目覚めない夫を前に泣き腫らして、悲劇のヒロインを気取る暇なんてなかった。
「愛しているんだ」
静かにつぶやかれたその言葉が、胸に突き刺さり、私を留めた。
反論しなければいけない。けど、その言葉はあまりにも愛おしくて。
「大丈夫だ。君が戻った時間軸上の俺も、必ず君を愛するだろう。それだけは自信を持って言える。俺はそこで生きている。君はその俺と結ばれる。決して離れ離れにはならない。……あるいは、君が別の人と結ばれたいというのなら、出会う前に戻ってそうすればいい。どちらにしろ、君はやり直せるんだ」
「そんなことするわけないでしょう! 私はあなたがいいんです! 私だって……あなたが思うのと同じぐらい、あなたを愛しているんです!」
「なら、良かった」
これ以上ない、安らかな笑顔だった。
八年間、私がずっと求め続けたもの。それを見せられては、もうかなわない。
そして彼は決定的な一言を放つ。
「……もう遅いんだ。君が持ってきた『時戻りの実』。目の前にある、この小瓶に入ってるのは、実はただのシロップだ」
「……え?」
「フォルストに命じて俺がすり替えさせた。本物は、君がさっき飲んだ紅茶に入っていた。君のティーカップだけに混ぜておくように、頼んでおいたんだ」
「う、そ……」
「すまない」と小さく言葉が継ぎ足される。
全然気づかなかった。
味も香りもただの紅茶だった。
家の人間の誰が盗むなんて考えもせず、引き出しには鍵をかけていなかった。
色合いもそっくりだったから、今の今まですり替えられたなんて思いもしなかった。
「フォルストが魔女から聞いた説明によると、時が巻き戻るのは飲んでから十分くらい後だそうだ。もう……まもなくだな」