アオハル・スノーガール
雪女の噂
ここなら邪魔は入らないということで、連れてこられたのは郷土研の部室。
鍵は開いていたけど、室内には白塚先輩の姿はなく、私達は椅子に腰かけずに、立ったまま話を始める。
「何なの杉本のあの態度は⁉ 岡留、何か知っているんでしょ、説明してよ!」
今にも怒りが爆発しそうな里紅ちゃんが、岡留くんの両肩を掴んで、ユサユサと前後に揺らし出す。
里紅ちゃん落ち着いて。これじゃあ、話せるものも話せないから。
幸い、楓花ちゃんがすぐに止めてくれて、岡留くんはポツポツと話し始めた。
「本当は言うかどうか迷ったんだけど、きっと耳入るのも時間の問題だよな。杉本達が言っていたのは、コレの事なんだ」
そう言って岡留くんは、スマホを差し出してくる。そして、画面に映し出されていたのは。
「『雪女の起こした暴力事件』、何これ?」
それは大勢の人が閲覧できて、自由に書き込みができる掲示板サイト。
そこに踊っていた見出しに、里紅ちゃんも楓花ちゃんもキョトンとしたけど、反対に私は全身の血の気がスッと引いた。
(待って。まさかこれって……)
思い出したくもない、嫌な記憶がよみがえってくる。
その掲示板には、よく知ったものだったから。
「ええと、なになに……『うちの学校には雪女がいる。真っ白な髪をしていて、全身が雪のように冷たい、素行の悪い生徒で。暴力や窃盗など、起こした事件は数知れない』……何これ、漫画の設定?」
「これって、郷土研が好きな妖のネタ? けど、どう見ても眉唾ものなんだけど」
里紅ちゃんも楓花ちゃんも怪訝そうな顔をして、岡留くんもため息をつく。
「ああ、いくら俺だって、普通ならこんなのスルーしてるさ。本当に雪女が学校に通って暴れてたら、もっと騒ぎになってるからな。けど、これを見てくれ」
画面をスライドさせた先。そこには、問題の女子生徒についてもっと詳しく書かれていた。
女子生徒の名前はA瀬。名前以外にも身長や白いロングヘア―をしている事など、簡単なプロフィールが書いてあり。見る人が見れば、誰のことだか丸わかり。私の事だって言うのは、明白だった。
(なんで? どうして今頃になって、こんなものが出てくるの?)
画面に映っているそのページには、残念ながら見覚えがあった。
これは一学期まで通っていた学校の裏サイト。これらの書き込みは私がまだ転校する前、以前の学校の生徒がやったものだった。
掲示板には他にも、件の女子生徒は万引きの常習犯だったとか、先生に暴力を振るったとか、そういった悪い話がたくさん書かれている。
けど、こんなのやってない!
万引きとか先生への暴力とか、一度だってやっていないのに。
かつて味わった苦しい思いが蘇ってきて、強い吐き気が襲ってくる。幸い、さっき食べた昼食を戻しはしなかったけど、動悸が一向に収まらない。
ここに書かれている事はほとんどが嘘だったけど、本当か嘘かなんて関係無い。勝手な事ばかり書いて、拡散して。このせいで、どれだけ苦しい思いをしたか。
目にした人は事実を確かめもせずに、便乗して面白おかしく、噂を加速させていくのだ。それがどれだけ、人を傷つけるかも知らないで。
文字を読む度に心が、雪よりも氷よりも冷たく凍てついていく。
(どうして? 転校までしたのに、どうして田良木高校にも噂が広まってるの?)
言葉を失って呆然としていたけど、楓花ちゃんと里紅ちゃんが沈黙を破った。
「これって、千冬ちゃんのこと……じゃないよね。こんなの信じられないもの」
「当たり前じゃない。これ見てよ。雪女は先輩の女子生徒に凍傷を負わせたって書いてあるけど、こんなの出来るわけないもの。でしょう?」
「う、うん……」
こんなの嘘、気にしなくていい。そんな笑い飛ばす二人とは裏腹に、私の返事には元気がない。
だって……だって本当は……。
「ねえ、もしも本当に、私が雪女だったらどうする?」
「へ? ちょっと、何言ってるの? おーい、目を覚ましてー」
重くなった空気を和ませるように、里紅ちゃんが明るい声を出してきたけど、胸が無性に痛む。
ここに書いてある事はほとんどが嘘だけど。全部が全部嘘と言う訳じゃないんだもの。
綾瀬千冬は雪女。それは紛れもない事実で。それを隠していることがみんなを騙しているみたいに思えて、罪悪感が襲ってくる。
それに書かれていた、先輩を凍傷にあわせた話。あれは……。
「これを書いたのって、綾瀬が前にいた学校の奴らだよな。下らない事をするやつって、どこにでもいるんだな」
怒気をふくんだ低い声にハッとして、俯いていた顔を上げると、里紅ちゃんの持つスマホを、岡留くんが睨み付けている。
「俺がこれの事を知ったのは、杉本達が騒いでいたからなんだ。どうやって見つけて、何が面白いのか知らねーけど。どうやらこの事を広めようとしているらしい」
うんざりとしたように語る岡留くん。
確かに、遊び半分で噂を広めて、悪ふざけで誰かを傷つける人なんて、どこにでもいるみたい。
「杉本さん、千冬ちゃんのことを目の敵にしてるからねえ。でも岡留くん、知っていたならどうしてもっと早く教えてくれなかったの?」
「悪い。言って良いかどうか、迷ってた。それに俺、犬童達のスマホの番号なんて知らないし」
そういえばそうだった。同じ郷土研の私だって、番号交換なんてやってないや。
そして里紅ちゃんはそのスマホを、今にも床に叩きつけそうな顔をしながら、怒りを露にしている。
「こんなデマ流して、何考えてるの? ちょっと今から、杉本のこと殴ってきて良い?」
「そうしたいのは山々だけど、何の解決にもならないぞ。……綾瀬は、どうしたい?」
そう言われても私は……ううん、たぶんここにいる誰も、ちゃんとした答えなんて知らない。
こんな噂なんて流して。どうやら杉本さん達は、徹底的に私の事を潰したいみたいだ。
流石にこの書き込みだけじゃ私が雪女だって事を本気にする人はいないだろうけど、それ以外の事は?
素行の悪い不良だったなんて悪評が広まってしまったら、みんなどんな目で見てくるだろう。
そういえば今朝、挨拶をした北岡さんの様子がおかしかったっけ。もしかしたらあの時既に、この噂を知っていたのかも。
もしもみんながあんな風に、私を避けるようになったら、なったら、なったらあああああああ……。
「綾瀬……おい綾瀬、大丈夫か!?」
呼吸が荒くなり、目眩がしてたけど、岡留くんの声で現実に引き戻される。
危なかった。冗談抜きで、意識が飛んで倒れるところだった。
幸い、冷気も漏れていなかったけど、岡留くんだけでなく、里紅ちゃんや楓花ちゃんも心配そうにこっちを見ていて。私は大きく深呼吸をして、何とか息を整えた。
「へ、平気。大丈夫だから。それよりこの書き込みや、杉本さんの事だけど、何もしないでいてほしいの。下手に何かすると、余計に騒ぎになるかもしれないから」
これは前の学校で、あの書き込みがされた時に体験した時の、悲しい経験則。
こんなのは嘘だと声をあげても逆効果で、それまで普通に話していたクラスメイトからも、距離をおかれてしまったっけ。
三人は複雑そうな顔をしたけれど、一応は分かってくれたみたいで、頷いてくれる。
「分かった。そう言うならそっとしておくよ。それと、掲示板に書いてあった事なんだけど……」
岡留くんは何かを言いかけたけど、急に思い直したみたいに、言葉を変える。
「いや、やっぱりいいや。もしも何かあったら、その時は言ってくれ。何ができるってわけじゃないけど、相談に乗るくらいはできるから」
「あ、ありがとう。けど、あんな事書いてあったのに、私の事怖くないの?」
おずおずと問いかけると、岡留くんが答えるよりも先に、楓花ちゃんが口を開いた。
「怖くなんか無いよ。あんなの、全部嘘だってわかってるもの。そうでしょ?」
励ますような笑顔で答えてくれて、岡留くんと里紅ちゃんも同意するように頷いてくれる。
「うん……。ありがとう」
信じてくれた事が、とても嬉しい。しかし同時に、全てを打ち明けるなんてできずにいる事に、後ろめたさを感じる。
本当なら、いっそのこと全て打ち明けてしまいたいともおもうけど。結局それも怖くて。私は、何も出来ないままだった。
鍵は開いていたけど、室内には白塚先輩の姿はなく、私達は椅子に腰かけずに、立ったまま話を始める。
「何なの杉本のあの態度は⁉ 岡留、何か知っているんでしょ、説明してよ!」
今にも怒りが爆発しそうな里紅ちゃんが、岡留くんの両肩を掴んで、ユサユサと前後に揺らし出す。
里紅ちゃん落ち着いて。これじゃあ、話せるものも話せないから。
幸い、楓花ちゃんがすぐに止めてくれて、岡留くんはポツポツと話し始めた。
「本当は言うかどうか迷ったんだけど、きっと耳入るのも時間の問題だよな。杉本達が言っていたのは、コレの事なんだ」
そう言って岡留くんは、スマホを差し出してくる。そして、画面に映し出されていたのは。
「『雪女の起こした暴力事件』、何これ?」
それは大勢の人が閲覧できて、自由に書き込みができる掲示板サイト。
そこに踊っていた見出しに、里紅ちゃんも楓花ちゃんもキョトンとしたけど、反対に私は全身の血の気がスッと引いた。
(待って。まさかこれって……)
思い出したくもない、嫌な記憶がよみがえってくる。
その掲示板には、よく知ったものだったから。
「ええと、なになに……『うちの学校には雪女がいる。真っ白な髪をしていて、全身が雪のように冷たい、素行の悪い生徒で。暴力や窃盗など、起こした事件は数知れない』……何これ、漫画の設定?」
「これって、郷土研が好きな妖のネタ? けど、どう見ても眉唾ものなんだけど」
里紅ちゃんも楓花ちゃんも怪訝そうな顔をして、岡留くんもため息をつく。
「ああ、いくら俺だって、普通ならこんなのスルーしてるさ。本当に雪女が学校に通って暴れてたら、もっと騒ぎになってるからな。けど、これを見てくれ」
画面をスライドさせた先。そこには、問題の女子生徒についてもっと詳しく書かれていた。
女子生徒の名前はA瀬。名前以外にも身長や白いロングヘア―をしている事など、簡単なプロフィールが書いてあり。見る人が見れば、誰のことだか丸わかり。私の事だって言うのは、明白だった。
(なんで? どうして今頃になって、こんなものが出てくるの?)
画面に映っているそのページには、残念ながら見覚えがあった。
これは一学期まで通っていた学校の裏サイト。これらの書き込みは私がまだ転校する前、以前の学校の生徒がやったものだった。
掲示板には他にも、件の女子生徒は万引きの常習犯だったとか、先生に暴力を振るったとか、そういった悪い話がたくさん書かれている。
けど、こんなのやってない!
万引きとか先生への暴力とか、一度だってやっていないのに。
かつて味わった苦しい思いが蘇ってきて、強い吐き気が襲ってくる。幸い、さっき食べた昼食を戻しはしなかったけど、動悸が一向に収まらない。
ここに書かれている事はほとんどが嘘だったけど、本当か嘘かなんて関係無い。勝手な事ばかり書いて、拡散して。このせいで、どれだけ苦しい思いをしたか。
目にした人は事実を確かめもせずに、便乗して面白おかしく、噂を加速させていくのだ。それがどれだけ、人を傷つけるかも知らないで。
文字を読む度に心が、雪よりも氷よりも冷たく凍てついていく。
(どうして? 転校までしたのに、どうして田良木高校にも噂が広まってるの?)
言葉を失って呆然としていたけど、楓花ちゃんと里紅ちゃんが沈黙を破った。
「これって、千冬ちゃんのこと……じゃないよね。こんなの信じられないもの」
「当たり前じゃない。これ見てよ。雪女は先輩の女子生徒に凍傷を負わせたって書いてあるけど、こんなの出来るわけないもの。でしょう?」
「う、うん……」
こんなの嘘、気にしなくていい。そんな笑い飛ばす二人とは裏腹に、私の返事には元気がない。
だって……だって本当は……。
「ねえ、もしも本当に、私が雪女だったらどうする?」
「へ? ちょっと、何言ってるの? おーい、目を覚ましてー」
重くなった空気を和ませるように、里紅ちゃんが明るい声を出してきたけど、胸が無性に痛む。
ここに書いてある事はほとんどが嘘だけど。全部が全部嘘と言う訳じゃないんだもの。
綾瀬千冬は雪女。それは紛れもない事実で。それを隠していることがみんなを騙しているみたいに思えて、罪悪感が襲ってくる。
それに書かれていた、先輩を凍傷にあわせた話。あれは……。
「これを書いたのって、綾瀬が前にいた学校の奴らだよな。下らない事をするやつって、どこにでもいるんだな」
怒気をふくんだ低い声にハッとして、俯いていた顔を上げると、里紅ちゃんの持つスマホを、岡留くんが睨み付けている。
「俺がこれの事を知ったのは、杉本達が騒いでいたからなんだ。どうやって見つけて、何が面白いのか知らねーけど。どうやらこの事を広めようとしているらしい」
うんざりとしたように語る岡留くん。
確かに、遊び半分で噂を広めて、悪ふざけで誰かを傷つける人なんて、どこにでもいるみたい。
「杉本さん、千冬ちゃんのことを目の敵にしてるからねえ。でも岡留くん、知っていたならどうしてもっと早く教えてくれなかったの?」
「悪い。言って良いかどうか、迷ってた。それに俺、犬童達のスマホの番号なんて知らないし」
そういえばそうだった。同じ郷土研の私だって、番号交換なんてやってないや。
そして里紅ちゃんはそのスマホを、今にも床に叩きつけそうな顔をしながら、怒りを露にしている。
「こんなデマ流して、何考えてるの? ちょっと今から、杉本のこと殴ってきて良い?」
「そうしたいのは山々だけど、何の解決にもならないぞ。……綾瀬は、どうしたい?」
そう言われても私は……ううん、たぶんここにいる誰も、ちゃんとした答えなんて知らない。
こんな噂なんて流して。どうやら杉本さん達は、徹底的に私の事を潰したいみたいだ。
流石にこの書き込みだけじゃ私が雪女だって事を本気にする人はいないだろうけど、それ以外の事は?
素行の悪い不良だったなんて悪評が広まってしまったら、みんなどんな目で見てくるだろう。
そういえば今朝、挨拶をした北岡さんの様子がおかしかったっけ。もしかしたらあの時既に、この噂を知っていたのかも。
もしもみんながあんな風に、私を避けるようになったら、なったら、なったらあああああああ……。
「綾瀬……おい綾瀬、大丈夫か!?」
呼吸が荒くなり、目眩がしてたけど、岡留くんの声で現実に引き戻される。
危なかった。冗談抜きで、意識が飛んで倒れるところだった。
幸い、冷気も漏れていなかったけど、岡留くんだけでなく、里紅ちゃんや楓花ちゃんも心配そうにこっちを見ていて。私は大きく深呼吸をして、何とか息を整えた。
「へ、平気。大丈夫だから。それよりこの書き込みや、杉本さんの事だけど、何もしないでいてほしいの。下手に何かすると、余計に騒ぎになるかもしれないから」
これは前の学校で、あの書き込みがされた時に体験した時の、悲しい経験則。
こんなのは嘘だと声をあげても逆効果で、それまで普通に話していたクラスメイトからも、距離をおかれてしまったっけ。
三人は複雑そうな顔をしたけれど、一応は分かってくれたみたいで、頷いてくれる。
「分かった。そう言うならそっとしておくよ。それと、掲示板に書いてあった事なんだけど……」
岡留くんは何かを言いかけたけど、急に思い直したみたいに、言葉を変える。
「いや、やっぱりいいや。もしも何かあったら、その時は言ってくれ。何ができるってわけじゃないけど、相談に乗るくらいはできるから」
「あ、ありがとう。けど、あんな事書いてあったのに、私の事怖くないの?」
おずおずと問いかけると、岡留くんが答えるよりも先に、楓花ちゃんが口を開いた。
「怖くなんか無いよ。あんなの、全部嘘だってわかってるもの。そうでしょ?」
励ますような笑顔で答えてくれて、岡留くんと里紅ちゃんも同意するように頷いてくれる。
「うん……。ありがとう」
信じてくれた事が、とても嬉しい。しかし同時に、全てを打ち明けるなんてできずにいる事に、後ろめたさを感じる。
本当なら、いっそのこと全て打ち明けてしまいたいともおもうけど。結局それも怖くて。私は、何も出来ないままだった。