば玲一さんの噂や陰口ばかり。その大半は女性関係で、中にはかなり突っ込んだ下世話なものも多くあった。

 はじめは適当に笑顔の仮面でスルーしようとしていた私も、あまりにも生々しく失礼な内容にだんだん気分が悪くなってきて……腰を抱こうとするタレ目気障男の手を振り払い、飲み過ぎたと言い訳をして、結局後半のほとんどはトイレで時間を潰していた気がする。

「あの人たち、どうしてあんなに社長代理を悪く言うの?」

 空を見上げてため息を吐く私に、松岡くんは肩をすくめる。

「秘書課の高階先輩とは違って、俺たちみたいな下っ端社員は、社長代理と直接会ったり話す機会がありませんからね。青木副社長なんかは、結構気さくに話しかけてくれたりするんですけど」

「だからって、あんな嘘か本当かもわからないような話を、面白おかしく茶化してさ。社長代理に恨みでもあるの? 業績評価を下げられたとか?」

「そういうわけじゃ……まあ、上司の宿命ってやつじゃないですか?」

 宿命だって? 納得いかない。

 会社のためにあんなに真面目に仕事に取り組んでいる人なのに、どうして何も知らない奴らに好き放題笑われなきゃいけないんだ。

「ちょ、ちょっと先輩、どこ行くんですか?」

「一人で飲みなおしてくる」

「やめましょうよ、先輩弱いんですから。飲むなら水とかお茶にしましょう? ほら、そこに自販機ありますし」

 松岡くんが指さしたのは、繁華街の片隅にある小さな公園だった。酒を求めてふらつく私を、彼は強引に公園のベンチへ座らせ、大急ぎでペットボトルを二本買って戻ってくる。

「はい、どうぞ」

 小さな声でお礼を言って、もらったお水に口をつけた。ひとくち飲み込んだくらいでは、お腹にくすぶるもやもや感はどうにも収まりそうにない。

「でも俺、正直ちょっと安心しました。高階先輩が例の噂をハッキリ口で否定してくれて」

「……例の噂?」

「高階先輩が社長代理の愛人だって話です。あれ、結構大きな噂になっていたんですよ。高階先輩が秘書課に動いたのは、その……身体を売ったからだって」

 冷静に考えれば時系列がおかしいって、わかりそうなものなんですけどね……と、松岡くんは私の表情をちらちらと伺っている。
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