目覚めない夫を前に泣き腫らして、悲劇のヒロインを気取る暇なんてなかった。
「奥様、少々相談したいことがございまして……」
そんな折、フォルストが何故かこっそりとやって来て、私の部屋のドアを叩いた。
彼は真剣な表情で、けれどどこか言いにくそうに、私に一つの話を持ち掛けた。
「『時戻りの実』というものを……ご存知ですか」
「……え? えぇ。話だけなら聞いたことはあるけど……」
意外過ぎる質問に面食らってしまった。
いつかの時に夫が話してくれた魔法の実の話。
眉唾ものとしか思っていなかった奇跡のような果実の話。
それを夫と同じく、真面目な執事長が深刻な様子で口にしたのだ。
いやいや、まさか、と思った。
「じ……実在するの?」
恐る恐る発した問いに、フォルストは首を縦に振る。
老執事はためらうことなく、しっかりと頷いた。
瞬間、言葉を失った。
「ほ、本当に……?」
「はい」
「嘘、でしょ」
「わたくし、嘘は申し上げません」
それは私も知っていた。
フォルストは仕事に忠実な信頼できる執事だ。
こんなことで嘘や冗談を言うような人じゃない。
長きにわたる八年もの付き合い。私は屋敷の使用人たちと、戦友とも呼べるような信頼関係を築くことができていた。
でも、聞き返さずにはいられなかったのだ。