アンハッピー・ウエディング〜前編〜
玄関に足を踏み入れた途端。

「…」

母さんは、何かに気づいたようにピタッと足を止めた。

「…?どうした?」

「…何だか、家の中が凄い匂いがするんだけど…」

しまった。忘れてた。

気軽に家に上げちゃったけど、今、この家の中…さながら生ゴミ入れの中みたいな匂いがしてるんだった。

しかも、普通の生ゴミじゃない。

溶かした薬みたいな、ケミカルな匂いが混じっている。

普通の生活をしていたら、まず嗅ぐことはないであろう…説明しようのない異臭。

俺、ずっとこの家の中でこの匂いを嗅いでたから、鼻が馬鹿になっていたけど。

外から入ってきた母さんにとっては、非常にバイオレンスな香りに違いない。

見てみろ、この母さんの顔。

「こんな凄まじい匂いのする家に住んでるなんて…。うちの息子大丈夫…?」とでも言いたそうな顔をしている。

違うんだよ、これは。

今日だけ。今日、偶然大変なことが起きて。そのせいで。

いつもは、こんな匂いしてないから。

畜生。やっぱり今日の昼飯は、そうめんにしておくんだった。

母さんが来るって分かってたら、絶対そうしたのに。

「だ、大丈夫。これは、その…事故。ちょっとさっき、予想外の事故が起きただけで」

「予想外の事故…?」

「えーっと…。う、うん。大したことじゃないから…」

まさか、外国産の得体の知れないインスタントラーメンが元凶です、とも言えず。

母さんには申し訳ないが、言葉を濁して誤魔化すしかなかった。

めっちゃ心配してる。この顔、めっちゃ心配してるって。

本当に大丈夫なんだけど、「大丈夫」と言えば言うほど、大丈夫じゃないみたいな雰囲気になる気がする。

「本当に大丈夫?何だか顔色が悪いように見えるけど…」

ぎくっ。

さすが母親。半年近くも離れて暮らしているのに、こういうところは凄く鋭い。

実は、さっきまで気絶してましたとも言えず。

そんなこと言ったら、余計心配するに決まってるじゃないか。

「だ、大丈夫…。最近毎日暑いから…そう、夏バテ。夏バテしてるのかもな」

「そう…?ちゃんとご飯、食べてる?粗末なものしか食べてないんじゃ…」

「た、食べてる食べてる。ちゃんと普通に、毎日美味しいもの食べてるよ」

我ながら、見え透いた大嘘である。

美味しいもの(正体不明の謎インスタントラーメン)。

と、ともかく。

「そ、その。今コーヒーでも淹れて…」

と、言いかけたその時。

母さんは、テーブルの上に置きっぱなしの、湯気を立てる小さなお茶碗を見つけた。

「…これ、何?」

…え、何?

俺、お茶碗なんか置いてたっけ…と、思ったが。

「あ…それ、さっき作った重湯…」

それを、テーブルの上に置きっぱなしにしていた。

「重湯…!?重湯なんて食べてるの…?」

ぎょっとして、こちらを振り向く母。

…毎日美味しいもの食べてる、と言った傍から。

なんか、ことごとく色んなことが噛み合ってない気がする。今日。
< 452 / 505 >

この作品をシェア

pagetop