初恋カレイドスコープ
むくれた子どものふりをしながら、私はひそかに笑みを押し殺す。楽しい。馬鹿みたいに楽しい。さっきから頬がゆるゆるに緩んで、笑いだしたくて仕方ない。
彼氏がいるってこういう感じなのかな。他愛ないことで一緒に笑って、お酒を飲んで、ちょっとじゃれあったりなんかして。当たり前のように隣に座り、自然に指先を触れ合わせて、ひとつの思い出が二人一緒なら二倍三倍へ膨れ上がる。
(最高じゃん)
快く酩酊しながらそんなことを考えたとき、ふと腕時計の時間が目に入って一気に現実に引き戻された。
違う。私たちは恋人じゃない。
明日にはきっと私と彼は元のような他人同士に戻る。私は飛行機で日本に戻り、彼は引き続きシンガポールで暮らす。それが当然の、もともとの居場所。私たちの道はきっと、もう二度と交わることはない。
愛菜は私の知らないところで、彼氏とこんな風に楽しく過ごしていたのだろうか。そう思うと、自分一人だけが世界中から孤立しているような、言い様のない不安と寂しさが重く心にのしかかってくる。
「どうしたの?」
ああもう、こういうときに優しくしないで。
大きな瞳に覗きこまれると、どうしたらいいのかわからなくなる。
「もしかして、眠くなってきた?」
「平気れす」
「眠いんだな。もう帰ろうか」
「大丈夫えす。ほらっ」
食べ終えたピーナッツの殻を床に捨てる。カサッと音を立てて足元に散らばるゴミ。なにこれ、楽しい。普段なら絶対やっちゃいけないことを堂々とお店でやる解放感!
「うへへへへ、おもしろーい」
『すみませーん、この子にお水』
「ウォーターいらないです、もっかい、シンガポール・スリングもう一杯」
「飲めるわけないでしょ、首まで真っ赤にして。おいこら溶けるな、猫じゃないんだから……」
カウンターにでろでろと伏せる私を尻目に、玲一さんは手早くお代を払うと私を抱きかかえてバーを出た。「おかね、おかね」と鞄をまさぐろうとする私の手を掴み、「いいから甘えておきなさい」と優しい声がたしなめる。
一歩バーの外へ出ると、日中の蒸し暑さも忘れ、涼しい夜風が火照った頬を一気にクールダウンさせてくれた。ああすごい、夜のシンガポールって綺麗。日本ではなかなか見られないような色とりどりの派手なネオンが、あっちこっちに煌めいていて、まるで万華鏡みたい。
玲一さんの胸にぴったり張り付き、車の行き交う街を眺めて、唇から漏れる熱い吐息が夜闇に溶けていくのを待つ。きれい。きれいだ。本当に……。
「立てる?」
降り注ぐ言葉に静かにうなずき、私はそっと彼から離れた。途端、さっきまで触れ合っていた右肩が急に寂しく寒く思えて、私はちいさく唇を噛みアスファルトの影を見下ろす。
「それじゃ、帰ろうか。ホテルはどこだっけ」
「…………」
「タクシー呼ぼうか。それとも、ホテルの入り口まで送ってほしい?」
「…………」
玲一さんの大きな瞳が、こっちを見つめる気配がする。
でも、私はぎゅっとこぶしを握ったまま地面を睨みつけるしかできない。
吹き抜ける風がひどく冷たい。
ひとりぼっちの心が寒い。
お腹で波打つシンガポール・スリングが、私を守る鋼鉄の理性をひっきりなしに揺さぶってくる。
「どうしたの。……帰りたくなくなっちゃった?」
くす、と小さく笑う声。
赤くなった私の頬が、突然固い胸に押し当てられた。肩をぎゅうと抱き寄せられて、熱い唇が耳元に寄る。
「今夜は、俺の部屋で寝る?」
くすぶる熱を吐息に混ぜて、甘い言葉が脳を溶かす。