初恋カレイドスコープ
第十四章 初恋カレイドスコープ
ふいに鳴り響いたけたたましい物音に、私はまさかと息を呑んだ。ぱぁっと表情を明るくした副社長が「奴が着いたぞ!」と声を上げて踊るように走り去っていく。
早い。いくらなんでも早すぎる。私がここへ連れてこられたときは三十分以上車に揺られたのに、今はまだその半分程度の時間しか経っていないはずだ。
「社長代理、こちらですよ! ははは! ……そんなに緊張しないでください! 庭から回って……商談の場をセッティングいたしました。こちらです、ほら、どうですか!? 小洒落ているでしょう!?」
青木副社長の声がどんどん大きく近づいてくる。そして、
「凛ちゃん!!」
その声にハッと顔を上げると、プールを挟んだ向こう側に玲一さんが立っていた。仕事終わりのスーツ姿そのままで、肩ではあはあと息をしながら……彼は私の姿を見るなり、顔を真っ赤にして歯を食いしばる。
ああ、そうか。だって今の私、シャツも肌着も全部裂かれて、本当にひどい状態だ。一応何もされてないとはいえ、これでは誤解されるのも無理はない。
ああでも、もしかして怒ってくれたのかな。……大丈夫です、何もないですと声に出して伝えたい。でも、さっきからずっと喉が震えてうまく言葉が出てこない。
(玲一さん)
でも、来てくれた。
本当にここまで来てくれた。
今はただ、その事実だけが、私の胸に熱く広がっている。
「ああ、本日はお越しいただきありがとうございます、社長代理」
「そういうのいいから、お前は何がしたいんだ!?」
「電話でも申し上げたでしょう、商談ですよ! 公平な取引をしたいのです! 社長代理のお席はこちらですよ、ほら!」
副社長はプールサイドをスキップで駆け抜けて、オモチャたちの反対側にある汚れた椅子をひとつ引いてみせた。それから自分はその椅子の真向かいに腰かけて、心の底から満悦そうににんまりと頬を緩める。
「どうぞおかけください、こちらへ……やはり話し合いは対等でないと。ね! 同じ椅子で、同じ目線で、平等でいきましょうよ、社長代理!」
軽く眼鏡を持ち上げながら、青木副社長は見たことがないくらい生き生きと笑う。
対して、玲一さんは――揺らぐ瞳でプールを一瞥し、ごくりと唾を飲み込んだ。
(ああ、そうだ)
ファッション誌の写真撮影のとき、プールを前に見せた玲一さんの顔。
あのときと同じ、心の底から湧き上がる負の思いが、今また彼の足元からじわじわと神経を蝕んでいる。過去の思い出。いじめのトラウマ。昔の記憶がフラッシュバックして、彼の瞳に深い絶望と恐怖を色濃くにじませる。