初恋カレイドスコープ
「……社長代理はすごい人なんだから、私なんか相手にするわけないじゃない」
はっ、と鼻で笑って見せる。
そして同時に、鈍い痛みが心臓を刺した。自分の言葉に自分の心が悲鳴を上げているのがわかる。
「そんなことは……」
「あるの、そんなこと。あのね松岡くん。すごい人の隣には、同じくらいすごい人がいるんだよ。社長代理の特別な人はね、本っ当にすごいんだから。もう、さっきの連中なんて、逆立ちしたって敵わない」
そして、私も。
胸の奥からせり上がるものをそのまま外へ逃がすみたいに、私は軽く空を仰ぐと大きなため息を吐きだした。透き通るような秋の夜空には薄い雲がたなびいていて、その奥にはまん丸な月が煌々と光り輝いている。
綺麗な月だ。丸くて美味しそう。小さい頃はよく空へ手を伸ばし、あの月を捕まえて弟に見せようと躍起になったものだった。
あの頃よりずいぶん背が伸びたのに、今や私は手を伸ばすどころか、どこまでも輝く月を追いかけることすらしなくなった。だって、もう、わかってる。私がどんなに走ったって、月には決して届かない。
(そう、届かない。永遠に)
気づけば、涙が溢れていた。はじめはぽろぽろと零れ落ちるだけだった透明の雫が、やがて一筋の川のように頬を伝って流れていく。
涙が、止まらない。胸が苦しくて仕方ない。
逆立ちしたってセフレ止まりの、自分の立場がひどく虚しい。
「先輩」
はっ、と私が顔を上げたのは、彼の指先が私の喉を震えながらなぞったからだ。タートルネックにかかった指が、ぐい、と襟を喉元へ下げる。
「これ……なんですか……?」
松岡くんの瞳に滲む、驚き。そして戸惑い。
私の目尻に残った涙が頬を伝って落ちた瞬間、そこに火花が飛び散るような激しい怒りが弾け出た。
「先輩」
「松岡くん、あの」
「正直に言ってください。これ、まさか」
「違う、待って、違うの、それは」
「社長代理につけられたものなんじゃ、……まさか、噂は、本当なんじゃ」
「違うんだって、ねえ」
「だったらこれは何の傷なんですか!? どうして先輩は泣いているんですか!?」
両手で頬を掴まれて、真正面から怒鳴られて。
あまりにもまっすぐな彼の怒りが、私を捕らえて離さない。純粋に、真剣に、私のことを思う強い気持ちが――見つめられた瞳を通じて私の心を包み込む。
「私」
ぎりぎりのところで留まっていた、我慢していた心の本音が、涙のひとしずくみたいにぽろと口からこぼれ落ちる。
「もう……やめたい」