前世わたしを殺した男は、生まれ変わっても愛を捧ぐ
「くっ……」

 音を立てて、剣が床へと落ちた。真っ赤な血が互いの身体を染めていく。

(どうして、こんなこと……)

 硬く、けれど肉を抉る感覚が確かにアリーセの手に残っている。男は苦悶の表情を浮かべながら、笑みを浮かべていた。なぜ彼はこんなことをするのだろう。どうしてそんなに優しい目で自分を見つめているのだろう。

「あぁ……痛いな……あなたはずっと、この痛みに耐えてきたんだな」

 痛かっただろう、という言葉にアリーセは目を見開いた。

「すまなかった。一人にして……ずっと、苦しかっただろう」
「あ……」

 夫に裏切られて。臣下たちに理解されなくて。たった一人の我が子を失って……。

 本当は痛くて、苦しかった。身体も心も、ずっと悲鳴を上げていた。

 狂っていく自分を誰もが恐れた。助けを求めても、誰も応えてくれなかった。

 でも目の前のこの男は恐れていない。アリーセの孤独に気づいて、寄り添ってくれている。

(わたし……この人を知っている……)

 ずっとそばいてくれた。思い出したい。嫌だ。思い出したくない。あの子の死を受け止めたくない。現実と向き合いたくない。だって目が覚めても一人ぼっちだから。だから……

「あなたは誰にも渡さない。誰かがこれ以上あなたを汚すならば、俺が共に地獄へ連れて行く」

 男の目が潤んだかと思えば、涙が溢れて、アリーセの頬へ落ちてきた。血を溶かしていき、その温かさにアリーセの心は強く揺さぶられる。

『たまには辛いとおっしゃっても罰は当たりません』
『女王陛下に栄光を』
『もう一度、必ずあなたのもとへ帰ってまいります』

「カイ……」

 視界が開けていく。血の臭いに吐き気を覚え、血溜まりの光景を異常だと思える。浮上する意識と共にこれまでの自分の行いが次々と蘇ってくる。

 いつの間にか辺りは炎に包まれていた。遠くで人の声が聞こえるも、アリーセは自分を抱く男だけを見つめていた。

「カイ……わたし……」

 正気を取り戻したアリーセに、狂気に囚われて犯してしまった罪の大きさに呑み込まれそうになる彼女に、男は告げた。

「アリーセ。俺はあなたを許さない」

 涙でよく見えなかった男の表情は共に罪を背負うと述べている。
 許さないという言葉が許すと聞こえる。この世界の全ての人間がアリーセを憎んでも、彼だけは――

「うん……」

 もうこの世に未練はない。彼と一緒に地獄へ堕ちよう。

 アリーセは安らかな表情で微笑み、目を閉じた。カイはアリーセをきつく抱きしめながら、炎の中へ落ちていく。

 駆けつけたリーヴェスがそんな二人の姿を見ていても、もう助けることは叶わなかった。すべて炎に包まれていく。敵国の手に渡り処刑されるはずだった女王の身体は一人の奴隷が地獄へと連れ去ってしまった。

< 68 / 82 >

この作品をシェア

pagetop