婚約破棄されたので、好きにすることにした。
 凍りつくような視線。
 クロエは震えて座り込み、そのショックで前世の記憶を思い出した。
(なるほど。そんな状況かぁ)
 記憶を取り戻したばかりの今の状態だと、橘美沙として生きた記憶の方が強く、クロエの人生はどこか他人事のように感じる。
 クロエとしての記憶も、少しあやふやなくらいだ。
 それに目の前のキリフの表情を見れば、どれだけ彼がクロエを嫌っているのかわかる。そんな女性に付きまとわれ、大切に思っている恋人を責められて、さぞ不快だったろう。
(でも、そんなに嫌ならさっさと婚約を解消すればいいじゃない。婚約したまま相手を無視して、さらに連絡もせずにエスコートを拒んで、公衆の面前でその手を払いのけるなんて)
 たしかにクロエも悪かった。
 どうしたらいいのかわからなかったとはいえ、ただつきまとうだけなんて、迷惑でしかなかっただろう。
 でも、クロエだけが悪いとは思わない。
 彼は政治的な繋がりを持つクロエとの婚約を維持したまま、自分は美しい令嬢との恋愛を楽しんでいたのだ。
 クロエの目の前で、恋人を庇うように回された手。
 その手で彼は、クロエを激しく打ち払った。
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