アオハル・スノーガール
雪女と保冷剤の彼
無言のまま見つめられるのが、何だか恥ずかしくて。身をすくめていると、彼はポツリと呟くように言う。
「……話してもいいのか?」
「それは、まあ。聞いたのは私だし」
微かに緊張しながら返事をすると、岡留くんはふうっと息をついて。「それじゃあ言うけど」と言って、ポツポツと語り始める。
「昔、まだ小学校にも上がる前の、小さかった頃。俺は一人の妖に出会ったんで」
「会ったの!?」
つい驚いちゃったけど、考えてみたらおかしな話じゃない。カミキリの床屋さんや、狐の占い師がいたように、妖は意外とその辺にいるのだ。
何かのきっかけで会ったとしても、不思議じゃない。
「まだ親が離婚する前。夏に宝と二人で公園で遊んでたら、熱中症になったことがあるんだ。いつもは注意していたのに、その日は帽子も保冷剤も持っていくのを忘れていて。頭がガンガンして気持ち悪くて、最悪だった」
わかる。苦しい気持ちは、よくわかるよ。
岡留くんも暑いの苦手だって言っていたし、さぞ辛かったに違いない。
「生憎その時は、近くに誰もいなくて。宝は人を呼んでくるって言って公園を出て行って、俺は一人ベンチの上で横になっていた。そしたら不意に、『大丈夫』って声をかけてくれたヤツがいて。そいつは俺と同い年くらいの白い髪をした、雪女だった」
「雪女!?」
岡留くんが会った妖って、雪女だったの?
なんて偶然。まさか私よりも先に、別の雪女と会っていただなんて……って、あれ?
ちょっと待って。その話ってどこかで……。
胸の奥で、何かがザワザワと騒ぎだす。
何だろうこの既視感。何か……何か大事なものが、どこかで引っ掛かっている。
「その子は冷たい手を頭に当ててくれて。雪を起こして、火照った体を冷やしてくれたんだ。吹雪を起こすその子は、とても綺麗だった……」
懐かしそうに昔を思い出しながら、遠い目をする岡留くんだったけど。そっと私に、目を向けてくる。
「……綾瀬だよな、あの時の雪女」
「——っ!」
雷で打たれたような衝撃を受けて、驚いて目を見開いた。けど驚いたけど……うん。たぶん、そうだと思う。
あれは子供の頃。お父さんとお母さんに連れられて、おばあちゃんの家に……この町に遊びに来た時の事。あの時熱中症になっているのを助けた、男の子の姿が頭に浮かんでくる。
公園のベンチで苦しんでいるその子見て、人前では使っちゃいけないって言われていた雪女としての力を使って、助けたんだ。
よーく思い出してみると、確かに岡留くんに似ていたような……あ、でもちょっと待って。
「確かに私、小さい頃男の子を助けたことはあるよ。でも、名前が違うの。その子の名前は、レイくんだったはずだもの」
「レイ?」
口元に手を当てて、考え出す岡留くん。
名前が違うってことは、何かの間違い? だけどこんなにもよく似た経験なのに別の出来事だなんて、そんな事あるのかなあ?
すると岡留くんは、何かに気付いたようにハッとした顔をする。
「もしかしたらだけど、それって保冷剤って言おうとしてたのかも。保冷剤の『冷』を、勘違いしたんじゃないか? ぼんやりと覚えているけど、あの時俺、保冷剤ちょうだいって、言ってた気がする」
「ほ、保冷剤ーっ!?」
ずっと『レイ』って名前だと思っていたけど、まさかの保冷剤。けど、確かにそれだと辻褄が合う。
それじゃああの時のあの子は、本当に岡留くんなの?
「い、いったいいつから、私がその雪女だって気づいていたの?」
「そうだなあ。最初バスで会った時は気づかなかったけど、もしかしたら無意識のうちに、惹かれるものがあったのかもしれない」
『惹かれる』なんて言われて、頭がぼうっと火照ってくる。さっき綺麗だって言われた時もそうだったけど、今日の彼は誉めることに遠慮がなくて、照れてしまう。
「綾瀬が郷土研に入ってからは、何となく似てるような気がしてたんだけど。驚いたのは髪を白くした時。記憶の中の女の子が、そのまま成長したみたいだったから。その後、綾瀬が雪女だって噂が流れて、いよいよ確信したよ。あの時助けてくれたのは、綾瀬だったんだなって」
確かにそこまでヒントが出ていたのなら、気づくに決まっているよね。けどそれじゃあ。
「だったらどうして、今まで黙ってたの? チャンスなんて、いくらでもあったよね」
普通なら気づいてすぐに確かめても、おかしくないはずなのに。
すると何故か、じとーっとした目をしてくる。な、何だろう?
「覚えていないんだな。あの時、最後に言っただろ。今見たことは、ナイショにしててくれって。昔話で再会した雪女に秘密を話したら、去って行ってしまうって話があったから。あれと同じように、もしも話したら綾瀬がどこかへ行ってしまう気がして。怖くて言えなかった」
「ええっ!? わ、私そんな事言って……」
あ――。ううん、ゴメン。言いました。
確かにあの時、ナイショにしててって言いました!
雪女だって事は隠していたし、使っちゃダメだって言われていた力を使った事が、お父さんやお母さんに知られるのが怖くて、口止めしたんだっけ。
けど、そのせいで今まで、話したくても話せなかったなんて。しかも私はその事をすっかり忘れちゃってて。申し訳なさすぎて、小さくなる。
だけどという事は、岡留くんが妖に興味を持ち始めたきっかけって……。
「あの時助けてくれた雪女に、どうしてももう一度会いたくて、色々調べた。調べているうちに他の妖や各地の伝承にも興味を持っていったんだけど、根っ子にあるのはあの雪女。俺が初めて好きになった女の子だ」
岡留くんはふうっと息をつくと、苦手だと言っていた笑顔を作って向けてくる。
「あの時の子が綾瀬だって分かった時は、嬉しかったよ。状況が状況だったから、喜んでいられなかったけど。ずっと好きだった女の子が、実は近くにいたんだから。……前に初恋くらいしているって、言った事があるよな。俺の初恋は、綾瀬だよ」
んん――――っ!?
少し照れたようで、だけど幸せそうな目を向けられて、全身の血液が沸騰しそうになる。
息をする度に体温が上がって、まるで体の中を、血ではなくマグマが流れているみたい。
岡留くんは、「やっと言えた」って満足そうな顔をしているけど。反対に私は沸騰したヤカンみたいに、湯気を立ち上らせている。
(ええと、つまりあの時の男の子が岡留くんで妖に興味を持ったのは私に会ったのがきっかけで。それで岡留くんはあの時から私の事が、す、好きって……)
いつの間にか空からは、チラチラと雪が降りだしているけど、体の中に灯った熱は、そんな雪さえも溶かすくらいに熱い。
俺の初恋は、綾瀬だよ。その言葉が何度も頭の中で繰り返される。私達は付き合っているわけだけど、それでも『初恋』という甘いフレーズは強烈で。まるで雪に砂糖をかけたら溶けるかの如く、頭の中がとろけちゃうようで、ふらふらとよろめく。
だけど間一髪。倒れそうな私を、岡留くんが抱き止めてくれた。
「おっと、大丈夫か?」
「うん……でも、頭の中がぐちゃぐちゃで、このままじゃ溶けちゃいそう」
「それは大変だな。保冷剤、いる?」
今にも溶け出しそうな私を、暖かな手で受け止めながら。彼はいたずらっぽく、クスリと笑った。
了
「……話してもいいのか?」
「それは、まあ。聞いたのは私だし」
微かに緊張しながら返事をすると、岡留くんはふうっと息をついて。「それじゃあ言うけど」と言って、ポツポツと語り始める。
「昔、まだ小学校にも上がる前の、小さかった頃。俺は一人の妖に出会ったんで」
「会ったの!?」
つい驚いちゃったけど、考えてみたらおかしな話じゃない。カミキリの床屋さんや、狐の占い師がいたように、妖は意外とその辺にいるのだ。
何かのきっかけで会ったとしても、不思議じゃない。
「まだ親が離婚する前。夏に宝と二人で公園で遊んでたら、熱中症になったことがあるんだ。いつもは注意していたのに、その日は帽子も保冷剤も持っていくのを忘れていて。頭がガンガンして気持ち悪くて、最悪だった」
わかる。苦しい気持ちは、よくわかるよ。
岡留くんも暑いの苦手だって言っていたし、さぞ辛かったに違いない。
「生憎その時は、近くに誰もいなくて。宝は人を呼んでくるって言って公園を出て行って、俺は一人ベンチの上で横になっていた。そしたら不意に、『大丈夫』って声をかけてくれたヤツがいて。そいつは俺と同い年くらいの白い髪をした、雪女だった」
「雪女!?」
岡留くんが会った妖って、雪女だったの?
なんて偶然。まさか私よりも先に、別の雪女と会っていただなんて……って、あれ?
ちょっと待って。その話ってどこかで……。
胸の奥で、何かがザワザワと騒ぎだす。
何だろうこの既視感。何か……何か大事なものが、どこかで引っ掛かっている。
「その子は冷たい手を頭に当ててくれて。雪を起こして、火照った体を冷やしてくれたんだ。吹雪を起こすその子は、とても綺麗だった……」
懐かしそうに昔を思い出しながら、遠い目をする岡留くんだったけど。そっと私に、目を向けてくる。
「……綾瀬だよな、あの時の雪女」
「——っ!」
雷で打たれたような衝撃を受けて、驚いて目を見開いた。けど驚いたけど……うん。たぶん、そうだと思う。
あれは子供の頃。お父さんとお母さんに連れられて、おばあちゃんの家に……この町に遊びに来た時の事。あの時熱中症になっているのを助けた、男の子の姿が頭に浮かんでくる。
公園のベンチで苦しんでいるその子見て、人前では使っちゃいけないって言われていた雪女としての力を使って、助けたんだ。
よーく思い出してみると、確かに岡留くんに似ていたような……あ、でもちょっと待って。
「確かに私、小さい頃男の子を助けたことはあるよ。でも、名前が違うの。その子の名前は、レイくんだったはずだもの」
「レイ?」
口元に手を当てて、考え出す岡留くん。
名前が違うってことは、何かの間違い? だけどこんなにもよく似た経験なのに別の出来事だなんて、そんな事あるのかなあ?
すると岡留くんは、何かに気付いたようにハッとした顔をする。
「もしかしたらだけど、それって保冷剤って言おうとしてたのかも。保冷剤の『冷』を、勘違いしたんじゃないか? ぼんやりと覚えているけど、あの時俺、保冷剤ちょうだいって、言ってた気がする」
「ほ、保冷剤ーっ!?」
ずっと『レイ』って名前だと思っていたけど、まさかの保冷剤。けど、確かにそれだと辻褄が合う。
それじゃああの時のあの子は、本当に岡留くんなの?
「い、いったいいつから、私がその雪女だって気づいていたの?」
「そうだなあ。最初バスで会った時は気づかなかったけど、もしかしたら無意識のうちに、惹かれるものがあったのかもしれない」
『惹かれる』なんて言われて、頭がぼうっと火照ってくる。さっき綺麗だって言われた時もそうだったけど、今日の彼は誉めることに遠慮がなくて、照れてしまう。
「綾瀬が郷土研に入ってからは、何となく似てるような気がしてたんだけど。驚いたのは髪を白くした時。記憶の中の女の子が、そのまま成長したみたいだったから。その後、綾瀬が雪女だって噂が流れて、いよいよ確信したよ。あの時助けてくれたのは、綾瀬だったんだなって」
確かにそこまでヒントが出ていたのなら、気づくに決まっているよね。けどそれじゃあ。
「だったらどうして、今まで黙ってたの? チャンスなんて、いくらでもあったよね」
普通なら気づいてすぐに確かめても、おかしくないはずなのに。
すると何故か、じとーっとした目をしてくる。な、何だろう?
「覚えていないんだな。あの時、最後に言っただろ。今見たことは、ナイショにしててくれって。昔話で再会した雪女に秘密を話したら、去って行ってしまうって話があったから。あれと同じように、もしも話したら綾瀬がどこかへ行ってしまう気がして。怖くて言えなかった」
「ええっ!? わ、私そんな事言って……」
あ――。ううん、ゴメン。言いました。
確かにあの時、ナイショにしててって言いました!
雪女だって事は隠していたし、使っちゃダメだって言われていた力を使った事が、お父さんやお母さんに知られるのが怖くて、口止めしたんだっけ。
けど、そのせいで今まで、話したくても話せなかったなんて。しかも私はその事をすっかり忘れちゃってて。申し訳なさすぎて、小さくなる。
だけどという事は、岡留くんが妖に興味を持ち始めたきっかけって……。
「あの時助けてくれた雪女に、どうしてももう一度会いたくて、色々調べた。調べているうちに他の妖や各地の伝承にも興味を持っていったんだけど、根っ子にあるのはあの雪女。俺が初めて好きになった女の子だ」
岡留くんはふうっと息をつくと、苦手だと言っていた笑顔を作って向けてくる。
「あの時の子が綾瀬だって分かった時は、嬉しかったよ。状況が状況だったから、喜んでいられなかったけど。ずっと好きだった女の子が、実は近くにいたんだから。……前に初恋くらいしているって、言った事があるよな。俺の初恋は、綾瀬だよ」
んん――――っ!?
少し照れたようで、だけど幸せそうな目を向けられて、全身の血液が沸騰しそうになる。
息をする度に体温が上がって、まるで体の中を、血ではなくマグマが流れているみたい。
岡留くんは、「やっと言えた」って満足そうな顔をしているけど。反対に私は沸騰したヤカンみたいに、湯気を立ち上らせている。
(ええと、つまりあの時の男の子が岡留くんで妖に興味を持ったのは私に会ったのがきっかけで。それで岡留くんはあの時から私の事が、す、好きって……)
いつの間にか空からは、チラチラと雪が降りだしているけど、体の中に灯った熱は、そんな雪さえも溶かすくらいに熱い。
俺の初恋は、綾瀬だよ。その言葉が何度も頭の中で繰り返される。私達は付き合っているわけだけど、それでも『初恋』という甘いフレーズは強烈で。まるで雪に砂糖をかけたら溶けるかの如く、頭の中がとろけちゃうようで、ふらふらとよろめく。
だけど間一髪。倒れそうな私を、岡留くんが抱き止めてくれた。
「おっと、大丈夫か?」
「うん……でも、頭の中がぐちゃぐちゃで、このままじゃ溶けちゃいそう」
「それは大変だな。保冷剤、いる?」
今にも溶け出しそうな私を、暖かな手で受け止めながら。彼はいたずらっぽく、クスリと笑った。
了