ハイドアンドシーク








そこは見慣れたアパートの一室だった。


リビングで話す神妙な面持ちの両親を、少し離れた物陰から見ているわたし。

不安げに聞き耳を立てているわたしはまだ幼かった。



──え、しの…めさんが?

──そ…なのよ。子…れて夜逃…ですって



断片的にしか聞こえない。

聞こえたとて、当時のわたしは2人が言っていることの半分も理解できなかっただろう。


それでも、言葉の意味なんてわからなくても。


東雲さん──とーりくんに何かあったことだけはわかった。


彼と気まずくなっていたことも忘れて、わたしは今すぐその顔を見たくなった。


その一心で、2人の前に飛び出す。





──っ、恋?まだ起きて、

──おかあさん、とーりくんに会いたい


──ねえ、あした、とーりくんと一緒に遊んでもいい?



お父さんが片手で口をおおった。

それは父の困ったときの癖だった。

こういうときの父は頼りにならないことを知っていたわたしはお母さんを見上げた。

すると母は一瞬だけ目を伏せて、すぐにいつもの“お仕事モード”の顔に戻った。




──あの子のことはもう忘れなさい

──でも……でも、一緒にいたい

──恋、いい加減にしなさい!



ピリッと痺れるように頬があつくなる。

ぶたれたからだったのか、興奮したからだったのかは覚えてない。

なのに。

そのあとのお母さんの言葉だけは、忘れたくても忘れられなかった。




「いられるわけないでしょう。

いられるわけが、ないでしょう。

あなたはオメガであの子はベータなのよ。恋、私たちはあなたのためを思って言っているの。恋、お願いだから、恋、お母さんの言うとおりにして、そうすれば」




あなたは、いつまでも幸せにいられるから──




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